2016年11月の読了本

『灰色の自動車 A.グリーン短編集』アレクサンドル・グリーン アルトアーツ
 知る人ぞ知るロシアの作家アレクサンドル・グリーンによる作品集。灰色の自動車と蝋人形への強迫観念に満ちた表題作のほか全部で五つの掌編を収録する。作品の幅は幻想味のあるものから小粋な物語まで広いが、個人的には当時の最新技術(?)を取り入れたと思しき「稀有な写真機」や「灰色の自動車」あたりが好み。機械文明への問題意識は中期のJ・G・バラードにも通じるものがあるような気もする。

『なぜ日本のフランスパンは世界一になったのか』阿古真里 NHK出版新書
 江戸から明治大正、昭和の高度成長期から現代へと150年を経てすっかり定着したパン食文化だが、本書はなかでもハード系のパンに焦点を当てつつ惣菜パンや菓子パンなど日本独特のメニューも視野に入れ、日本におけるパンの受容について考察した本だ。明治・大正の黎明期から昭和40年代のフランスパンブーム、そしてオーガニックの流行から天然酵母パンやドイツパンの人気まで、日本におけるパンの歴史を、有名店の紹介を通じて順におっていくので、読んでいるうちにパンが食べたくなってくる。
 「なぜ日本では柔らかくもちもちの食感のパンが好まれるのか」「なぜ西日本の方が東に比べパン食が盛んなのか」 それらの疑問の答がコメ食にあるのではないかという仮説はとても面白かった。白米の食感や、朝にご飯を炊くか昼に炊いて朝は前日の残りを食べるかといった習慣の違いが、食文化にまで影響を与えている可能性なんてこれまで考えたことなかったが、意外とそんなちょっとしたところから大きな変化は生まれるのかもしれない。(カオス理論のバタフライ効果みたいなもの?)自分は息子のように「白米原理主義者」ではないので、食事の際は絶対に白飯を食べたいというわけではない。昔からどちらかというとご飯よりはおかずを沢山食べる子どもだったのだが、本書を読んでそれがもしかしたら今のハード系のパン好きなのと関係しているのかも知れないと思った。そしてある銘柄のベストセラー食パンを好きでないのはおそらく耳が柔らかいからで、高級食パンをあまり美味しいと思わないのは、おそらく甘みが強いからだろうとか、さらにはある銘柄のベストセラー食パンを好きでないのはおそらく耳が柔らかいからで、高級食パンをあまり美味しいと思わないのは、おそらく甘みが強いからではないかとか、本書を読んで色々と納得できる点は多かった。
 とまあ、内容的には満足のいった本書ではあったが、実は一点だけ苦言を申し述べたいところがある。それはなにかというと書名についてだ。もしも書店で副題の「パンと日本人の150年」という文字が目にとまらなかったら、おそらく本書を手に取って中身を確認し、レジに持っていくことは無かったかもしれない。消費量など数字的な根拠もなく感覚だけで「世界一」と付けてしまうのは、今はやりの日本礼讃本みたいでなんとなく気持ちが悪い。もしかしいたら編集者が流行りを意識して著者の意向とは無関係につけた書名なのだろうか。新書の場合はそういうパターンもあると聞いたことがあるし。個人的にはいっそのこと副題をそのまま書名にした方が良かったような気がする。

『神様2011』川上弘美 講談社
 隣に引っ越してきた熊との不思議な交歓を描く著者のデビュー作を、2011年3月11日の「あのこと」があった世界として語り直す試み。前半には元作品の「神様」も収録されていて、語り直された表題作と表裏一体となってくるくると螺旋を描き、有り得たかも知れない二つの世界が深い余韻を残す。

『本を読むデモクラシー』宮下志朗 刀水書房
 読書が一部の人々に許された特殊な能力から、いかにして一般庶民の娯楽へと変わっていったかについて書かれた歴史の本。19世紀のパリにおいて新聞小説などにより読み書きが民衆の間に広まっていく様子が活写されるほか、人気作家の収入が出版社による原稿の一括買取から印税方式へと変わっていった事情や、当時の女性が家庭で行う読書が当時もっていた意味、そして日本の貸本事情など、とても幅広い題材が取り上げられている。副題に「”読者大衆”の出現」とあるように、文字を読むスキルを身につけ小説を楽しむ事ができる一般庶民の出現は、社会が知識を独占する特権階級により支配される時代から、徐々に市民社会へと変化していくのを象徴しているようにも見える。活版印刷(フランス)や版木(江戸時代の日本)によって大量生産された書物が大勢の大衆読者層を生み出し、やがてくる大きな社会変化の契機になったというのは面白い。読書史はなかなか奥が深いのだ。

『ソラリス』スタニスワフ・レム ハヤカワ文庫
 SF小説でオールタイム・ベストの投票を行うと必ずベスト3に入るほどの人気をほこる、ポーランドの国民作家スタニスワフ・レムの代表作。これまで何度読んだかわからないが、SF仲間内で主催する読書会のために再び読み返したがやはり傑作だった。“異質”なものとの遭遇というテーマを軸にして、著者お得意のコミュニケーションや実存哲学やパラダイム理論といった学術的な問いかけのほか、ホラーやミステリやロマンスやそしてもちろんハードSFの要素まで様々な小説の醍醐味がアマルガムのように混然一体となったまさに奇跡のような一冊ではなかろうか。また、わけのわからないものをわけのわからないまま、何かに喩えることもせず的確にイメージを伝えられるレムの描写力が半端ではない。異星に広がる「ソラリスの海」の描写は何度読んでも興奮する。色んな見方で語れるのが面白いとは思っていたが、読書会でもやはり様々な角度からの読みが披露されて楽しかった。参加者の方から出た「キラキラと乱反射する」という表現がまさにぴったりくる物語といえるだろう。
 個人的な趣味からすると、後半のケルヴィンとスナウトによる神学的なやり取りについては、“不完全な赤ん坊の神”という視点からグノーシス主義との関連を考えても面白いし、そしてグノーシスということではフィリップ・K・ディックの怪作『ヴァリス』にもつながる。また、現前する”神”との対峙という流れでは『出エジプト記』なんかも頭に浮かぶし、ソラリス学をめぐるメタフィクショナルな展開はメルヴィル『白鯨』をも連想させる。なにしろ射程の広い作品なのだ。レムは本書『ソラリス』のほか、『砂漠の惑星』や『天の声』『捜査』なんかもかなり好きなのだが、いずれも深い洞察に満ちた刺激的な本ばかりだ。多くの作品が入手困難になってしまっているが、ぜひとも復刊してもらいたいものである。

『ウェンディゴ』アルジャーノン・ブラックウッド アトリエサード
 幻想怪奇小説のファンにはおなじみの著者による、超自然を題材にした「ウェンディゴ」「砂」「アーニィ卿の再生」という3つの中篇を収録した作品集。どの作品もさほど怖さが強いわけではなくて、描かれるのは“恐れ”というよりは大いなる存在に対する“畏れ”が主体。
 ところで表題作「ウェンディゴ」はこれまで読んだ欧米の怪奇幻想小説よりも妙に親しみ深い印象があった。なぜだろうと理由を考えていたのだが、もしかしたら日本の民話に物語の構造が似ているからではないだろうか。神隠しに遭った女性が天狗や山男の嫁になるという、柳田國男あたりでよく読んだ話が思い浮かぶ。小松和彦氏やV.プロップのような分析をぜひ読んでみたいところだ。次の「砂」もラストの召喚のシーンが圧倒的な迫力でよかったし、最後の「アーニィ卿の再生」は生命エネルギーがほとばしる古の儀式の描写がぞくぞくするほど素晴らしい。(同じ作者による『人間和声』を思い出した。)大満足の一冊だった。

2016年10月の読了本

『少年と空腹』赤瀬川原平 中公文庫
 以前、講談社文庫から出ていた食べ物エッセイ『少年とグルメ』を改題したもの。前半は貧乏ゆえのゲテモノ食や犯罪すれすれの食事の思い出、後半はまだ見ぬ物への憧れが極上の調味料になる。およそ35年前の文章なので、表現に若干気になるところはあるがやはり巧い。そして面白い。食べ物エッセイではあるのだが、副題に「貧乏食の自叙伝」とあるようにグルメではない。食べ物が無かった時代に胃の中に放り込んだ妄想や犯罪や羞恥が塊になっていて、文章の質感がすごい。さすが赤瀬川原平である。それにしても氏の文章に出てくる天丼は本当に旨そうだ。実は甲殻類アレルギーなので海老天は食べられないのだが、赤瀬川原平の天丼は食べてみたい気がする。本当に食べたら喉が痒くなるが、氏に倣って妄想を膨らませるだけなら大丈夫だろう。

『ヘリオガバルス』アントナン・アルトー 河出文庫
 14歳で叛乱とともに戴冠し、放蕩と残虐の限りを尽くしたのち、18歳で暗殺されたローマ皇帝ヘリオガバルス。彼の生涯をシュルレアリストのアルトーがシリアの異教信仰とアナーキーという視点で捉えた異色の歴史書。エメサの残酷な生贄のシーンなど妄想的で迫力に満ちた描写に圧倒される。「見てきたような」力技の文章を前にすると、はたして真偽はどうなのか、あるいは解釈として正しいのかなんてことは、どうでも良くなってしまう気がする。アルトーの妄想力はもしかして岡本太郎や梅原猛のそれにも匹敵するんじゃないか。
 ところで本書は最初のうちとても読み難くて時間がかかったル・クレジオといいドゥルーズといいアルトーといい、仏語系の著者とは相性が良くないのかともおもったが、ツイッターで呟いたところ「フランス語は言語の構造のせいなのか、ワンセンテンスがえらく長くなる傾向があるので、訳文も英語に比べると読みにくくなる」というコメントを頂いて納得した。確かに一文が長い。谷崎潤一郎が得意でないのを思い出した。(ちなみに後半は突然文章が短くなって読みやすくなった。)

『カント「視霊者の夢」』エマニュエル・カント 講談社学術文庫
 『純粋理性批判』を始めとする”三批判”の書で有名な哲学者カントが、同時代に話題だった霊視能力者スヴェーデンボリの神智学的な主張を理性によって検証・批判した異色の小論。それらを幻想/妄想の産物として一蹴するとともに、理性の限界を越えた先にあるものについて語ることの無意味さを説く。
 まずカントによる霊の定義が面白い。彼によれば「ひとつの空間を占める物質があるにも関わらず、同じ空間に受け入れられる性質を持ち(=非物質的存在)、且つ肉体という物質と相互作用をもつもの」(大意)であるという。また「道徳」とは霊的な存在同士に作用する万有引力のようなものではないかという仮説も斬新。霊同士の相互作用により利己的な主張が退けられ社会的な合意がなされるのだというが、心身二元論を突き詰めるなら、たしかに引力が物質にしか働かないと考える理由は無い。(もっとも物質とは違う原理に従うから霊だという理屈もあり得るわけだが。)
 カントが鋭いのは、霊的存在(=魂)が物質とは全く干渉しないのに「肉体」という物質だけには繋がるという、根本的な矛盾に言及している点。たしかにこの矛盾を解消しようとするとかなり無理がある気がするのだが、でもスヴェーデンボリは(丹波哲郎みたいに)「私は視た。霊界はある」って言ってるのだ。カントは最終的にどう論駁するんだろうと興味津々で読んでいくと、原理的に真偽が判断できないことについてあれこれ真面目に考えるのは無駄だから、これ以上この件を考察するのは止めて本当かどうかは随意の探究に委せるという結論。
 「わたしは、相当悪質な夢想家のとてつもない幻想をひたすら模写したり、あるいはこうした作業を彼特有の死後の記述までつづけてゆくことにすっかり飽きてきた。それにわたしには他に配慮しなければならないことがある」だって。わはは、これは面白い。「彼の大著述のなかには、もはや一滴の理性も見当たらない」とか「(本書では)本来は賢明な教えと有益な指示が占めるべき狭い場所をいかにも利口そうに、いっぱいに満たした迷妄と空虚な知識を一掃したとか」もう滅多打ちである。きっとカントにとってスヴェーデンボリの活動は「江戸しぐさ」みたいなものだったのだろう。視霊者の見る夢とはまさしく「胡蝶の夢」だったのだ。

『はじめての短歌』穂村弘 河出文庫
 初心者には詩とか俳句とか短歌とかいったものはなかなかとっつき難い印象があるが、本書は実例をもちいて、散文と違った論理で作られる短歌のポイントについてとても解りやすく説明してくれている。学校の作文や会社の報告書のように「わかりやすいことが価値のある」ことでなく、むしろ情報を減らし価値を日常から反転することが短歌としての価値を高めるのだそうだ。「生きのびる」のでなく「生きる」、「役に立つ」よりは「役に立たない」を言葉にするための方法が、実例とともに示される。ちょっとずれることの面白さが心地よい。自由律になってしまえばもはや俳句と短歌の区別もつかず、限りなく詩に近づいていく。読むことでフッと肩の力が抜けた。これでいいのか。
 本書を読んだ後で短歌を始めてみた。(自由律のお遊びみたいなものだが。)

『死をもちて赦されん』ピーター・トレメイン 創元推理文庫
 七世紀のウィトビア教会会議でおこった殺人事件。一つ間違えば戦乱の火蓋が切って落とされるこの一触即発の危機に、アイルランドの聡明な法廷弁護士でもある修道女"キルデアのフィデルマ"が謎を解く。ミステリ読書会のために読んだ歴史ミステリの人気シリーズの一作目だが、殊のほか面白くて気に入った。こういう話好きだな。

『大きな鳥にさらわれないよう』川上弘美 講談社
 泉鏡花記念文学賞受賞作。全部で十四の小さな物語が、やがて大きな物語となって遠い未来の運命を描き出す。異形の者たちと物哀しさは筒井康隆の『幻想の未来』やオラフ・ステープルドンの『最後にして最初の人類』、或いはピエール・クリスタンの『着飾った捕食家たち』を思わせるが、本書はどこまでも静かで美しい。おそらく著者の幻想小説としての代表作になるのだろう。傑作である。

2016年9月の読了本

『見た人の怪談集』岡本綺堂・他 河出文庫
 総勢15人もの有名作家による怪談小説を集めたアンソロジー。古くは鏡花や鷗外に荷風といった大家から、橘外男や角田喜久雄に大佛次郎までが並ぶ様子は壮観。さながら文豪怪談といったところか。「停車場の少女」「日本海に沿うて」「海異記」「竃の中の顔」あたりが怖くて特に自分好み。

『瀬戸際レモン』蒼井杏 書肆侃侃房
 新鋭短歌シリーズの一冊。中城ふみ子賞、短歌研究新人賞次席とのこと。作家・翻訳家の西崎憲氏が推薦していたので読んでみた。現代短歌は全くの門外漢なのだが、とても新鮮で思いがけない言葉が並ぶのが面白い。 気に入ったものを二首ほど挙げてみる。
 こんなにもわたしなんにもできなくて饂飩に一味をふりかけている
 まだすこしバニラでしたよ左手の爪のにおいとわたしと月と

『羽虫群』虫武一俊 書肆侃侃房
 同じく新鋭短歌シリーズ。”世間一般では真っ先に排除される「弱み」”というものを、短歌という枠組みの中で表現した内省的な一群の歌を収録する。読んでいてなかなかつらい作品も多いが、読み手の心象が少しずつ変わっていく様子が何となく見てとれて作品に惹きつけられる。
 問い詰める視線にまわりを囲まれて息したらもう有罪だった
 都合よく胸に開いている大穴に空から星が落ちてこないか

『永遠でないほうの火』井上法子 書肆侃々房
 新鋭短歌シリーズの3冊目。水と火のイメージが様々に形を変えて現れる。この人も短歌研究新人賞次席とのこと。言葉の選びかたが上手い。三人の中ではいちばん幻想寄りに思える。
 月を洗えば月のにおいにさいなまれ夏のすべての雨うつくしい
 生みながら食む 火を歌いながら生きるよ 声を熾しつづけて

『神様』川上弘美 中公文庫
 自分の好きな「奇妙な味」と呼ばれる小説だと教えていただいて読んでみた。氏の作品を読んだのは今回が初めなのだが(失礼)、たしかにこれはなんとも形容しがたい。端正さが好きな梨木香歩氏の『家守綺譚』よりも更に軽くて儚い感じがする。ふわふわとして捉えどころがなく変なのだが、怖い話というわけでもない。まさに「不思議」と呼ぶのが相応しいかも。なかでも「河童玉」みたいに飄々とした嘘くさい話は特に好きだ。なお、あとで教えていただいた話によれば、3.11の後に一部を書きなおした『神様2011』という作品もあるらしい。そのうちに読んでみたい。

『わたしの小さな古本屋』田中美穂 ちくま文庫
 蟲文庫という倉敷のユニークな古本屋の店主があちこちに書いた小文を集めたエッセイ。この店主は苔が好きなことで知られているのだが、そのせいか本書もとてもゆっくりした時間が流れている。これまで様々な古書店ガイドや古本エッセイで目にしてきた店の雰囲気そのままだ。著者はある人に「一日二十七時間ぐらいある」と云われたとの一文があったが、それもあながち間違いではない感じがする。休日にアイスコーヒーを飲みながら読むのに相応しい感じ本だ。

『反オカルト論』高橋昌一郎 光文社新書
 講談社現代新書で『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』という哲学・論理の本を出している著者が、スピリチュアリズムやSTAP細胞、超能力に占いや迷信、はては江戸しぐさまで様々な事例を俎上にあげて分析し、欺瞞を信じてしまう原因と「誤信・迷信・盲信」を防ぐ心構えを説く。前掲の三冊と同じく、肩の凝らない対話形式で書かれているので読みやすい。
 内容はまず、フォックス姉妹やミナ・グランドンらの心霊実験にまつわるインチキと、それら非科学的な欺瞞に高名な科学者やコナン・ドイルなどの文学者たちがいかに騙されたかのエピソードから始まる。中盤ではSTAP細胞の事件もオカルト事件として論じているのが痛快。(ちなみにSTAP細胞問題は今や教科書に載るレベルの「世界の三大研究不正事件」のひとつであるらしい。)なお本書でいう「オカルト」とは、本来の意味での「オカルティズム(神秘学、隠秘学)」ではなく、「オカルト映画」とか「オカルト小説」という表現で使われる意味に近い。「非科学的な言説」という程度の意味ととれば良いと思う。問題はそれらが心霊現象や超能力ではなく演者によって仕掛けられたトリックであるということだ。
 ではなぜ科学者たちはだまあされてしまうのか?著者によればそれは「科学者は常に合理的に考えることに慣れすぎているため、体験したことのないような非合理な現象に遭遇すると、逆に簡単に騙されてしまう」ということであるようだ。結論を述べてしまえば、科学的根拠と論理、つまり「学」が大事という話になるわけだが、はたして本当にそれだけで騙されなくなるのだろうか。もっと奥深い悪意に対しては別の何かが必要な気もするのだが、考えていたがそれが何かはよく分からなかった。

『屍人の時代』山田正紀 ハルキ文庫
 『金魚の眼が光る』や『人喰いの時代』などと同じく名探偵・呪師霊太郎が登場するミステリシリーズの一冊。文庫オリジナル作品で、中短篇ミステリを四篇収録する。軽い話もあるのだが、通低音のように作品全体を通じて流れているのは、旧日本軍をはじめとする大正から昭和にかけての日本の病理だったりもする。ちなみに山田正紀氏のミステリには一種独特の味があって、それは誰が何を隠しているのか最後まで判らないこと。フーダニット(“Who done it”/犯人は誰か?)でもファイダニット(“why done it/動機は何か?)でもないのが、実はこの人のミステリの魅力なのだろうと秘かに思っている。ハウダニット(”How done it/どうやったのか?)はきっちり書いてあるので「超絶技巧ミステリ」とか形容されるのだが、それだけではないのだ。シリーズを通して読んでいるうちに見えてくるのは「大きな時代の流れと一人の人間の対峙」のような気がしないでもない。呪師霊太郎は探偵であるが同時に個々の作品における狂言回しであり、さらにシリーズ全体での告発者でもあるのだろう。本書収録の作品の中では中篇「少年の時代」が、宮沢賢治や江戸川乱歩の「少年探偵シリーズ」、そして金田一耕助へのオマージュなどふんだんに盛り込まれていてとても面白かった。

『稲垣足穂 飛行機の黄昏』 平凡社
 スタンダード・ブックス叢書の一冊。『一千一秒物語』の稲垣足穂による20代から晩年までの様々な随筆の中から、著者が愛する天体や飛行機などについて語ったものを厳選。若い頃の文章では、夜空の星など実際には殆ど見たことがないとうそぶいていて面白い。この頃の彼にとって大事なのは頭の中の天体なのだ。そしてもしも青空をまっくろに塗りつぶしたら”お天道”がたちまちダンディになるだとか、ちょっとした言葉がいちいちかっこいい。ところが「横寺日記」を書いた四十歳のころにはどんな心境の変化なのか、野尻抱影の星座随筆を読みながら頭上に広がる現実の星たちを憶えていくのがまた可笑しい。
 子供の頃の思い出が書かれた随筆では、彼の創作の原点になった記憶にも通じているようで興味深い。澁澤龍彦でいえば例えば『狐のだんぶくろ』のような感じといえば判るだろうか。あと、今回著者の随筆をまとめて読んでわかったことがある。それは足穂の文章は年取ってからの方が読みやすいということだ。若い頃の文章は理念に走り過ぎて正直ちょっと解りにくい。若かりし頃の足穂にとって、天体とは現実の空に広がるものではなく、子供の頃に広告でみた天文学者や魔術師たちへの憧憬と、耳馴れぬ科学用語が醸し出す浪漫であるようだ。ロバチェフスキー空間といった言葉が説明もなく書かれるところなどはまさしくそうで、所詮は自らの頭の中の世界でしかない。宮沢賢治の詩に重なって見えたりもする。
 蛇足であるが最後にひとこと。天体と同じく飛行機をこよなく愛した足穂によれば、飛行機の「花」はライト兄弟からわずか10年しか続かなかったのだそうだ。そしてジェット機のような「矢型」の飛行機はもはや鳥とは言い難く、まるで悪魔の尻尾を思わせるとも。「あらゆる「便利なもの」は手段では有り得ても、目的であることは不可能である」という彼の言葉を目にすると、便利なだけの技術を嫌悪して空や風と人が一体になることを理想とした足穂の気持ちが判るような気がする。

2016年8月の読了本

 親の介護の話は兄貴と協力しながら徐々に進めている。残りの余暇についても、7月は読書会、8月はSFシンポジウムの対応で時間をつかったこともあり読書はなかなか厳しい状況が続いている。(でも読書会とシンポジウムは準備の甲斐あってとても充実したものになったので良しとしよう。)
 さてそんなわけで今月も読めたのはたったの2冊。時間が取れない分、選書にはこれまで以上に気を遣っているので、どちらも面白い本だった。(しかしこのペースだと、ストレス解消のために買う量が増えているのと相まって、本が溜まっていくなあ。どうしよう。/苦笑)

『怪談四代記』小泉凡 講談社文庫
 副題は「八雲のいたずら」。小泉八雲の曾孫にあたる民俗学者が、八雲に関するエピソードを語るエッセイ。八雲に関わる世界各地の人々との交流や、それにまつわる不思議な体験の思い出がとても面白い。そして図らずも、優れた小泉八雲論にもなっている。八雲の足跡を辿る著者自身の旅行記も面白いのだが、ところどころに挿入される曾祖父・小泉八雲やその息子(著者の祖父)である民俗学者・小泉一雄の著書からの引用がまた愉しい。(八雲:『明治日本の面影』、一雄:『父「八雲」を憶ふ』など)本書を読んでいるうち、それらの本も読みたくなってきた。こうしてまた読みたい本が増えていくのだ。(笑)

『魔法の夜』スティーヴン・ミルハウザー 白水社
 ローラにハヴァストロー 、クーパーやダニーにリンダ、そしてショーウィンドウのマネキンたち……。老若男女、人生の憂さに身を焦がし、満たされぬ思いを抱える全ての者たちの上に、月の光と夜の声による魔法の夜が訪れる。心に残る佳作。
 ミルハウザーは面白いのだが何となく腑に落ちないところがあって、それほど良い読者ではない。でもこの本はとても面白く読み終えることが出来た。自分が大好きなジョン・クロウリー『リトル・ビッグ』もそうだが、直接言葉にできないものを様々な描写の積み重ねで徐々に暗示していく話が好きだ。

2016年7月の読了本

『カエアンの聖衣〔新訳版〕』バリントン・J・ベイリー ハヤカワ文庫
 大学時代におおいにハマったSF作家B・J・ベイリーの目くるめく奇想小説。長らく入手困難な状態が続いていたが、ようやく大森望氏による新訳版が出て再読することが出来た。(とはいっても買ってからしばらく積んであったのだが。/苦笑)内容は「ワイドスクリーン・バロックの代表作」という名に恥じない奔放かつ奇怪な物語。謎が謎を呼ぶ服飾家ペデルのパートと、まるでガリヴァー旅行記のように異世界と著者お得意の疑似科学が炸裂する文明学者アマラのパートが交互に描かれ、やがて渾然となって驚くべきラストに収斂する。
 本書はベイリーの作品の中でも特に気に入っているもので、旧版は何度読んだかわからないほど。今回読み返してもやはり傑作の印象は揺るがなかった。ベイリー作品は、思弁小説の極北ともいえるスタニスワフ・レムとはまた違った意味で、SFのもつ醍醐味とわくわく感の一体という理想的な姿を体現しているのかも知れない。キャラクターの扱いは徹底してドライで、ただ物語の一要素としてのみ存在するので、普通の小説のような登場人物への感情移入を拒むところは、少し読みにくいと感じる人もいるかも知れないが、破天荒こそが魅力のワイドスクリーン・バロックにおいて、珍しく物語が破綻していない本書などは、ベイリー作品の中でもっとも人にお薦めしやすい一冊と言えるだろう。絶妙なバランスの上に成り立っているまさに奇跡のような作品だと思う。

『王女マメーリア』ロアルド・ダール ハヤカワ・ミステリ文庫
 物語の名手ダールによる大人のためのメルヘンを9作収録した日本オリジナル編集の一冊。全編に漂う毒とあっと驚く展開がダールの真骨頂。知らぬ間に中毒になっている恐ろしさがある。収録作はどれも良いが、特に好みなのは「ボティボル氏」「執事」「外科医」「王女マメーリア」あたりだろうか。

 ※先日、「7月が過ぎれば若干はおさまる」と書いたのだが、親の介護問題に直面して
   自由な時間をごりごりと削られている状態が続いている。他の私用も重なったため、
   7月に読めた本はわずか2冊(!)という体たらく。8月になっても状況は大して変わっ
   ていないため、これからはたしてどうなることやら。(ストレスで本を買うペースは
   むしろ加速しているので、読めない本が積まれる一方なのは困ったものである。)
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舞狂小鬼

Author:舞狂小鬼
サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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