『ピエール・リヴィエール』 ミシェル・フーコー編著 河出文庫

 一般に良く知られているように、フランスの思想家M・フーコーが生涯をかけて追究したテーマは、「権力」が生まれ、維持・強化されていくそのメカニズムだった。そこにはおそらく、現代社会を分析しても我々の目は憶断で曇らされていて正しい洞察を得ることが不可能、という認識があったにちがいない。(フーコーに限らず、レヴィ=ストロースやバルトなどに代表される「構造主義」自体がもともと、固定化された従来の物の見方を否定するのが目的だったという話もあるけど。)
 現代社会を直接的に分析することが出来ないなら、どうすれば良いのか? そのためにフーコーがとった戦術は、「過去の社会を今の視点で分析する」ということだった。それは、鋭敏な嗅覚をもってあらゆることに疑いの目を向け、当時は当たり前と思われていた事実の中に今の視点から見ていびつな部分、矛盾や軋轢を見出すということ。そしてその結果を現在に敷衍することで(今の我々の目から隠されてしまっている)権力の仕組みを明らかにしようとする試みであり、それがかの有名な「知のアルケオロジー(歴史学)」である。 ― ということで多分良かったと思うけど…。(笑) なんせ今までフーコーについては著作そのものではなく、解説書しか読んでないもんで。

 ところで前述の「権力」という言葉には、すでに色々と余剰なイメージがまとわりついているので、ちょっと補足が必要だろう。フーコーが追い求めていた「権力」は何かというと、要するに「自分の周囲に対して何かを強制できる権利(=強制力)をもつモノ」のこと。「権力」といっても必ずしも国家権力のようなものばかりではなく、学校や病院、職場や家庭の中など、制度や階級・順列が生じる場所にはあらゆるところに「権力」は発生するし、特定個人に起因するだけでなく社会的な制度そのものに「権力」を発生させる要因があるといえる。それを初めて明らかにしたのがフーコーの偉いところだ。

 と、前ふりはこれくらいにして、本題に移ろう。
本書はフーコーの主要な著作としてはおそらく初めて文庫になったと思われる。(大体がフーコーの本って高すぎるんだよねえ。選書や新書で出てる解説書を色々買って読むくらいで、『監獄の誕生』や『狂気の歴史』といった主要著作は(面白そうなんだけど)まだ一冊も買えてない。本書でちょっとだけ溜飲を下げる事が出来てよかった。)
 なお正確にいうと、本書はフーコーが単独で執筆した本ではなく、彼がコレージュ・ド・フランスで10名ほどと開いたゼミナールで実施された、共同研究の報告書である。(参加者が少数精鋭だけに、本書を書いている人は誰も彼もムチャクチャ頭が良い。/笑)

 さて、そんな彼らが着目した案件は何かというと、19世紀のフランス農村部でおこった殺人事件だった。ピエール・リヴィエールという青年が自らの手で、実の母親と妹、それに幼い弟の3人を鉈で惨殺したという痛ましい事件であり、それに関する古い公文書(公判記録)や新聞記事を題材として当時の権力構造を読み解いている。
 とりあえず、事件に関する事実関係について以下に列記していこう。

  ■ある青年が自分の母親と妹、弟を鉈で殺害した。(様子が目撃されているので罪状は
   間違いない。)
  ■本人は殺害後に「父親を救うためだった」と言い残して、悠然と現場を立ち去った。
   (逃げる様子は無かったが、その後行方不明になり、最終的に捕まったのは1カ月以上
   経ってからだった。)
  ■警察の捜査による聞き取りで、青年が子供の頃から起こしていた奇矯な振る舞いが
   分かってきた。近所の人には以前から「白痴」「魯鈍」と思われていたらしい。
   (これによって、精神異常者による突発的な犯行の疑いが強まる。)
  ■やがて犯人が逮捕されるが、その時の様子も「少しおかしい人」のような感じだった。
  ■本人の申し出により「手記」が書かれることに。やがて「手記」は完成したが、それを
   読んだ者はみな驚愕した。そこにはどう見ても正常、いや普通の人よりもよほど聡明な
   人物の心情の吐露が書かれていた。
  ■当時、肉親殺しは王殺しにも匹敵する重罪とされていて、一般的には「死刑」が求刑
   されることになっていた。しかし原因が精神異常の場合は「無罪」になることもある。
   はたしてピエールの精神は正常なのか異常なのか? 関係者の判断は揺れ動く…。

 とまあ、大雑把な流れは以上のような感じ。では何故、ゼミナールでは殺人事件の記録を研究対象としてとりあげたのだろうか? その理由は2つある。ひとつは公式書類が豊富に残っているので分析が行いやすいことで、もうひとつは19世紀フランスの殺人事件(とくに農村部におけるそれ)には、社会制度のひずみが端的に現れやすいことのようだ。
 本書によれば、封建社会(絶対王政社会)において農民から税を徴収する権利(権力)を有していたのは、領主や国王という「実在」だったが、1789年に起こった市民革命により封建制度が壊れた後、その権力は「契約」という目に見えない形に姿を変えて維持されるようになったという。一見、農民は自由を手に入れたように見えるが単なる見せかけに過ぎず、実は権力の担い手が変わったのち(*)、それが巧妙に隠されたに過ぎない。その隠された権力の仕組みに亀裂をいれて明るみに出すのが、ピエール・リヴィエールの事件に代表されるような、当時の農村で頻繁に発生した殺人事件であるというわけ。

  *…「真実」や「公正」の名のもとに権力構造を奪取してのち、今度は自らがその
    立場になって権力を維持しようとする市民革命の担い手たちのこと。

 フランス市民革命がおこる原因となったのは、ルイ16世ら当時の国王たちによる「目に見える横暴・社会矛盾」であり、それに対して民衆は剣を持って立ち上がった。では新たに発生した「契約による搾取」という「目に見えない横暴・社会矛盾」に対してはどうかというと、自らの身を持ってそれを示してくれたのは、ピエールのような犯罪者達だったのだ。(このあたり、まさにフーコーお得意の「知のアルケオロジー(歴史学)」の手法が冴えわたっている。)

 本書には長短とりまぜて数多くの文献が収録されているが、何といっても白眉は(フーコー達も絶賛しているように)ピエール自身によって獄中で書かれた手記だろう。つたない文章ではあるが、真摯に語ろうとする姿勢が素晴らしい。「精神異常」と思われてきた人物の言葉なので、書かれている内容をどこまで信用すべきか?という問題は付いて回るが、(一見した限りでは)肉親を殺害するに至った理由が極めて論理的に述べられていて、最終的に「殺すしかない」と思い詰めた被告の心理にも思わず納得できてしまう程。
 実は殺された母親は、今でいうところの人格障害者であったと思われる。彼女は極度の被害妄想と反社会的な性向をもち、身内の人間を傷つけ困らせることに執念を燃やすタイプだった。そんな母親が「結婚契約書」の名のもとに夫(ピエールの父親)を長年に亘って苦しめ続けたことが事件の背景にある。母親が父親を苦しめるためだけにわざと引き起こすトラブルに毎日気も狂わんばかりの父親の様子をみて、心を痛めたピエールはついに、”悪魔”のような存在である母親、母親そっくりに育った妹、そしてまだ訳も判らず母親を慕う弟の3人をこの世から消してしまおうと決心する。手記には犯行を実行するまでの煩悶と、逮捕されるまでの思いが切々と綴られている。

 白痴、魯鈍と周囲から思われ続けていたピエールが、実はこれほど明晰な頭脳をもつ感受性豊かな人間だったとは…。しかし皮肉なことに、もしもピエールが手記に書かれている通りのまともな人間だとしたら、(同情すべき点は多々あるが)「尊属殺人罪」で極刑は免れないことになる。なぜなら、まだ当時は近代司法制度の黎明期であって、「情状酌量による減刑」という概念がまだ定着していかったのだ。(あるのは国王らによる超法規的な「恩赦」という制度のみ。)
 抜け道がただひとつあるとすれば、当時大きな力を付け始めていた近代医療制度によって広められた「精神異常による行為の場合は、本人に罪を問うのは無理」という考え方のみ。そこで本事件の公判にあたっては、ピエールの精神は正常か否か?という判定と議論が繰り返されることになる。なお念のために司法と医学のスタンスをまとめると以下のとおり。

  <司法の立場>
   生まれながらの残虐な犯罪者として裁かざるを得ない。⇒死刑
  <医学の立場>
   生まれながらの精神異常者として哀れむべき存在。⇒無罪
   ただし野放しは駄目で、病院に収容して治療すべき(=医学的隔離)

 余談だが、「狂気」とは一体何か?という定義付けは、結局のところ現在でも答えに窮する問題だと思われる。したがって上記の医学の立場のように、その判断を周囲から本人に押し付けることは、ひとつの「権力」の形の表れであるといえる。当然ながら司法制度は明らかな権力構造のひとつであるので、ここに「監獄への収監(by司法)」か、「精神病院への収監(by医療)」かという、2つの権力機構のせめぎあいが見て取れることになる。
かように、普段は見えない権力構造が明るみに出るのは、親殺し(=王殺し)や人肉喰らいといった極限犯罪が発生し、それを裁かざるをえなくなった時、その一瞬だけである。その瞬間だけ、新たな権力の担い手である「法」と「医」が、”正義と悪”あるいは”正常と異常”の線引きをするのが垣間見えるのだ。すなわち狂気の線引きは社会的・政治的な判断による恣意的なものにすぎず、社会の意識や時代によっても変わるのだということを、フーコーらは端的に示したことになる。(注:ただし医療対象としての精神病は別物。あくまでも権力構造が明るみに出る時点での線引き基準のことなので誤解しないように。)

 話を戻そう。最終的にはピエールに「狂気」は認められないとして死刑の判決が下った。(現在なら情状酌量で何らかの減刑の後に刑務所への収監がなされるような事件であっても、当時は死刑しか選択肢がなかった。)しかし、いくら社会正義の名の下に死刑を行うにしても、「正しさ」を絶対的な価値基準として確立しないことには倫理的な問題は残る。その重荷は、陪審員にはとうてい精神的に耐えられるものではない気がする(**)。
その為だろうか、本件においては被告に対していったん死刑判決が下されたのち、改めて国王(=復古王政のルイ・フィリップ)による恩赦で、終身刑に減刑されるという経緯を辿った。(もっともピエールは自らの良心の呵責に耐えかねたのか、結局4年後に獄中で自殺してしまうわけだが。)ちなみに同時期にフィリップ王の暗殺を試みた者たちは、逮捕された全員に対して死刑が執行されている。

  **…司法関係者の制服は黒い法衣であって、その理由は「いかなる色にも染まらない
     (=公正の証)」なんだとか。人を裁くというのはかなり精神的にタフでなければ
     やっていけないんだろう、やっぱり。

 話は変わるが、本書には裁判で証拠として提出された資料のほか、当時の「三流新聞(大衆新聞)」によって伝えられる記事も収録されている。事件が発生してから犯人が捕まるまでの様子を煽情的な文章で伝えているが、それを読むと、上からの目線による「紋切り型」な表現で出来事が解釈され固定されていくのが見て取れる。それによってその後の「歴史・物語化」が決定されていくわけだから、これもまたある種の「権力」の現れといえるかもしれない。

 『殺す権利』と『許す権利』、そして『物語る権利』。 ――本書で見えてきたこれらの「権力構造」の一端は、フーコーの主著である『狂気の歴史』にはじまり、『監獄の誕生』や『性の歴史』などへと続く研究で暴かれていくことになるのだろう。(値段が高いのでどれひとつ買ってないし、市立図書館にも無いので読めてもいない ^_^;)

<追記>
 ネットで書評を捜していたら「ピエール・リヴィエール」という名の賃貸マンションがあるのを発見! 場所は東急・田園都市線の桜新町だが、この物件を担当した人、意味を知ってて付けたんだろうか? さしずめ「メゾン宮崎勤」とか「グランパレス宅間守」みたいなもんじゃないのか?? ちょっとマズイよねえ。
 ご丁寧にも物件情報にツイート機能を(本書が発売されるちょっと前に)付けてしまったばっかりに、しっかりこの本のことを書きこまれているし。(笑)
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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