『砂漠の修道院』 山形孝夫 平凡社ライブラリー

 著者は宗教人類学を専攻する研究者であって、文献に基づいた研究調査の傍らで原始キリスト教の姿を今に伝えるコプト教(=エジプトに伝わるキリスト教)の修道院を定期的に訪れてもいる。本書は、その10年間あまりにもなる体験をもとにつづったエッセイ(というより、もろにフィールドノート)。先日読んだ『聖書の起源』(ちくま学芸文庫)がめっぽう面白かったので、同じ著者の作品ということで読んでみた。全体は2部構成になっていて、前半が修道僧たちとの交流の記録、後半の方は少し論文調で学問的な色合いが濃く、「修道院」が生まれるに至った歴史的な背景などが書かれている。
 あまり日本人には馴染みがない「修道院」というものにちょっと興味があったし、宗教施設のもつ一種独特な(禁欲的?)雰囲気もさほど嫌いではないので(*)、本書も面白く読み終えることが出来た。

   *…もちろん狂信的なのは遠慮したいが。(笑)

 以前、山口昌男だか誰かの本で、「文明の“中心”から“周縁”に行けばいくほど、過去の文化や風習が純粋な形で残りやすい」という話を読んだことがある。それと同じ理屈でいえば、原始キリスト教の雰囲気はローマカトリックやプロテスタントなど西ヨーロッパの信仰からは既に失われてしまって久しいが、エジプトや東ヨーロッパには色濃く残っていると言えるかもしれない。確かに本書を読む限りでは、コプト教には古の修道院の様子や純粋なキリスト信仰の在りようが、今でもしっかりと残されている感じがする。
 それではキリスト教における「純粋な信仰の在りよう」とは何か? 他の宗教ではどうだか知らないが、少なくともキリスト教において「純粋な信仰」とは、どうやら俗世間(日常生活)からの“逸脱”ということらしい。日常生活とは切り離されて特権的に聖化された存在(=神)に少しでも近づくことが、ユダヤ教からキリスト教、そしてイスラム教へとつづく一神教の流れ(=「経典の民」たち)における信仰の中核をなしているようだ。本書を読んでいくと、そこいらへんの理屈が何となくわかってくる気がする。

 本書によれば、イエスの時代からもともとキリスト教の原義には社会を逸脱する傾向が強かったとのこと。砂漠地帯の部族による地方宗教に過ぎなかった頃はもちろんのこと、ローマ帝国の国教になってヨーロッパ全土に広がってからも、そののち教義の解釈を巡って様々な宗派が生まれたのちもその傾向は変わっていない。決められた社会的な枠(ルール)や個人的なしがらみを捨て去って漂泊し、教義の探求を極めることへの憧れは、キリスト教の信者達(とくに信仰心が強い修道士たち)の間に後年まで強く残っていた。かれらは家族を捨てて信仰の道へと入っただけでは飽き足らず、さらに信仰の場としての「教会」すら捨てて、ひとりで荒地を彷徨い歩いていたらしい。アイルランドにおいては修道士の脱落があまりに増え、ついに教会組織の存続すら危ぶまれる状況になった。その結果、彼らの脱落/漂泊を規制するための手段として荒地の真ん中に修行の場としての「修道院」が生まれることになった。(つまり修道院は、教会と修道士のいわば妥協の産物として生まれたということ。) 余談だが、前記のような背景もあって、教会自体を地上の世界から神の秩序の世界への漂泊の手段とみなす「旅する教会(エクレシア・ペレグリウス)」や、「巡礼者である教会(エレクシア・ヴィアトルム)」という表現が今でも残されているそうだ。(**)

  **…仏教でもなんだか似たような考え方はあって、一休や仙らがその生涯の在る時期
     に寺を出て漂泊したのにも似ている。どんな宗教でも信仰を突き詰めていくと、
     最終的にはそういうところに至るということなんだろうか?

 世の中、現世に疲れた時には永遠の価値、フヘン(不変/普遍)の価値を持ったものを求めたくなるもので、それが故に宗教の世界に足を踏み入れていく人は後を絶たない。本書の前半部には、修道士への道を選んだ人々との交流を通じて、もともと敬虔な信仰をもった人々が行き詰まりを感じた時にはどうするのか?について記されている。そしてそれらの人々がさらに純粋な信仰への道(=修道士への道)を歩もうと決意したとき、修道院さえ捨て去り(神のための)離脱者/逃亡者への道を選んでいく姿も。(最終的に彼らの将来に待っているのは、多くの場合は体が衰弱することによる死なのだという。これってまるで仏教でいう即身成仏や補陀落渡海のよう。)
…これだけストイックな姿を見せつけられると、宗教の本質って何なのだろうと考えてしまう。そこまで苦しみ抜くだけの価値が宗教にはあるのだろうか?

 話が重たくなってしまったので、少し話題を変えよう。
 コプト教にまつわる話として、古代のキリスト教から今のローマカトリックが成立していく過程に関して、面白い話題がのべられていた。山形によれば、当時のキリスト教における最大の対立要因は、『はたしてイエスは生まれた時から神であったか否か?』ということであったとのこと。
 十字架に架けられた後のイエスが神として復活したのは疑い得ないとして、問題は「イエスはマリアから生まれたときから神だったのか?」それとも「最初は人間として生まれ、のちに神となったのか?」これが当時の教会にとっては非常に重要な問題だったらしい。
 罰あたりと言われてしまうかもしれないが、異教徒である自分からすると「そんなことどっちでもいいじゃん」と言いたくなってしまうが(笑)、当事者にしてみれば大変な違いなのだろう。その昔に隆盛を誇ったネストリウス派などは前者の「キリストはもとから神と同一(=キリスト単一説)」という立場をとり、ローマカトリックは後者の「キリストは人間に生まれて神となった(=三位一体説)」を唱えた。やがてネストリウス派は「異端」の烙印を押されて衰退していくことになったが、その立場を今でも色濃く残しているのがコプト教なのだと山形は言う。したがって宗教人類学を専攻する立場としてコプト教を研究したいという気持ちは、とてもよく理解できる。
ロシア正教などの東方教会でもイコン(聖像)が大切な崇敬対象になっているなど、ローマカトリックとどことなく違う感じがしていたが、あれは「もうひとつのキリスト教」の姿を残したものだった訳だ。

 これに絡んで、今ふと思いついたことがある。
 ラテン系の国ではなぜか聖母マリアに対する信仰が非常に盛んだが、これはもしかして先程のキリスト単一説と三位一体説の対立に起因しているのではないだろうか。もしもキリストが最初から神であったとすれば マリアは「神の母」ということになる。とすればイエスと同じくマリア自身が特別な崇拝の対象になっても不思議ではない。一方、もしも三位一体の立場をとるならマリアは単なる「人間イエスの母」でしかない。それなら唯の人なので、敬愛はされても崇拝の対象にはなりにくいだろう。マリア信仰が過去から何度もバチカンによって抑圧されたという話をどこかで読んだ気もするが、それもキリスト単一説を異端とした経緯からすれば当然のことになる。(特に詳しく調べた訳じゃなく、単なる直感による推測にすぎないけれど。)
 ふーむ、これはそのうち同じ著者による『聖母マリア崇拝の謎』(河出ブックス)も読まざるを得まい。推測は当たっているだろうか? あたってたら嬉しいなあ。
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