『ぼくらの頭脳の鍛え方』 立花隆・佐藤優 文春新書

 二人とも文句なく“凄い”人なんだけど、その“凄さ”は少なくとも自分には必要ないものに思えてしまう。たとえば『教養』という言葉の捉え方においても、自分は“人生”(というのが言い過ぎなら”生活“)を楽しみ、より充実して過ごすための手段と考えているが、どうやら彼らにとって『教養』とは、それ自体を取得することが人生の目的であるようだ。二人からは読み方が浅いと言われてしまうのかもしれないが、少なくとも「全人的」なるものを目指すといった発言を読み進んでいくうち、「なんか違う」という違和感が段々と膨らんでいくのは事実である。
 二人の発言に感じるもうひとつの違和感は、彼らが目指す「全人」というのがどこを最終のゴールとしているか?という点。必須の教養として軍事に関する知識や戦前の右翼の思想書を紹介されても困惑してしまうだけである。「○○を理解するには必須の参考書」とか「○○思想の限界を知る上で重要」とか言われても、「そもそも理解する必要はあるのか?」と感じてしまう以上、今後おそらく本屋で見かけたとしても手を伸ばすことはないだろう。複雑化した現代社会を完全に理解するためには、超人的な知識量と理解力が必要になるのは分かるし、自分にはそこまでの素質がない事も充分理解している。でもその上でこれだけは言っておきたい。世界の全てを理解することが目的ではなく、大切なのは「何のためにそれらを理解したのか?」ということではないのか。
 現代社会のあらゆることを完璧に知ることなど不可能な以上、理解することが目的である限り本来のスタート地点に立てないのではないのか。いつまでも自らの特権的な立場を守りつつ、批判や評論を繰り返すことに終始するだけではないのか...。折角の教養もそれでは単なる宝の持ち腐れだろう。なにしろ、文句ばかり言ってるだけじゃ人生つまらない。
 正しい知識をもたず盲滅法に暴走してはダメだが、やはり行うべきは評論ではなく創造ではないのだろうか。そういった意味で、竹田青嗣や柄谷行人は(いろいろと揶揄・批判する人はいるかも知れないが)やはり偉いと思う。べつに立花隆自身が嫌いになった訳ではないけれど、これからはこの人の新作を読まなくなりそうな気がする、そんな予感に満ちた読後感の本だった。

<追記>
 立花隆は『サル学の現在』や『サイエンス・ナウ』『精神と物質』『臨死体験』のような、科学・医学系のノンフィクションが一番好きだな。政治が絡むとどうしても主義主張が出てくるので、納得できないと読むのに結構つらいものがある。
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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