『「名づけ」の精神史』 市村弘正 平凡社ライブラリー

 法政大学教授である著者が、社会の様々な形相における矛盾に対して考察を加えた評論集。思想史や社会哲学を専門とする人だけに、取り上げられたテーマは社会のありとあらゆる分野に及んでいる。初出誌が「ちくま」とか「マリ・クレール」や「日本読書新聞」といえば、雰囲気が何となく分かってもらえるだろうか? これらの種々雑多な文章に共通性を見つけるとすれば「テーマ性」ではなく、それらの文章を貫いている「著者の視点」ではないかと思う。
 市村が注目するのは常に社会の病巣が露呈しているところであり、そのメカニズムを解くのに用いられるのはいわゆる「社会的弱者」と呼ばれる人たち。もしも社会が病んでいるのであれば、その病んでいる社会から「異常」というレッテルを張られたもの達に焦点をあてることで、病巣を逆照射することが出来るというのが(おそらく)著者の基本的な考え方のようである。そして「異常」というレッテルをはられるのはいつも弱者というわけ。
 具体的に言えば第1次大戦後ドイツ・ワイマール体制下における失業者たちの群れであるとか、江戸の周辺に吹き溜まった最下層の人々の「穢れ」であるとか。または『知覚の呪縛』(ちくま学芸文庫)における、精神分裂病(統合失調症)の患者との対峙であるとか。それらを巡る全部で11の文章が本書には収められている。
 内容は非常に真面目かつ難しいもので、ちょっと気を抜くと論旨が分からなくなってしまうという緊張感がある。個別の文章についてあれこれ言う気はないが、全体を通してのトーンはだいたい次のようなものと言って良いと思う。(もしも自分のつたない理解が正しいとすればだが。)

『世の中がこのまま弱者・敗者を「無いモノ」にするのであれば、我々の社会自体もやがては
 崩壊していく。それを防ぐために我々は何をすべきなのか?』

 著者は懸命にその先を模索しているように取れるが、本書を読む限りおそらく著者にも具体的な方策は見つかっていないのだろう。でもそれに向けた努力を続けるのは重要であり、漠然とではあるが「我々がとるべき戦略」が著者には見えてきている、そんな気もする。

 それでは市村が考える「とるべき戦略」とは何だろうか。
 それを簡単にまとめるとすれば、要するに「この世のありとあらゆる出来事やそこで生きる人々の“生の意味”が、まだ生き生きとしていた過去のある時点まで遡って、そこから今の現実を見返す」ということ。両者を比較することで、我々が過去に置いてきてしまった大切なものが見えてくるのではないか? そのあたりの話が、表題作や「逆向きに読まれる時代」などの短文で(ちょっと回りくどく)書かれていることに相違ない。
 以上、『知覚の呪縛』の後書で触れられていたので読んでみたが、予想以上に「地味」な本だったのでびっくり。ブログもまるで新聞に載ってる書評みたいな内容になってしまった。
 でもまあ、たまにはこんなのもいいか。(笑)
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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