『他界をワープする』 小松和彦/立松和平 朝日出版社

 文化人類学・民俗学の分野で活躍していて妖怪文化研究の第一人者である小松和彦と、作家の立松和平が1993年に出した対談集。もとは心理学や哲学、分子生物学など様々な分野の専門家が(その道の素人である)作家らに対してレクチャーするシリーズの一冊として上梓された本だが、どうやら好評だったらしく、2004年には『他界への冒険』と改題されて光文社文庫から出されている。
 対談のテーマが自分好みだということを差し引いたとしても、本書は対談集としてほぼ理想的な仕上がりではないかと思う。民俗学については”初心者”である立松和平が出した、「他界」にまつわる疑問に対して、講師役の小松和彦が答えるという体裁をとっているが、立松の疑問も小松のコメントも、どちらもなかなかに鋭い。

 印象に残った話を幾つか挙げてみる。例えばはこんなやりとりがある。
 立松が「(“神”でも“霊界”でも何と呼んでも良いが、)人智を超えたものは果たして本当に存在するのだろうか?」という思い切り”直球”の質問を投げると、小松和彦は話題をはぐらかしも誤魔化しもせずに次のようなコメントで打ち返す。「あるかどうかはわからない。しかし“ある”と考えた方が、社会が上手く回るのではないか。」
 ― この感覚、すごく理解できる。これは前に中沢新一が“愛”についても同様の回答をしているのを読んだことがある。「”愛”は数学における“虚数”と同じ、あると想定すると上手くいく」これ、ニュアンスがまるで同じではなかろうか。もしくは京極夏彦が『狂骨の夢』で書いていた「あの世はある、ただし死んだ人にではなくこの世に残された人の心に」というセリフとも通じる。(*)
無理やりシロかクロかを決めるよりもよほど大切で役に立つことが、世の中には沢山あるんだよなあ。

   *…うろ覚えなのでこの通りの言い回しではなかったと思う。
      調べるのも面倒なので悪しからず。

 こんなのもある。立松が自分の祖父から直接聞いた話で、祖父が山で迷ってしまった時の体験談とのこと。
 祖父が迷っている間に「切り立ったものすごい崖」や「岩をかむばかりの谷川」を超えて、最終的には救出され九死に一生を得たという話だった。しかし立松が後日、祖父の話に出てきたとおぼしい崖や谷川へ行ってみると、それほどすごいところではなかったという。そのとき立松が感じたのは、祖父の精神が異常な状態になっていた為に、感覚が通常と異なって認識されたのではないか?ということ。
 ― ちなみに昔から伝わる他界の描写(イメージ)は、もしかするとこのような体験から生み出されたのかも。民俗社会では古来「神がかった」とか「憑き物がついた」と言われる現象が多くみられた。前述のような異常な精神状態(いわゆる「トランス状態」)に、自分の意思で自由に出入り出来る能力を持った人が、「シャーマン」と呼ばれる人々だったとのこと。(もっとも今ではすっかり神秘性も薄れてしまい「ハイパーモード」とか、もしくは『ドラゴンボール』にでてくる「スーパーサイヤ人」みたいなイメージしかないが/笑)

 興味の赴くままに話はあちこちに飛び、「桃太郎」や「ものぐさ太郎」などの説話の構造について分析した内容もある。初心者(立松和平)にも良く分かるように、かみ砕いて説明してくれているので、われわれ一般読者が読んでも分かりやすく面白い。中でも特によかったのは、「ものぐさ太郎」の構造分析のくだり。
 普通の昔話はたいてい農村を舞台にしていて、正直者が得をするとか他界(=村の外の世界)から富がもたらされるとか、物語を動かす論理も農村(=冷たい社会)に即した論理で語られているケースが多い。もしくは稀に「一寸法師」のように中世の都市(=熱い社会)を舞台にしている物語では、話術やトリックによる「カタリ(語り/騙り)」が中心の「街の論理」で話が進むかのどちらか。小松によると、そもそも農村と都市では社会を動かす論理の基盤が異なっているそうだ。物語は普通どちらかの立場(論理基盤)からしか描かれずに、もう片側は他界として茫洋とした書き方になってしまうらしい。その理由は、物語の作者自身も必ずどちらかの社会に属しているため、もう片方の社会には詳しくないから。
 ところが「ものぐさ太郎」は違う。前半は農村が、そして後半は街が舞台になるが、どちらの社会の論理も正しく語られている。具体的には、農村では働きもせず寝てばかりいる太郎が排斥される描写で、そして町ではトリックスターの太郎が口先一つで世の中を亘っていく一種の“ピカレスクロマン”として。
 これはおそらく両方の社会に通じている人が作ったからに違いないと小松は推測している。そういった意味で、「ものぐさ太郎」はとてもユニークな昔話なのだそうだ。

 対談者の片方が発した言葉が相手の思いがけない反応を引き出し、お互いの相乗効果で対話がはるか高みへと導かれていくこと、これこそが対談集を読む醍醐味だろう。立松の後書きによれば、2人の会話はノリにのって10時間以上も続いたとのことだが、その熱い雰囲気は行間からも充分に伝わってくる。
 まさに至福の読書体験とはこういうことを指すのだろうか、稀有な体験だった。
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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