『探求Ⅰ・Ⅱ』 柄谷行人 講談社学術文庫

 柄谷行人の文はとても明解で文意がわかりやすい。哲学・思想書の類はわざと(?)回りくどい表現をしたり、どうみても作文が下手としか思えない文章を垂れ流す輩が多いが、少なくとも柄谷においては文章の意味を測りかねることはない。その上で中身についてだが、これも面白かった。
 従来の多くの議論は、いわゆる「概念的」だとか「共同」という言葉で表現される、いわば“共通のルール”を暗黙の了解にしていた、ということが多くのページを割いて執拗に追及される。そして、問題はそこではなく、まったく共通ルールがない真の意味での「外部」との出会いをどう認識するか?(ここの所、うまく表現できないが...)という点にこそ、昔から数多くの思想家達が追及してきたテーマの隠された主題があり、その点に気づいていたのはデカルト、スピノザ、ニーチェ、そしてマルクスやヴィトゲンシュタイン(=「言語ゲーム」)など一部の思想家にすぎなかったと柄谷は言う。とてもスリリングで説得力のある論考で、ひとつひとつ積み重ねられる論証を読み進めると、非常に納得感がある。
 コミュニケーションに着目したとき、共通の「言語ゲーム」に参加していない対象とのやりとりは、『資本論』でマルクスが論破したようにまさに“命懸けの飛躍”が必要なのだという件は、西洋的な考えが世界中を覆い尽くしている今、そして過去の思想的遺産と断裂してしまっている自分たちを振り返ってみたとき、この閉塞感を打ち破る一つの手段として重要なものかもしれない。松岡正剛を呼んで面白いと思える理由にも実はつながっているのかも。
 共通認識がいかに構築されるかという分析は、『マーケティングの神話』で感じたことともつながっている。(社会文化やその時代時代の常識は、運動会の大玉ころがし競技でつかう大玉のようなもの。皆でささえているため、一人が動かそうとしてもすぐには動かないが、全員が加える力によっていかようにも移動していく。)
 また、SFでいえばおそらくレムかストルガツキー兄弟くらいしか、この点についての認識をもって物語を作っていなかったように思える。もっとも、ストルガツキーは不完全な形でしか掘り下げてはいなかったが。
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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