『疫病と世界史(上・下)』 W・H・マクニール 中公文庫

 本書は著名な歴史家である著者が、人類史において疫病が如何に多くの影響を及ぼしてきたかについて分析した本。今では割と常識になっていることも書かれているが、それはこの本で紹介された内容がその後、いかに人口に膾炙したかを示すものであり、1975年の刊行当時にはおそらくエポックメイキングであったろうと思われる。
 取り上げられている疫病は数多いが、影響の大きさから天然痘・ペスト・コレラなどに多くのページが割かれている。期間としては歴史として残っていない人類の黎明期から20世紀までと幅広い。また検討対象とする地域はヨーロッパ、中東、インド、そして中国をはじめとする東アジアから南北アメリカまで多岐にわたっており、まさに全地球規模での人類の歴史を総ざらいしている。ただし残された記録の量や本人がカナダ出身ということもあって、言語の都合もありどうしても西洋中心の分析になるのはやむを得ない。中国など他の地域については後進の活躍を望むという記述もあって好感がもてる。記録が無いところは状況証拠などを用いて一部推測も交えて述べているが、論旨は明快で強引なところもなく概ね納得できる。しごく「真っ当」な学術書である。

 バクテリアや細菌による疾病は、それらに遭遇したことがなく体内に免疫を持っていない社会に侵入したとき、主に成人に対して破滅的なダメージをあたえると著者はいう。(まるで先般の新型インフルエンザのよう。)そしておよそ50万人の規模を超える集団が罹患した場合、宿主から宿主へと継続して伝染することが可能となって被害が極めて甚大になるとのことである。これが歴史を変えるほどに影響を与えた例としては、ピサロたちスペイン人による南米のインカ・アステカ文明の侵略と滅亡が極めてわかりやすい。わずか数百人のスペイン人によって数百万人の帝国が征服されてしまった陰には、彼らが持ち込んだ天然痘により成人の半数以上が死亡するという異常事態が隠されていたということを、著者は丹念に説明していく。他にもキリスト教がローマ帝国で隆盛を得た理由であるとか、世界史の影で影響を与え続けた疫病について、上下巻に亘って詳しく述べられている。

 少し余談になるが、梅棹忠夫はその著書『文明の生態史観』(中公文庫)において次のような主旨のことを述べている。「古代文明が発達した地域は肥沃であるがゆえに周囲から侵略の標的にされやすく、結果として継続的な発展が妨げられ、近代へとつながる文明が築けなかった。古代文明から少し外れた地域である西ヨーロッパや極東の日本などは、古代文明が発達するほどにはよい気候に恵まれなかったために、却って独自の発達を継続して遂げられ、高度な文明を築くことが出来たのでは?」これを読んだ時はなるほどと思ったが、本書を読んだ今では、「もしかすると周期的に襲ってくる疫病のため古代文明の中心地は何度も人口が激減して、文化の継承や継続的な発展が出来なかったのではないか?」という気がしてくる。

 話を戻そう。本書で特に感心したのは次の内容だった。
 なぜこれほど(見る目さえあれば)明白な事実を従来の歴史家は見逃してきたか?あるいは軽視してきたか? それは歴史家という人々の基本的な価値観にかかわることなのだと著者は言う。すなわち歴史家が歴史にもとめるのは、人類が苦労しながら少しずつより良い世界の実現に向かって努力する姿なのだと。単なる偶然に翻弄される人類の姿ではなく、(どんなに愚かな結果になろうとも)人の意思決定によって前に進む歴史というものを見ていたい。「たまたま」ではなく「然るべく」であってほしい。その様な気持から、疫病の影響を故意にか無意識にかは分からないが軽視してきたのだそうだ。歴史家自身が内省して述べたことだけに何だか重みがある話だと思う。
 たしかに中国で元が滅んだのも、キリスト教が世界宗教になれたのも、はたまた南米が植民地になり南北問題の遠因になったのも、全部が偶然の所産だとしたら、(歴史にIFは禁物ということだが)つい「もしも...」と考えたくなってしまうなあ。

 表紙も「メメント・モリ」を思わせて渋いデザインだし、厚さの割に値段がべらぼうに高いのを除けばとても良い本だった。

<追記>
 本当は明日アップするつもりだったが、亡くなった梅棹忠夫について触れている個所もあるので、追悼の意味も込めて(?)一日繰り上げることにした。しかし、レヴィ=ストロースといい河合隼雄といい梅棹忠夫といい、大事な人がどんどん亡くなっていくなぁ。
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