『種の起源(上/下)』 チャールズ・ダーウィン 光文社古典新訳文庫

 読んで良かった。なぜ西洋で博物学(=分類の学)が発展したか分かった。これほどの種が世界にあふれている理由に「創造主の意図」を見ようとするキリスト教的な価値観があるとは...。言われて初めてわかる、まさに目からウロコが落ちたおもい。その一方で、種とは単に似たモノ同士を集める恣意的な判断基準を人間が作っただけに過ぎず、似たモノが発生した理由を考えることに意味はないという主張もあり、両極端な二つの議論がかみ合わないまま存在していたようだ。そんな時代背景だったということに気づいてから改めてこの本の流れに注意してみると、神という特権的な存在を規定しなくても、「変種の発生」と「自然選択(淘汰)」という基本原理だけで全てが説明できるのは我々が現在考える以上に、まさにパラダイムシフトとでも呼ぶべき衝撃的な出来事だったに違いない。しかもダーウィンは自らの理論の弱点(=説得力に欠けそうな部分)を予め全て洗い出して論駁を加えており、まさに隙がない。時に冗長な部分がみられるのも致し方ないと言える。
 なお生物の淘汰は環境ではなく、同一地域の生物同士の競争によるものだと説明されていた事も知らなかった。食うか食われるかではなく、長い年月をかけて徐々に生息数が減っていき、やがて最後の個体が寿命を迎えることで絶滅するのがダーウィンの言う「淘汰」だったとは。やはり原典に直接あたるのは大事なことだ。
<追記>
ちなみに東洋においては中国思想がやはり基本だろう。とすれば自然界を区分する思想の基になっているのは宗教感ではなくもっと自然な、いわゆる“同族は似ている”というところにあるのではないか?(根拠があるわけではなくただの直観)。であれば「羽のある動物一族の頂点は鳳凰」「四足の動物一族の頂点は麒麟」という具合に、神の意志など想定しない感覚的な区分が自然。厳密な分類は必要ではなく、せいぜい『本草綱目』や『山海経』のように効果効能や面白さを基準でカタログ作りをする程度が博物学の在り方だったのも納得できる。
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