『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」精読』 鎌田東二 岩波現代文庫

 宗教学者である著者が、長年の愛読書である宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を読み解いた本。『銀河鉄道の夜』は何度も書き直しされており、初稿から第4次稿まで4つの原稿が見つかっている。(一応は第4次稿が「最終稿」とされていて、現在普通に手に入る『銀河鉄道…』もこの第4稿のこと。)しかしこれも実は「完成形」ではなく、賢治が生きていればその後も書きなおした可能性があったかも?という話もある。本作には鎌田が書いた作品論の他に、賢治の『銀河鉄道…』自体も初稿から最終稿まで全てのバージョンが収められており、大変にお買い得(笑)な1冊。
 論考は前述の4つのバージョンを自在に比較して進められ、充分に納得が出来る内容である。ただし微に入り細に入り文字通り「精読」しているので、実際に読んでみないと細かい点まで含めて全て説明するのは難しい。全体の雰囲気が分かる程度にざっくりと要約をしてみる。

 『銀河鉄道の夜』の物語の流れを冒頭から順に挙げるとすれば、大きくわけて次の4つに分けられる。
  1:ジョバンニの境遇とクラスメートからのいじめ
  2:「幻想第4次の銀河鉄道」への乗車 注)…「プリオシン海岸」と「鳥を捕る人」まで
  3:新しく乗車してきたキリスト教徒の3人連れ(青年と幼い姉弟)との出会いと別れ
                     注)…「蠍の火」伝説を含む
  4:現実世界への帰還と、カンパネルラの死への直面
 この中で初読の時に印象に残るのは、一般的には「3」と「4」の2つのエピソードではないかと思う。タイタニック号の沈没で亡くなったとおぼしい3人連れが登場する「3」は『銀河鉄道…』の中で最も長く感動的なエピソードである。3人がサウザンクロス駅で下車して、讃美歌とともに光に包まれていくシーンの印象があまりに強く、その前後で「みんなのほんたう(本当)のさいはひ(幸い)をさがしに行く」という会話も交わされる。そしてその余韻も醒めないうちに次の「4」のエピソードで、親友のカンパネルラがクラスメートを助けるために行った自己犠牲が描かれる。これでは『銀河鉄道…』を読んだ多くの人が、この作品テーマをキリスト教的な価値観に基づくものだと思い込んでも仕方がないのではないか。(自分の経験からするとそうなのだが、他の人は違うかな?) ただ「本当にキリスト教的か?」というとちょっと自信がない程度には違和感もあって、きっとそれが『銀河鉄道…』を掴みどころがなく理解が難しい作品と思わせる理由なのだと思う。
 しかしそれは勘違いであり、別の角度から読み解くことでとても明解なメッセージが見えてくるというのが鎌田東二の主張である。浄土宗を信仰する素封家に生まれ、長ずると日蓮宗系の極右派である国柱会に入信するほど法華経を深く信仰した賢治が、何度も書き直しをするほど思い入れが強い童話に込めたメッセージが、キリスト教に依るものであったとは考えられない。これはもっと普遍的な「ほんたうのさいはひ」についての物語であり、その大元にあるのはやはり仏教(法華経)の思想である。ここは難しいところなので順を追って説明する。キーワードは「蠍の火」と「神学論争」である。
 まず「蠍の火」とは、タイタニック号の姉弟によって語られた、死んで天に昇って星になったサソリに関する物語であり、話はだいたい次のような感じである。(本当のサソリ座の話とは違う賢治のオリジナル)

 ある日サソリがイタチに食べられそうになって逃げるうち井戸に落ちて死ぬことになった。その時サソリは心から後悔した。「なぜ自分はこんな空しい命の使い方をしたのか。今まで多くの命を奪ってきた自分はなぜ黙ってイタチに自分の体をくれてやらなかったのか。そうすればイタチは一日生き伸びることが出来たろうに。」
 そして神様に「こんど生まれ変わったらみんなのまことの幸せのためにこの体を使ってください。」と祈ったところ、知らぬ間にサソリの体は真っ赤な炎になって夜の闇を照らしていた…。

 まさに「雨ニモマケズ」でお馴染みの「自己犠牲」の精神そのものである。しかしこの考えは他の作品にも共通して出てくるので『銀河鉄道…』作中の効果だけを狙った訳ではなく、賢治自身の思想の核心であるはず。とすればこの思想の元はキリスト教だけではなく、仏教の中にも見つけることが出来なければならない。
 「自己犠牲」の精神は、贖罪のために磔になったキリストを象徴することが多いが、実は仏教においても同様の有名なエピソードが存在するのである。(恥ずかしながら、知っていたのに本書を読むまですっかり忘れていた。)それは釈迦の前世の姿である薩埵王子が、飢えた虎を救うために自らの命を差し出したという「捨身飼虎(しゃしんしこ)」のエピソード、すなわち「菩薩道」の実践であった。(*)

  *…澁澤龍彦の遺作にして名作の『高丘親王航海記』(文春文庫)でも物語のカギになる
    重要なエピソードでもある。

 そのつもりで姉妹とジョバンニの間に交わされた「ほんたうの神様」についての良い争い(ある意味での神学論争)を読んでみると、確かに姉妹および2人の付き添いの青年が信じている神はキリスト教の神だが、ジョバンニが求める神とは違っている。そして3人がサウザンクロス駅(=キリストを信じるもの達にとっての天上)に下車するまで、ジョバンニと彼らの間の主張は平行線のままで終わるのである。今まで自分は何を読んでいたんだろう、全く気付かなかった。
 ただ、気が付かなくても仕方なかったかも?と思える理由もある。『銀河鉄道…』の第3次稿までは、第4次稿で最終的には削られてしまうブルカニロ博士という人物が登場して、カンパネルラが消えてひとり残されたジョバンニに色々とアドバイスをする構成になっている。また第3次稿だけには、素生が分からない謎の人物も登場して(**)、次のような重要なセリフをジョバンニに対して告げるのだ。
 「みんながめいめい自分の神さまがほんたうの神さまだというだらう、けれどもお互ほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだらう。そして勝負がつかないだらう。」
 ここに至ればジョバンニ(すなわち宮沢賢治)が信じる神は明らかにキリスト教の神とは違っていることは分かる。しかし最終稿ではラストにそれまでと全く違う構成が採られて場面が全て差し替えられたので、この作者からのメッセージは、姉妹とジョバンニの間に交わされた数行の会話から推し量るしか方法が無くなったというわけ。

  **…ブルカニロ博士と同一人物だという説が従来は有力だが、鎌田は発言内容を吟味した
     うえで異議を唱えている。

 それではジョバンニ自身が信じるべき神/求めるべき本当の幸いとは何なのだろうか?
第2次稿まではジョバンニが「本当の幸福を見つけるためにがんばるぞー」という能天気な(?)決意表明をするだけで、その件については全く触れられていない。そして第3次稿では「謎の人物」が先程のセリフに引き続いて、「本当の幸いを求める方法を自分も捜しているのだ」ということを、はっきり告白している。(これは羅須地人協会を設立して皆のために献身的な活動をした賢治にして、偽らざる本当の気持ちでもあるだろう。)
 なお賢治が迷い続けたのは「本当の幸いというのは個人個人によって違うものだ」という認識をしていたからではないか?と思える節もある。第3次稿以降のバージョンで、石炭袋を過ぎたところに見える野原がカンパネルラには本当の天上に見え、ジョバンニにはただぼんやりと白く煙っているだけに見えるという不思議なシーンがある。何の説明もなく唐突に書かれているので戸惑ってしまうが、求める神が互いに違うという先程のやりとりを前提に考えた場合に納得できる描写ではある。
 尤も賢治自身は、宗教間の絶対的な優劣もいつか科学的に証明されると期待していた感もあるが…。
 石炭袋のエピソードを最後に、カンパネルラはジョバンニの前から突然に姿を消してしまう。ひとり残されて泣き叫ぶ彼の前にはもはや導いてくれるブルカニロ博士も現れず、幻想4次元の列車から現実世界へと帰還したジョバンニの前には、カンパネルラが川に落ちた級友ザネリを救いに飛び込み、代わりに自分が行方不明になるという衝撃的な事実が付きつけられる。賢治が度重なる推敲の後に最終的に残した物語は、とてもつらい現実を前にしてそれでも自分自身で決断して前に進んで行こうとするジョバンニの姿であった。

 以上、要約と言った割には少し長くなりすぎた。(笑)
 鎌田東二は残された4つの稿を縦横無尽に駆け巡り、賢治の思考の痕跡を捜しだそうとする。他にも作中に何度も出てくる「鳥」や、ブルカニロ博士の「セロのような声」などのキーワードをもとにして様々な推理を重ね、そして『銀河鉄道の夜』の隠された全体像を徐々にあぶり出していくのだが、これ以上は細かな話になっていくので省こう。
 現代文学理論においては、テクストがいったん世に生み出された以上、作者の意図とは無関係に自由に解釈されるべきというのが一般的らしい。その見方からすれば本書は(牽強付会といわれても仕方がないほど)、賢治が作品に込めた思いを汲み取ろうとする姿勢でいっぱいである。しかし敢えて「誤読」を恐れずに読み込んでいこうとするこのような態度もまた、本読みとしてとても正しい読み方であるのだなあという気がする。
 何しろ鎌田の文章のそこかしこには、賢治に対する深い愛情が満ち溢れているのだから。
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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