『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』フィリップ・K・ディック ハヤカワ文庫

言うまでもなくディックの代表作のひとつで、一度聞いたら忘れない印象的な題名もさることながら、『ブレードランナー』としてハリソン・フォード主演で1982年に映画化もされている有名作。逃亡アンドロイドを始末する"賞金稼ぎ"リック・デッカードと、模造動物店につとめる"ピンボケ"のイジドアという二人の人物を軸に、知性と人間性、信仰と共感といった著者の文学を構成する要素が惜しげもなく放り込まれる。憂鬱な日常と人類の黄昏を描いたディック特有のカリカチュアだ。
自分が本書のことを初めて知ったのは、子供のころに読んだSF小説のガイドブック『SF教室』(筒井康隆著)でのこと。たしか「ニューウェーブSF」の仲間として紹介されていたこともあって、始めから思弁的な部分に着目して読んだような記憶がある。だから『ブレードランナー』で暗く格好良いアクション映画になったのを観たときは、なんだか違う作品のような感じがした。(もちろん自走歩道やチューブ式列車といったピカピカの未来都市ではなく、雨が降り薄汚れた人々が暮らす未来都市という生まれて初めてみる光景に一発でノックアウトされてしまい、映画は映画として大のお気に入りなのではあるが。)
実は本書を再読したのは数十年ぶりになる。近々ある読書会のために読み返したのだが、うすぼんやりとした全体の印象はともかくとして、細部はすっかり忘れてしまっており、今回あらためて新鮮な眼で読むことができた。この記事も読書会に備えて一種の備忘録として書いているので、多少とっちらかった文章になるかも知れないが、ご容赦頂きたい。

さてそれでは、映画版ではなく小説版の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』について。舞台は最終戦争の放射能に覆われ塵と静寂に暮れゆく地球。惑星移住の夢も絶たれあとに残された人々は、新興宗教である「マーサー教」を信じ、「共感(エンパシー)ボックス」を通じてマーサーおよび他の人々との「真の融合」を求めようとする……。まずこの設定を読んで驚いた。ポストホロコースト物だというのをすっかり忘れてしまっていたのだ。
そして次に驚いたのはデッカードよりもむしろイジドアが真の主人公ではないかとすら思えたこと。ストーリーとしては、逃亡アンドロイドを追うデッカードが悩みながら任務を果たすまでを描いたものであって、イジドアはそこに少し絡む脇役のような扱いでしかない。しかし今回読んだ感じではアンドロイド狩りの部分よりもむしろマーサー教の方が印象深く、そしてイジドアはその点からするとデッカードより重要な役回りをしているようにも見えたのだ。しかし最後まで読むと、この両者がいて初めてテーマ的にも本書が成り立つのが納得できたのではあるが。
このマーサー教という代物が非常に胡散臭くて、また面白い。『死の迷宮』や『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』、あるいは『高い城の男』などに共通するような著者独特の神学、もしくは『ヴァリス』などにも共通する異様で哀しい救済に連なる思想として。なるほど大学生の時に読んでいまひとつ乗り切れなかったわけが判った。当時はデッカードのみの視点で読んでいたのだろう。
なお本書でイジドアやデッカードが口走る「キップル」という概念の正体がいまひとつ分からない。本書では勝手に増殖する「役に立たないもの」のことだとされているが、要はエントロピーみたいなものではないかとも思われる。なにしろ『火星のタイムスリップ』の「ガブル」「ガビッシュ」、あるいは『ユービック』にも共通する不気味さがあって、山を登りつづけるマーサーの姿とともに本書の大きな魅力になっている。(根拠はないがディックはきっとエントロピーというものが嫌いだったのではないだろうか。)
またマーサー教がニセモノの宗教であることが暴露されているが、それがこの当時のディックの心の健全さを示しているようでちょっと悲しい。そして本書においては人間にとってかけがえのないものである感情さえも、「情調(ムード)オルガン」という機械を使うことでいくらでも人工的に調整が可能だというのが、シニカルなディックの健全さを示しているようでまた皮肉だ。本書の中でもっとも大切とされる人間の価値が感情移入(共感)であることが、やがてディックがヴァリスを生み出さなければならなかったのに繋がっているのではないのだろうか。あともうひとつ本書で異様に感じたところは、アンドロイドが容赦なく排除の対象となっていところ。人間と同等もしくは人間より優れた存在(シミュラクラ、ニセモノ)が排除の対象になる描写は著者の他の作品にもよく出てくるが、これってもしかしたら作者の不安の現れなのではないかと思う。

マーサー教という偽物の宗教と電気動物という偽物の命とアンドロイド。そしてその中で見える生の意味。絶望の末に妻イーランとの明日を見い出すデッカードの姿は、彼の処女作である文学作品『市(まち)に虎声あらん』で描かれハドリーの姿と重なって見える。実存的な悩みを抱え、意味もなく自暴自棄な行動に出る両者の姿といい、取り返しのつかないダメージを受けてもまた明日はやってくるという、明るいのか暗いのか判らない(笑)終わり方といい、かなりの部分で本書は『市に虎声あらん』に共通しているのではないか、というのが今回再読しての印象だった。SFとして収まりの悪い部分も含めていかにもディックらしい作品といえるだろう。
他の方ははたしてどのように本書を読まれたのだろうか。
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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