2017年5月の読了本

出張に行く機会が増えたことも大きいが、だんだんと読書ペースが戻ってきて嬉しい。好きな本を好きなタイミングで読めるしあわせを噛みしめている今日この頃であるね。

『ハイン 地の果ての祭典』アン・チャップマン 新評論
20世紀初頭まで南米パタゴニアに暮した原住民族セルクナム族。彼らが伝えていた男子の成人儀式「ハイン」の様子とその宇宙観について、人類学者でもあった神父グシンデの貴重な写真と記録を基にして著者がまとめた本。
儀式の中心となるのは成人男性が演じる様々な精霊たち。精霊は天を表すものと地から湧き出るものの二種類に分かれており、いずれも赤・白・黒の三色に塗り分けられた身体と奇怪な仮面で表現される。精霊の異様な姿と不思議な儀式の描写に魅了される。白人の入植と麻疹の流行で彼らの社会は今はもう崩壊してしまっており、儀式でもあり演劇でもあったハインの記録をこうして残す事ができたのは良かった。
彼らの社会は極端な男性権力型で、それを正当化するために伝えられていた神話がまたすごい。遥かな昔、彼らの社会は今とは逆で女性シャーマン「月」が支配する極端な母権制であり男たちが革命により勝ち取ったとされる。(まるで映画『猿の惑星』をみているようだ。)男たちの一斉蜂起で女の世界が一夜にして滅び、後に残ったのは秘密結社により受け継がれるミソジニーと男性支配の構図。まあこのような文化が今に受け継がれなくて良かったのかもしれないが、本で読んでいる分には大変に興味深い。異様な精霊たちの姿と相まってまるで物語を読んでいるような感覚に陥いってゆく。いろんな意味ですごい。
最後まで読んだら地元の話題がでてきて驚いた。この貴重な記録や写真を残したマルティン・グシンデ神父は、その後1959年に南山大学に教授として赴任して人類学研究所の設立に関わったとのことだ。なお全編に流れる雰囲気は何となく『悲しき熱帯』を思わせたが、著者がレヴィ=ストロースの薫陶を受けた事とは多分関係ないだろう。文化人類学好きなら絶対愉しめる。

『うろんな客』/『不幸な子供』/『敬虔な幼子』エドワード・ゴーリー 河出書房新社
四日市市立博物館で開催していた「エドワード・ゴーリーの優雅な秘密」展を見に行って、あまりに面白かったのでミュージアム・ショップで衝動買いしてしまった3冊。なんとも人を喰った展開とブラックな味わいが堪らなく好い。『うろんな客』にでてくる“うろん”のピンバッジまで買ってしまった。

『母の記憶に』ケン・リュウ 新☆ハヤカワ・SF・シリーズ
大評判となった『紙の動物園』に続く日本オリジナル短篇集の第二弾。ショートショートから中篇まで、訳者の古沢嘉通氏が厳選したバラエティあふれる十六篇が収められてあるが、今回もいずれ劣らぬ傑作揃いでハズレが無い。冒頭の「烏蘇里羆(ウスリーひぐま)」「草を結びて環(たま)を銜(くわ)えん」からいきなり物語世界に引きずりこまれる。色んなタイプの物語が入っているので、前作と同様、読む人によって好きな作品が分かれるのではないだろうか。
ケン・リュウ作品が後を引くのは登場人物の関係がとてもウエットだからかもしれない。つねづねSFの魅力は展開のドライさにあると思っているのだが、この人の作品ほどウエットで且つ面白いSFというのはこれまで経験したことがない。ウエットなのはジェンダーや家族関係に踏み込むからだろうか。そしてドライではない代わりにとてもビター。たとえば「レギュラー」ではサイコパスのよる連続殺人とそれを捜査する私立探偵の物語を軸に、未来のテクノロジーが生み出すアジア社会の描写と探偵を苦しめる過去の呪縛が良い具合に合わさってサスペンスを盛り上げる。抒情的なのだけれど甘くはないところが持ち味だ。
あえて気に入った作品を三つ選ぶとすれば、「草を結びて環を銜えん」「レギュラー」「上級読者のための比較認知科学絵本」だろうか。「カサンドラ」「訴訟師と猿の王」や「万味調和」もかなり気に入った。

『ペルーの異端審問』フェルナンド・イワサキ 新評論
あちこちの古文書館に保管された異端審問史料を丹念にひもといて、「異端の罪」に問われた被告たちの罪状と、彼らがいかに裁かれたかを紹介した本。むかし平凡社ライブラリーで読んだヤコブス・デ・ウォラギネ『黄金伝説』を裏返したみたいな印象だが、人々がどのような信仰をおくっていたかの貴重な記録でもある。罪の動機も現代とそう変わらない。訴えさえあれば審問会が開かれるので、聖女と称して様々な奇跡を起こした人々が悪魔の所業として逆に異端に問われることだってある。結果、自分から見たら『黄金伝説』に列挙される聖人たちと区別のつかない者たちが裁かれることにもなるのだ。
ただし実際には「異端審問=即極刑」というわけではないようだ。被告は裁判で悪魔信仰を放棄(否定)して審問官に「単なる肉欲を抑えられぬ一罪人」と見なされれば、追放などの軽い処置で済む。また正真の「愚者」と見なされれば、やはり死刑ではなく病院送致となる。罪状や審問のやりとりはえげつないものも多いが、歴史学的な見方をすればかなり面白い。また当時の彼らの感覚はそのまま読めば幻想文学としても楽しめる。バルガス・リョサが序文を書いて筒井康隆か帯の推薦文を書いているのはダテではないのだ。

『水蜘蛛』マルセル・ベアリュ 白水uブックス
幻想的な中短篇を十二篇収録した作品集。〈小説のシュルレアリスム〉叢書の一冊だが中身は正統派の幻想小説だった。18~19世紀ごろの別の誰かの作品といっても通用しそうな気もする。「球と教授たち」「向いの家」「宝の島」「百合と血」などはとても好み。詩人だけあってイメージが詩的でとても綺麗だ。表題作のエーベルス「蜘蛛」にも通じる不安感や「球と教授たち」のタルホ的な味わいも面白かった。

『食通知つたかぶり』丸谷才一 中公文庫
神戸を皮切りに伊賀や高松に酒井など日本全国を食べ歩く。ひたすら食い、呑み、味わうことに徹しているのが気持ちいい。作者自身が執筆の動機を「言葉によってどれだけものの味を追へるか」と述べているだけあって食べ物の形容がとにかく見事。ねっとりとして舌にまとわりつくような味わいがある。旧仮名遣いの文章も好い。書名の「知つたかぶり」みたいに小さい「っ」を使わないってのはなんか良いなあ。
食べ歩きエッセイの愉しさは、いかに言葉をつくすかにあると思っているのだが本書はその点では申し分なく、これでもかと言わんばかりに書き込まれた言葉がそのまま舌に旨い。「豪奢」に「嬌柔」に「流麗」とか、あるいは「瀟洒」に「柔媚」など。また「清楚淡白」に「香美脆味」、「優雅端正」に「清凛豊饒」、「甘美肥甜」なんてのもでてくる。(もっとも岡山の魚正とか名古屋の鳥孝など店を検索してみるととんでもなく高級な店なので旨いのは当たり前かも。)
あるレストランでは「牛の髄の焼いたの(ベイクト・ボウン・マロウ)」を食べていていかにも美味しそうなのだが、こんなの今では絶対食べられないだろう。古い本なので他にも鯨料理など今ではおいそれとは食べられないものも出てきて、図らずもある時代の日本を切り取ったポートフォリオのようになっているのが興味深い。ひとつ驚いたは、店の名前をそのままに、感心しない料理はそのまま「いただけない」とか書かれているのもあったこと。自由すぎる表現は丸谷氏ご本人の性格によるものか、あるいはこれもその時代では普通だったのか。はたして店の人は怒らなかったのだろうか?

『巨神計画(上・下)』シルヴァン・ヌーヴェル 創元SF文庫
世界各地の古代地層から見つかったのは超文明による巨大ロボットの部品だった。その秘密を解き明かすべく集められた個性的なメンバーは、否応なく世界レベルの陰謀に巻き込まれてゆく……。軽く読めるエンタメ三部作の第一作で、小説としての重厚感や“らしさ”よりもハラハラドキドキとスピード感に力点が置かれている。アニメや映画になれば気分よく楽しめる良作になるのではなかろうか。エピソードは荒唐無稽な感じが強いが、ロボット物が好きな人には堪らないだろう。

『まっぷたつの子爵』カルヴィーノ 岩波文庫
〈我らの祖先三部作〉の一作目。砲撃で真二つとなり「悪半」と「善半」の半身ずつに別れた領主メダルド子爵により奇想天外で示唆に満ちた物語が展開する。三部作の好きな順番は『不在の騎士』、『木のぼり男爵』、『まっぷたつ』だったのだが、今回読み返してみて以前読んだ時になぜ本書が苦手だったのかを思い出した。「悪半」の残酷さが辛かったのだ。圧倒的な悪者感に、そうだった、そうだったと頷きながらページをめくっていた。でも傑作。他の二冊も読み返してみたくなった。

『死都ブリュージュ』ローデンバック 岩波文庫
喪われし想い出を求めて廃市に隠遁し、亡き人の面影を追う独りの男が出逢ったのは、放埓な一人の踊り子。憂愁と沈黙の街を舞台に、信仰と愛、情熱と誘惑、そして苦悩と破滅への道を歩む男の姿を描く。現実ではない幻想のブリュージュがここにある。個人的にはもう少し踊り子ジャーヌが悪魔的である方が良かったが、それはないものねだりというものだろう。黄昏のロマンに満ちた作品。

『バッタを倒しにアフリカへ』前野ウルド浩太郎 光文社新書
ファーブルに憧れて昆虫の研究者となった著者が単身モーリタニアへと乗り込み、サバクトビバッタの研究に没頭した3年間の思い出を綴った笑いあり涙ありの熱血ノンフィクション。砂漠、異文化、昆虫ときたら面白くないわけがない。フィールドワークの楽しさに満ちた一冊となっている。
また同時に、将来がみえず不安に満ちたポスドクが徒手空拳で異国の地に乗り込み、現地の人々と一緒になって逆境を跳ね返して夢を叶えるという、ある種の“ビルドゥングスロマン”にもなっている。つらい生活を楽しみ、"無収入"になってもその深刻でも明るさを忘れない姿がとても好い。昆虫版の『ルワンダ中央銀行総裁日記』とでも言えば雰囲気が伝わるだろうか。(トーンはもっと能天気だが/笑。なにしろ1ページ目からしてすでに面白い。バッタの研究者なのにバッタアレルギーで、バッタに触られるとじんましんが出るとか。)
専門分野のサバクトビバッタ以外にもゴミムシダマシやマメハンミョウ、毒バッタなど面白い生態の昆虫が出てくるので、虫の写真さえ大丈夫だったらノンフィクション好きの人には超おすすめの一冊だ。

『ランボー詩集』堀口大學訳 白凰社
ランボーの詩作を初期と後期に分けてまとめなおし巻末に解説を附す。個人的には後期詩篇の方が好きなものが多かった。(初期詩篇は今読むとけっこう“厨二”的なものも多い。)たとえば「鴉たち」の「暮れの鐘、余韻をあとに消ゆる頃 九天の高きより吹きおろせ」「君ら、義務の宣布者たれ、おお、黒きわが凶つ鳥!」といったくだりはかなり好き。 昏い作品の方が切れ味が良い気がするのは単に自分の趣味のせいか。幻想的な詩篇も多く、訳者の言葉の選び方も冴えている。装幀も味があって好い。中には肖像や巴里にランボーを呼び寄せたヴェルネールによる彼のデッサンなどもあり、結構愉しめた。とくに気に入ったのは「酔いどれ船」「鴉たち」「渇きの喜劇」と『地獄の一季』あたりか。
なお、「ジャンヌ・マリーの手」の中に「京のまた大阪の?」という文章があったのだが、巻末の訳者自身による鑑賞ノートには原文は"Des Khenghavars ou des Sions?"とある。それぞれペルシャの古都とエルサレムのことなのだが、翻訳のあまりの自由さに笑ってしまった。

『世界のすべての朝は』パスカル・キニャール 伽鹿舎
17世紀フランスに実在した音楽家サント・コロンブの生涯を静かな筆致で描く。彼の二人の娘と弟子マラン・マレ、亡き妻との邂逅を通じて示されるのは、言葉で語りえぬものと高みへと至る想い。(などと言うとそれもまた違うのであるが。)イサク・ディネセン(カレン・ブリクセン)の諸作にも通じる捉えどころのなさと深みがあるが、読んでいる間はただただ心地よい。読んだあと、つい何かを語りたくなってくる作品だが、本作についてはあれこれ言わぬのが良さそうだ。
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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