『女の子は本当にピンクが好きなのか』堀越英美 Pヴァイン

 “Think Pink”という言葉をご存じだろうか。自分は全く聞いたことがなかったのだが、なんでも女性向け商品にピンクやパステルカラー、花柄や光り物といったステレオタイプの仕様を用いることのようで、「ピンク発想」という訳語もちゃんとある。ピンクという色は女の子や女性が好む色である一方で、社会における女性の位置づけや性的な役割分担というジェンダー的な問題にも絡むため、どうやら一筋縄ではいかない色らしいのだ。
 本書はそんなピンクについて、アメリカの女子向け玩具の変遷やテレビ番組におけるジェンダーの取り扱い、そして日本で一時期ツイッターを通じて流行った「ダサピンク」やプリキュア等のアニメなど、種々雑多な話題を通じて考え、そして世界と日本における女性の主体的な生き方と社会の関係について想いを馳せようというもの。帯にある「この色(ピンク)と私たち(現代社会)のかくもややこしい関係」という言葉が、内容を端的に説明しているのではないだろうか。
 ただし、けっこう重いテーマではあるのだが書きぶりは決して暗くはないのでご心配なく。女性を象徴する色であり性的役割区分を可視化した「ピンク」という色が意味するものを、自分のような朴念仁のオヤジにも判りやすく解説してくれてとても面白い。本書のようにそれまで知らなかったことを教えてくれる本は大好きだ。

 全体は六章で構成されていて、まず第一章「ピンクと女子の歴史」では服飾史を紹介しつつ、かつては男女の区別なく着られていたピンクがいつ頃から女性専用の色になってしまったかについてひもといていく。結論から言えば、どうやら18世紀にベルサイユ宮殿から始まった「ピンクブーム」がヨーロッパ全土に広まったのが最初。フランス王室のファッションを真似て、女の赤ちゃんにはピンクの産着を着せるという風習が定着していったらしい。そしてそれをさらに後押ししたのが50年代のアメリカ。アイゼンハワー大統領夫人のマミー氏と映画女優のジェーン・マンスフィールドという二人の人物が熱烈なピンク愛好家であり、戦勝ムードに沸くアメリカで二人が身につけたり住宅に取り入れたピンクが、豊かで幸せな女性の象徴として全女性の憧れの色となったのが理由のようだ。
 こうして生まれたときからピンクに包まれて育った女の子は、第二次世界大戦からの帰還兵の就職先を確保するために政府主導で進められた女性の専業主婦化政策と相まって、幼いころからピンクアイテムと一緒に以下のような規範を刷り込まれていくことになった。
 「素敵な女の子はガムをかんではいけません。ズボンもはいてはいけません。常に優しく柔らかに、そして少々おバカに。自分の意見を言い立てることは慎み、しとやかなドレスを着て美しくふるまいましょう。そうすれば素晴らしい(高収入の)男性に愛されて、彼の庇護のもと幸福な暮らしができるでしょう。」
 うーん、まさに1937年公開の映画『白雪姫』の主題歌「いつか王子様が」そのままの世界ではないかねえ。
 もっともその後のアメリカでは、ウーマンリブ華やかりし1970年ごろにピンク色の抑圧に対する女性の不満が爆発して単純な「男の子はブルー、女の子はピンク」という色分けはなくなり服装やおもちゃにも中間色が使われるようになったそうだ。
 その傾向が再び変化し始めたのは1980年代半ばのこと。子供が3歳ぐらいになり性的アイデンティティが芽生えてくると、なぜか三~七歳の女児はピンクに対する執着がとても強くなるらしいのだ。(男女の視覚発達の違いなどそれらしい推測も紹介されてはいるが本当のところは良く分からない。)さらに2000年に発売された〈ディズニー・プリンセス〉ブランドの大成功が、パステルカラーを基調とした〈レゴフレンズ〉シリーズ(2012年発売)やハロー・キティなどと一緒になって「ピンク・グローバリゼーション」を巻き起こしているとのこと。男女平等の価値観の浸透とともに子供の自主性が尊重されるアメリカだからこそ、女子にピンクが蔓延しているというのは面白い。
 冒頭部分の紹介だけでずいぶん長くなってしまった。第一章ではこのあと戦後日本の消費文化におけるピンクの歴史についても詳しく述べているがここでは省略する。ピンク・レディーの登場や歴代の魔女っ子アニメの系譜、ファンシーグッズの事例などが取り上げられているので、興味のある方はぜひ本書を当たって頂きたい。

 さて第二章からは、従来のピンクが象徴していたステレオタイプな女性像のひとつである「科学に弱い」「空間把握能力に劣る」といったイメージを払拭するため、スタンフォード大学の学生デビー・スターリングが考案した女の子向け組立玩具〈ゴールディー・ブロックス〉の成功を始めとして、2013年から全米で巻き起こっている「STEM教育(*)」と呼ばれる理科領域全般の教育推進運動が紹介される。結局のところ「一般的に理科や数学が苦手」という女性の特徴も、子供の頃からの固定観念に基づく教育が原因だったというわけだ。

   *…STEM:Science/Technology/Engineering/Mathematicsの頭文字をとったもの

 〈ゴールディー・ブロックス〉やそれに追従して登場したDIYドールハウスキット〈ルーミネイト〉では、付属の絵のストーリーに従って回転装置やテコの原理を応用した仕掛を動かしたり、ドールハウスに付属されたモーターやライトを配線することで扇風機を回したりエレベーターを動かすといった電子工作が可能になる。色はパステル調で可愛らしいが、「ピンク・プリンセス」への挑戦という意味ではウーマンリブ運動に負けず劣らずの大きな影響を与えるものではないだろうか。またイギリスでもSTEMドール〈ロッティー〉が誕生したり、老舗メーカーも「セクシーすぎない女子アクションフィギュア」の〈IAmElemental〉シリーズや飛行機や観覧車を作れるSTEM玩具〈マイティ・メイカーズ〉を発売したりと、ここ数年で欧米では女子向けのおもちゃが様変わりしているそうだ。昔ながらのお人形の代名詞であるバービーや日本のリカちゃん人形には「算数が苦手」という設定があったらしいが(注:現在では公式プロフィールからは消えている)、そのような部分も今後はどんどん変わっていくのだろうね。

 さて以上のように長年にわたるピンクの呪縛から逃れて新たな動きが出始めた欧米の様子を見たあとは、話題はいよいよ日本におけるピンク問題へと移る。第四章「ピンクカラーの罠」には副題の「日本女性の社会進出が遅れる理由」からもわかるように、社会的に根強い偏見がみられる日本での状況が俯瞰・分析されている。
 いわゆる「女性らしい職業(**)」というものが子供のうちから人形遊びなどで刷り込まれていく様子と、それらの職業が現実的には過酷もしくは低賃金であり、また「男性に嫌われるリスク」を負う覚悟がないとそれ以外の職業に進みにくいという環境が、女性の社会進出を阻んでいる実態が明らかにされる。さらには家事の分業の不平等や出産後の社会復帰を阻む社会風土の存在など、日本においては極めて広範囲にわたる問題をはらんでいると言えるだろう。著者の「たぶん日本におけるピンクとは、欧米におけるピンクよりももっと根が深いのだ」という言葉はおそらく正しい。

  **…花屋、パン屋などの小売店の店員やキャビンアテンダントなどのサービス
      系、看護師や保育士などケアワーク系、美容師やネイリストなど美容系、
      秘書や受付や一般事務などアシスタント系、通訳や英語教師など語学系、
      そして司書や編集者など人文系のおよそ6タイプに分類できるそう。

 日本で社会改善が進まない理由として本書で著者は「大人が問題視しない」ことを挙げている。日本人男性は女性に対して無垢な少女性と無限の愛情を注ぐ母性を求めている――という話をどこかで聞いたことがあるが(気持ち悪い)、結局のところ大人から子供まで男女を問わず社会全体が「ピンクの罠」に囚われて身動き取れなくなっているのではないだろうか。
 主体的な生き方ではなく「モテ、愛される、カワイイ、選ばれる」といった客体としての女性性を演じることでしか認められない日本の女性。よく使われる「女子力」という言葉に対しても著者の「努力を重ねて客体としての女を演じることにより、主体としての「力」を有することを目指す(ある意味では転倒した)現代女性たちのマインドセットを表している」という鋭い分析がなされ、読んでいて心が苦しくなってくる。

 話は佳境に入っていよいよ第五章「イケピンクとダサピンク」では女性のアイデンティティに関する考察へ。そのような状況を踏まえた上で「ダサピンク」という言葉が生まれてきたことを考えるとなかなか趣き深い。これは単にあまり綺麗でないピンク(ダサいピンク)であることが批判されているのではなく、「どうせ女性にはピンクや光り物でも使っておけば良いだろう」という安易な姿勢が批判されているわけだ。そしてこれだけ“難しい色”であるピンクを心から「好き」と言える女性たち、あえて選んで身に着けている女性たちこそは「自分をひきたてる色として、ピンクについて日々考察している一種の美学者」であるのだと著者は言う。(もしもそのとおりなら、そんな女性に対して“雑なピンク”をあてがうのは確かに冒涜に等しいことのような気がする。)
 ではもう一方の「イケピンク」とは何だろうか。それは著者の「客体としての女性性を象徴する無垢なピンクではなく、主体的に選び取られたピンクである。だから、イケピンクは一人ひとり違うのだ」という言葉以外には特に説明は不要だろう。これは匿名性が高く、そのため性別が判り難いツイッターなどのSNSにおける書き込みをみていると非常によく理解できることでもある。「女性」という仮面を外して一人の人間として素に接した場合、ひとりひとりの人物がいかに輝いて生き生きとして見えることか。最近では、秋葉原発の某アイドルユニットが「女の子は可愛くなきゃね 学生時代はおバカでいい」と歌ったことでユニットを主宰する人物が批判を浴びたのも記憶に新しいが、これもツイッターから始まったことでは無かったろうか。
 これからは第六章「ピンク・フォー・ボーイズ」で示される「ピンクが好きな男子」「かわいいものが好きな男性」と同様に、誰もが「自分の好き」を自由に言える社会になっていってもらいたいと思う。そしてそのためにはまず女性が生きやすい社会が実現されるべきなのだ。女性が楽に生きられる社会は男性にとっても生きやすい社会であるに決まっているのだから。

 本書はとっつきやすくて読みやすいけれど決して侮ることなかれ。良書であるよ。

<追記>
 以前読んだ『女の子よ銃をとれ』(雨宮まみ著/平凡社)も、「女の子」という固定概念から解き放つという意味で本書と同じように刺激的で面白い本だったが、本書はふたりの女児の母親という立場がまた違った視点を提供しているように思える。ちょうど今読んでいる『子どもは40000回質問する』(イアン・レズリー/光文社)という本には子供の成長と好奇心に関して書かれていて、まさに本書にも共通するところがあると感じた。誰しも幼いころに持っていた自由な好奇心を、そのままの形で伸ばしてあげられると良いのだがなあと、一人の男児を育てた親として思うところではある。
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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