『家事の政治学』 柏木博 岩波現代文庫

 「男は外で仕事をして金を稼ぎ、女は家で家事と育児をする」というのが一昔前には日本の一般的な社会システムだった。我が家の場合は共働きで母親がパートタイムの事務仕事をしていたのだが、それでも炊事洗濯や家の掃除などは当たり前のようにこなし、それを不思議にも思わなかった。それに疑問を持ち始めたのはいつ頃からだったろう。
 その後、フェミニズムやジェンダーという言葉を知ってからは、色々と考えることも増えた。家事というものが過去どのように捉えられてきたのか、そして制度としてどのような変遷をとげてきたのかにも興味が湧いた。そんなわけで、先日本屋でたまたま見かけたのがこの本。「家事」と「政治学」という言葉の取り合わせが新鮮でさっそく手に取った・ページをめくると欧米における家事労働をめぐる社会運動の歴史が書かれているようでいい感じ。前から一度こういう本を読んでみたかったのだ。というわけで、中身について触れていこう。

 本書の題名である「家事の政治学」とは何か?「家政学」とは違うのか?(というか、そもそも「家政学」とは何か。/汗)知らないことばかりなので調べてみた。日本家政学会の定義によれば家政学とは「家庭生活を中心とした人間生活における人間と環境の相互作用について、人的・物的両面から、自然・社会・人文の諸科学を基盤として研究し、生活の向上とともに人類の福祉に貢献する実践的総合科学」なのだそうだ。難しすぎて却って何だかよくわからないが、とりあえずここでは家庭生活に関する人文科学(政治学・社会学)ぐらいに考えておきたい。本書ではその家政学(?)を特に「家事労働のミクロポリティックス(=家庭を国家の礎たる一単位として捉えなおすこと)」という観点から考察しているというわけ。
 冒頭に書いたような家庭外で行う労働は「賃労働」、家庭の維持管理のための労働は「家事労働」と呼ばれている。昔は区分が曖昧だったそれら二つの労働は、産業社会の発展につれ19世紀末ごろから分離していったそう。今の社会システムは遥か昔からの伝統のように思われているれど、たったの100年そこそこしかなくて意外と歴史が浅いのだ。(もちろん過去には分業は全く無かったというわけではなく、封建社会の時代から性差や貧困や国家政策と密接な関係を持ちつつ、形を変えて作られてきた制度ではあるわけだが。)
 本書で取り上げられているテーマは洗濯や掃除も含めた家事全般について多岐に亘っているが、なかでもキッチンと食事に関する比重がかなり大きい。これは毎日の食の確保が昔からいかに重要な関心事だったのかを示しているのだろう。食料の確保や保存、そして調理は、たとえ輸送システムや冷凍・レトルト食品などの貯蔵技術が発達した現代であっても、とにかく大変なのだ。まして昔であれば、大変に手間がかかる仕事であったろうと思う。
 一般的な住宅は個々にキッチンをそなえており、家事をひとつの住居のなかで全てまかなうことが出来るように作られている。しかし過去の歴史を振り返ってみると、それが必ずしも唯一の方法であったわけではないことが判る。本書によればドイツのバウハウス(*)では協同住宅を理想としていたようだし、また家事を完全に外注化してキッチンが無い住宅こそが理想とされる場合もあったらしい。例えばエドワード・ベラミーが書いた『顧みれば』(1888)という未来小説では、2000年のボストンで一種のシェアハウスに住む人々の様子や、相互扶助の思想に基づく家事の産業化によって実現した社会主義的ユートピアが描かれている。
 家庭の孤独な空間で女性だけに押しつけられていた家事労働を公的空間に解放したり、あるいは家事に対する報酬を支払うことで、家事労働を経済活動のひとつに位置付けることが模索されていた時代もあったのだ。
 しかし資本主義が世界を席巻するにつれ賃労働と家事労働の分離は進み、女性は専業主婦としてますます家事労働にしばりつけられることに。そして料理・洗濯・育児・掃除といった家事労働は解放された協同作業ではなく、個別の「商品」として市場から家庭に供給される方向へと向かった。
 やがてアメリカでは低技術・低価格の一戸建て住宅の発売と普及により、キッチンの共有と協同家事への道が完全に閉ざされることになった。(これは戦後の公団住宅の普及や核家族化が推進された日本においても同じ図式だと思う。)この意味で“夢の戸建て住宅”とは、家事にかかわる一種の「政治イデオロギー」であったのだと著者はいう。うーむ、結局のところ協同化の障害となったのは、「私有」の概念だったのかも知れない。根が深い。

   *…20世紀初頭に設立された美術と建築に関する学校。そこでは合理主義的または
      機能主義的な芸術運動が推進された。

 続く第2章では、清教徒の価値観に基づいてビーチャー姉妹らによってアメリカで推進された「家政学(ドメスティック・サイエンス)」の活動について俯瞰する。これは男女の分業を念頭においた上で「女性が家庭内を支配する」という考えに基づくものだそうで、すなわち男性がビジネス空間を支配するという意味と表裏一体の考え方だ。彼女らは家事を通じて女性の地位を向上し、奴隷や召使いを使わずに家事労を行う女性の負担を軽減するため、様々な装置を提案した。(注:それはやがてシステムキッチンという住宅設備の形で実現する。)
 ちなみに彼女らによる世界初の“システムキッチン”は、客船の調理室をヒントにして構想されたとのこと。この流れはクリスティーヌ・フレデリックによる「家事工学(ホーム・エンジニアリング)」や「ホーム・エコノミックス(これも家政学と訳される)の母」と呼ばれたエレン・リチャーズの活動へと広がり、住宅設備(≒家事を楽にするための設備)の導入によって「専門家としての主婦」と「経済における消費システムとしての家庭」を生み出していくことになる。(なお本書によればこれらの活動から、規律と標準化を旨とするファースト・フード産業が生まれたらしい。)20年代には冷凍食品の出現や自動車、そして家電製品の普及も始まったようだし、消費社会の進展と家政学のモデル化は切っても切れないものだったのだろう。思うにこれは当時流行った「科学的思想の社会学への応用」を反映したものだったのかも知れない。
 一方で海を渡ったイギリスにおいては、家政学が貧困層の生活水準を向上させるための社会的な政策として推進された面もあったようだ。ひとくちに「家政学」といっても国によって色々な違いがあるようだ。第4章ではそのイギリスに留学した大江スミにより日本に伝えられた「家政学」と、日本における女子教育の変遷が紹介されている。
 日本でも英米と同様に家政学は国策としての面を強く持っていたらしい。日本では召使いや奴隷の存在といった社会背景はなかったが、代わりに徳川の支配階級に変わって成り上がった明治時代の新興支配階級(下級武士)が、自分達の新たな生活様式を世界に示す必要があったとのこと。下田歌子による『婦人作法』などの著作や、博文館から発行された『裁縫と編物』『住居と園芸』『衣服と流行』といった一連の書物も、その方針に沿って書かれたものだそうだ。冠婚葬祭の礼法や育児・看病などを含んだ、今に続く「主婦業」のモデルすなわち良妻賢母の女性像はこの明治20年頃に確立したものなのだろう。
 第6章からは再び30年代のアメリカに戻り、家事労働のロボット化について語られる。1939年のニューヨーク万博では電気皿洗い機などの家電製品や未来の家事ロボットが展示され、会場を訪れた女性たちに家事の未来に関する展望を与えた。(このあたりのくだりは大阪万博の“人間洗濯機”などを思い起こさせる。)本章ではカレル・チャペック「R.U.R」などを例にロボットによる家事の全自動化の夢や、バックミンスター・フラーによる「ダイマクション・ハウス」といった、家事の作業動線と住宅設備による補助を意識した建築側からの取り組みも紹介されている。
 続いてはドイツにおける取り組みの紹介。ドイツでは第一次大戦の敗北から国内産業を復興させため、アメリカの家政学の影響を受けながら建築家やデザイナー達による模索が続けられたようだ。彼らの考え方は住宅設備による家事の合理化という視点と「家事の科学的な管理」という点が共通している。写真を見る限りではもうすでに高度成長期の日本のキッチン空間に近いものになっているが、著者によれば結局のところ建築家らによる単なる生活提案に過ぎず、「家事労働を女性が担う」という考えそのものにまで踏み込んだものにはなっていないそうだ。なかなか手厳しい。
 このように欧米の(そしてロシアをも巻き込んだ)「合理化」の流れはやがて日本にも到来し、文部省主導でつくられた“生活改善同盟会”による国力向上活動として、1920年代頃から「改造」や「能率」といった合言葉とともに展開されるに至る。いかにも戦前の雰囲気ただよう活動だ。(もっともこれは決して悪い面ばかり強調されるべきものではなく、日本の劣悪な住宅事情を改善するという意味もあったようだが。)

 これまで述べてきたように、家政学は近代国家の成立および産業社会の発展とともに生まれた。そして次に第二次世界大戦によって大きな転機を迎えることになる。ドイツや日本といった敗戦国は勿論のことだがアメリカやイギリスのような戦勝国であっても、住宅の極端な不足や戦時経済の影響による混乱は免れられない。そこでアメリカでは当時のフーバー大統領による一戸建て住宅キャンペーンが展開され、それを受けてウィリアム・レヴィットにより廉価な量産型住宅「レヴィット・タウン」が市場に供給された。「郊外に建つマイホーム。日曜日には庭の芝生でバーベキュー」といった、ある年代の日本人が持っているアメリカのイメージは、「アイ・ラブ・ルーシー」「うちのママは世界一」といったTV番組の舞台としてこれらの住宅が使われたことで形成されたようだ。
 その後、60年代頃になると、このような画一化した家族観が持つ歪みが見えてきてそれに対する批判もおこり、家事の枠組みを越えた社会意識の醸成と貧困問題などへの取り組みが必要となってきた。こうして従来型の家政学はフェミニズムなどの影響を受けつつ発展解消していったわけだ。

 以上、本書の内容をざっと紹介してみた。まとめると、家事労働は色々な国によって社会制度の一部として時代の影響を受けつつ、緩やかに改善の取り組みがなされてきたといえる。もちろん今でも酷い性差別によって女性の社会進出が進まない国や地域は多いし、将来どのような科学技術や社会が実現するかよって見通しが不透明な部分は多い。しかし少なくとも日本においては少子高齢化や周辺国の発展によって今までのような豊かな社会が望めない以上、家事労働についての考え方も大きく変わっていかざるをえないだろう。
 著者は本書の中で戦前の政府について「権力は個々の家族の自由な存在を認めないまま、それを単位として国家組織に組み込み、(中略)国家的生産の論理に取り込んでいったのだといえるだろう」と述べているのだが、現政権やその母体となる政治団体の中枢にある考えはここから何も変わっていないのではないだろうか。そう考えると少し絶望的な気分になってくる。いわゆる有識者の云うところの「伝統的価値観」というのが、いかに歴史の浅いものでしかないか、そして近代国家成立の歪みがいかに現在まで影響を与えているかが、この手の本を読んでみるとよく解る。しかし一方で、本書のような本が誰でも手軽に読める文庫という形で出ることに喜びも感じる。(そんなに売れる本ではないだろうから値段が高いのは仕方ないとして。)まあいずれにせよ「知の考古学」を実践している本はいつも愉しい。

<追記>
 内容とは直接関係ない話だが本書を読んで気が付いたことをひとつ。本書の著者はきっとSFファンなのではないだろうか。というのも、あまり必然性のないところで古今東西のSF小説やSF映画が引き合いに出されるのだ。有名なチャペック『R.U.R』ぐらいならともかく、ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』やP・K・ディックの短篇「追憶売ります」を原作にしたSF映画『トータル・リコール』まで。
 多分間違いないね。(笑)
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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