『ゲルマニア』 ハラルト・ギルバース 集英社文庫

 著者はこの作品がデビュー作。2014年にドイツで発表され、その年のフリードリヒ・グラウザー賞(ドイツ推理作家協会賞)の新人賞を受賞した話題作 ――と書いてはみたものの、実は本作のことは全く知らなかった。いつものごとく参加した名古屋ミステリー読書会で、次回の課題本として取り上げられたので何も考えず読んでみたところ、これが傑作だったというわけ。ネット書店でなく実際の本屋で本を買うのは、新しい本との思いがけない出会いがあるから......という話を以前書いたことがあるが、自分の得意な分野(例えばSFや幻想文学)ではない集まりに参加するのもまさにそれが理由のひとつ。今回は大当たりだった。
 物語は1944年のベルリンではじまる。敗戦の色濃いナチスドイツ政権下のベルリンで暮らす、元殺人課刑事のユダヤ人男性オッペンハイマー。彼はアーリア人の妻を持つおかげでかろうじて収容所送りを免れてはいるが、街では厳しい人種差別に曝されながら明日をも知れぬ毎日を送っている。そんな彼のもとにある日突然ナチス親衛隊(SS)からの招集があり、戦時下のベルリンで起きた戦慄すべき連続猟奇殺人事件の捜査を命じられる。果たして彼はナチスSSのフォーグラー大尉と協力して犯人を捕らえることが出来るのか? ナチス高官から命じられたタイムリミットは刻一刻と迫る......。
 まさに異色の警察小説といえるだろう。犯人を追いつめるまでのミステリとしての骨格もしっかりしているが、それより感心したのはナチスに生殺与奪の権利を握られたまま捜査を続ける主人公自身を巡る緊迫感だ。人としての尊厳や元刑事としての矜持といったオッペンハイマーの感じる葛藤は、『ナヴァロンの要塞』や『女王陛下のユリシーズ号』といった戦争を舞台にした冒険小説の面白さにも通じるものだろう。(もしも似たような設定をアジアで作るとしたら、ベトナム戦争下のサイゴンや金日成体制下の平壌あたりになるだろうか。)
 さらにフォーグラーとオッペンハイマーという立場の違う者同士の心の触れあいは、どことなくハードボイルドの“格好よさ”にも通じるものであるし、あらゆる差別に異を唱える反ナチスの女医ヒルデとオッペンハイマーのやりとりは、単なる「ナチスという異常集団による人種差別」に終わらせない広がりを感じさせて心強い。重く暗い内容であるにも関わらず、本書が読みやすくて読後感もすっきりしているのは、おそらくこのあたりに理由があるのではないだろうか。
 そして大事なのは、それらをしっかりと受け止めて物語のリアリティを支えているのが、「灯火管制下のベルリン」という極限状態を、まるでその場にいるかのように描く歴史小説としての迫力であるという点。全編を覆う重苦しい空気と緊迫感は序盤から紛れもない傑作の予感を感じさせて、ページをめくる手を止めることが出来なかった。ひさびさの一気読みである。そして読み進むうち心の中には、差別主義と偏狭なナショナリズムと、暴力や恐怖で人を思いのままにしようとする思想や体制への嫌悪感が強まってゆく。残念ながら現代史には詳しくないのだが(特に日本以外の国であればなおさら)、それでも綿密な取材に基づく街や人々の暮しの描写は、自分のような読者が読んでも迫真性を感じるに充分なものだった。この時代に詳しい人ならより一層愉しめるのではないだろうか。

 少し話は変わるが、本書の題名である「ゲルマニア」についても少しふれておきたい。自分は寡聞にして知らなかったのだが、この言葉は首都ベルリンがナチスによって新たな世界都市に改造された暁には、誇り高きゲルマン民族を讃える新たな呼称となるはずのものだったらしい。つまり物語の舞台である戦時下のベルリンを示す名前であるとともに、ナチスドイツの思い描いた理想を象徴するものでもあるのだ。そう考えるほどに題名のもつ皮肉な意味がじわじわと効いてくる。このような作品が戦後70年のドイツ本国で出版され、そして高く評価されたことに対して、ヨーロッパの人々がもつ(どこかの国とは違う)歴史認識の重みや文化的な余裕のようなものを感じてしまう。
先日C・プリースト『双生児』の記事でも少しふれたが、第2次世界大戦および「ファシズムとの戦い」について、枢軸国(独)の側から描いた本書『ゲルマニア』と連合国(英)の立場から描いた『双生児』を、“今この時期”に併せて読めたことは大きな意味があったかも知れない。これもまた読書の“マリアージュ”の一種と言えるのではないだろうか。名古屋ミステリー読書会の皆さんにはこのような作品を読む機会を与えて頂いたことに関して深く感謝を申し上げたい。近々ひらかれる予定の読書会が、今からとても愉しみでならない。

<追記>
 日本で本書に匹敵するようなミステリ作品には何かあるだろうかと考えていたら、山田正紀『人喰いの時代』や『ミステリ・オペラ ―宿命城殺人事件』などが頭に浮かんできた。あるいは山田風太郎の『警視庁草子』『明治十手架』といった“明治物”あたりもいい。いずれも史実と虚構をうまく取り混ぜながらミステリとしての仕掛けを施すことに成功している。両立はかなり難しいことと思うが、その分、上手く嵌ったときには大傑作が生まれるということかも知れない。まさに歴史ミステリおそるべしである。(笑)
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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