『アーキテクチャの生態系』 濱野智史 ちくま文庫

 日本におけるインターネットの勃興期から本書が書かれた2008年までを対象にして、その歴史と概念を俯瞰した本。技術系の世界では普通「アーキテクチャ」と言えば建築学のことを意味するのだが、ネットの世界では違うらしい。(そんなことすら、この本を読むまでは知らなかった。/汗)ネットでアーキテクチャというのは(自分流に解釈すれば)“使用ルールを内包した構造的な仕組み”のことを指すようだ。
 建物を例にとって、もう少しわかりやすく説明してみよう。例えば大きなビルで、各階のトイレや階段の位置が違っていると利用者が不便で仕方ない。また緊急時に避難する時でも、各自が好き勝手な方向にいけるようになっていると危なくて仕方がない。そこで(特に意識せずとも)誰もが迷わず利用できるよう、トイレや階段の位置を合わせたり、入られて困る場所の扉に鍵をかけて勝手に出入り出来ないようにするなど、構造的な配慮を行うのが一般的だ。ネットの世界でも同じことで、利用者にやってほしくない行為を禁止して、しかもそれを利用者に意識させないように、始めからルールとして組み込んでしまったプログラム構造 ――すなわち“ルールを内蔵して使用者に強制的かつ無自覚に守らせることが出来る仕組み”のこと―― を、「アーキテクチャ」と呼んでいるらしい。
 ではさっそく本書の中身について。
 素人には簡単には理解しがたいこのネット空間を、著者は「生態系」になぞらえて説明している。要はホームページやブログ、あるいはパソコン通信やミクシィに2ちゃんねるといった諸々の栄枯盛衰を、生物の弱肉強食の世界に喩えているわけだが、ブログやツイッターを利用しながらもこの手の話題に極めて疎い自分にとって、このようなアプローチの仕方は新鮮かつとても解りやすい。こういう入門書が前から読んでみたかったので丁度よかった。著者によれば日本は欧米のネットとは別の生態系が発達しているそうで、そのあたりの考察が本書の眼目といえるだろう。
 日本におけるネット黎明期のあれこれも面白いが、まず最初に取り上げられる大ネタは「2ちゃんねる」についてだ。なんど覗いてみても仕組みがよく理解できない2ちゃんねるについて、“dat落ち”といった特殊用語も含めて、そのアーキテクチャの設計思想を解りやすく説明してくれている。いわゆる“常連”の排除とコミュニテイとしての活性化を狙って、2ちゃんねる特有の匿名性や”dat落ち”といった仕組みが作られたということらしい。(*)

   *…これは管理人である西村博之氏の言葉とのこと。しかしこの匿名性こそが
      結果的に、2ちゃんねる自体を(まるで昔の九龍城のような)世間から隔絶
      した存在にしてしまった感も否めないところではある。著者はこの2ちゃん
      ねるのことを、ジャーゴン(業界にだけ通用する隠語)によってつながった
       一種の「想像の共同体」ではないかと述べているが、むしろ文化人類学
       的な意味での「秘密結社」に近いのではないだろうか。

 各種アーキテクチャと文化の相性についての考察も面白かった。2ちゃんねるを日本的な「安心社会」(=ある集団に属することで安心感を得、「誰と誰が仲間なのかといった人間関係を見分ける知性の方が重要」である社会)に、そしてブログをアメリカ的な「信頼社会」(=集団ではなく個人のレベルで「誰が信頼に足るべき人かを見分け」、個人同士の間で関係性を結ぶ社会)に基づくものとして位置づけたうえで、両者を対比している。そう言われてみると、たしかに2ちゃんねる的なものは欧米には出現しにくいという気もしてくる。また今でいうなら、前者は日本で隆盛を誇るツイッター、後者は世界のスタンダードになりつつあるフェイスブックに相当するのかも。
 ミクシィ(執筆当時は招待制で閉鎖的な空間をウリにしていた)とフェイスブックについての比較も。ミクシィはグーグル/アメリカ的な社会文化からの逃避の手段として生まれ、日本的な「儀礼的無関心」さえも必要としない閉鎖空間を実現したことで人気を博したとされる。さらには「足あと」を全て辿れる究極の「繋がりの社会性」を実現することで個人同士の「信頼」を却って不要にしたことが、日本に馴染んだ理由ないかとも。(これは現在ではLINEに引き継がれているような気もする。)

 別の章ではツイッター(非同期型)、ニコニコ動画(疑似同期型)、セカンドライフ(同期型)という三つの異なる時系列システムを比較し、テレビに代表されるような同期型メディア(=参加するとリアルタイムで拘束される)からネットという非同期型メディア(=いつでも好きなときに参加して履歴を追える)への変化についても言及している。著者によればセカンドライフが上手くいかなかった理由は、インフラが脆弱で一度にログインできる人数が少ないため閑散としていることの他に、同期型であるという本質的な部分にあるとみる。それに対してニコニコ動画ではいつでも「まつり」に参加しているような臨場感/満足感が得られるというのだ。うん、たしかにそれは云えるかも知れない。クライマックスで画面を埋め尽くすコメントを見ていると、そのイベントがまさに今起こっているような錯覚に陥るものね。
 他にはニコニコ動画における初音ミクの成功と拡散、ケータイ小説「恋空」の小説作品としてのクオリティの低さ並びに限定された読者層の中での「リアルさ」についての考察なども。日本固有のネット現象に関する種々のテーマが取り上げられて飽きさせない。
最後の方ではネットの持つ潜在的な危うさについても考察がなされている。その中で経済学者ハイエクの思想まで引用されているのにはちょっと驚いた。市場経済においてはいまだに「神の見えざる手」にすべてを委ねる方が良いという考えと、放置ではなく公的機関による最低限の介入こそが秩序を保つのに不可欠という考えが対立している。これはまさにネット社会においても同様であって、「祭り」や「炎上」(これら両者は同じ事象の裏表ともいえる)が暴走したときに市民に対して外部からの圧倒的な強制力として働くのではないかという指摘は、その後のネトウヨの出現によって現実のものとなった。ハイエクは経済学において「自生的秩序」の必要性を説いたのだが、ここから派生して法学者ローレンス・レッシングによる「インターネットがもたらす自然発生的な自由を、(デジタル著作権管理のような)極端な抑制から守るためには、何らかの自律的な秩序が必要である」といった意見を紹介している。たしかに今の状況を見る限りでは、ヘイトスピーチやデマの拡散の防止を目的として一定のルールを作ることは、まさにブラックマンデーやリーマンショックを防ぐ為の市場介入のようなものであるという気もしてくる。(もちろん導入には慎重かつ多義的な議論が必要ではあるが。)
 そのような仕組が是か非かといったところにまで思いを馳せたうえで本書は考察を終える。現在進行形のことでもあり本書にも最終的な結論や展望めいたものは書かれていないが、かなり重要な視点であるといえるだろう。本書は初心者に丁寧な説明はもとより以上のような深いところまで議論がなされ、射程が広くて読み応えのある本だった。

<追記>
 本書の内容には概ね満足できたのだが、少しだけ残念だったのは2008年から現在までの増補がなされていなかったところ。2008年といえば初音ミクやフェイスブックがやっと登場した一方で、ミクシィがまだ全盛だったころにあたる。その頃からすれば今は“生態系”も大きく変化しているので、ぜひともそれらについての考察が読んでみたかった。
 またミクシィやフェイスブックにツイッター、セカンドライフやケータイ小説といった代表的なアーキテクチャについては、“今後の予測”について書かれているのだが、これらが悉く外れてしまっているのが(本書の主旨とは違うが)とても面白い。尤もこれは決して著者の分析の甘さなどではなく、情報社会の変化の速さと予測の難しさ故といえる。これからどのような方向に向かっていくのだろうか。
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