2015年8月の読了本

今月は休みにたくさん読めたのでかなり満足できた。本当は平日にもそこそこ読めるといいのだけれどねえ。

『ムントゥリャサ通りで』 M・エリアーデ 法政大学出版局
 世界的に有名なルーマニアの宗教学者が発表した幻想小説。世界のすべてを知るかのごとき驚異の語り部ファルマ老人は、保安警察や政府高官らの求めに応じて謎の消失を遂げたラビの息子を巡る思い出話を語りだす。しかし彼の話は迷宮のように錯綜し、尋問にあたった警官を翻弄する。ボルザをきっかけにダルヴァリ、ヨジ、リクサンドル、そしてオアナへとファルマ老人の思い出話は際限なく広がっていくのだが、「一人について語るには全てを語らなくてはならない」という老人の言葉で、文化人類学者レヴィ=ストロースが『神話論理』のシリーズで明らかにした神話のグラデーションをふと思い出した。まさに神話的な幻想といえるだろう。ミハル・アイヴァス『黄金時代』に出てきた無限につながる註釈つきの本みたいだ。
 そして前半の目くるめくような神話的世界は、後半に至りマコーマック『ミステリウム』を思わせるような緊迫感に満ちたメタミステリへと突然変貌をとげる。後半の畳み掛けるように謎が解かれていく展開も悪くないし、エスピオナージュ的な描写も当時のルーマニアのお国柄が出ているようで大変に興味深い。予想していたのとはちょっと違っていたが、これはこれで満足のいく一冊だった。

『わたしのブックストア』 北條一浩 アスペクト文庫
 新刊書店や古書店の区別なく、どこか人を引き付ける魅力がある店を全国各地に訪ね歩いたガイドブック。もとはムックの類いで出た本の文庫化らしく、今を時めく芥川賞作家のピース又吉氏や均一小僧の異名を持つ古本愛好家・岡崎武志氏らのインタビューなども収録されている。取り上げられた書店は仙台の火星の庭、千駄木の往来堂書店、表参道の古書日月堂など17店舗。前から行ってみたいと思っていた有名店も多いが、店内のカラー写真が掲載されているのが嬉しい。書中には取り上げられてはいない本屋ではあるが、町田の高原書店にもまた行きたくなってきた。

『モンテ・クリスト伯(六・七)』 アレクサンドル・デュマ 岩波文庫
 地位も名誉も全てを失った絶望の中、奇跡により巨万の富と自由を得た男エドモン・ダンテスによる復讐の物語。三、四巻のあたりは少しダレて間が空いてしまったが、五巻に入ってから一気に展開が進んで続けて読んだ。うん、面白いぞ。読後感も爽やかで好い。基本的に勧善懲悪の物語なのだが、司法の手が届かない罪人にを相手に神に替わって罰を与えるというのが、如何にもキリスト教的に思える。どうなんだろう。
 A・ベスター『虎よ、虎よ!』は本書を参考に書かれたとされ、両者を比較しながら読んでみたのだが、なるほどたしかに色々と似ているところも多い。大まかなプロットばかりではなく、物語のラストまでヒントにしているような気もする。そしてさらに気が付いたのは、白井喬二『富士に立つ影』も本書から着想を得たのではないかということ。親と子供で善悪の役割りが入れ替わったり、あるいは善人に生まれた子息らの処遇であったりは、とても似ている気がする。
 正直なところ、個人的には作者の代表作である『三銃士』よりも面白く感じた。用意周到に張り巡らされた伏線も最後にはきちんと回収されていて、個々のエピソードにも巧く決着がつけられる。その中でも一番の見せ場はやはり監獄でのファリア司祭との出会いと別れ、そして脱獄から財宝を見つけるまでのくだりであって、それが良くも悪くも本書の印象を決めている気がする。中盤以降の復讐の顛末は、意外と知られていないのではないだろうか。有名だけど読んでいない本はまだまだあるので、これからも機会を見つけて読んでみよう。

『11 eleven』 津原泰水著 河出文庫
 極めて技巧的で昏く幻想的な物語が全十一篇入った短篇集。イメージでいえば、例えばベルメールの人形であったりパク・ミンギュの『カステラ』であったりといったところか。幻想小説とホラーとミステリの境界線上のような話も多く、作風としては心を擦られるような不穏さと美しさが同居している。「五色の舟」「延長コード」「手」「土の枕」あたりが好みだな。

『動きの悪魔』 ステファン・グラビンスキ 国書刊行会
 20世紀初頭に活躍した、ポーランド唯一の“恐怖小説専業作家”による鉄道怪奇物語集。これまではアンソロジーに短篇がひとつ載っただけなので、本書が実質的な日本への紹介に近い。
 実は本書を読む前は、全てが鉄道を題材にした作品だと聞いて正直心配していた。昔、海洋テーマばかりを集めた怪奇小説集を読んだ時、最後の方で正直いって少し飽きてしまったことがあったのだ(笑)。しかしそれは本書に限っていえば杞憂だった。乗務員や乗客などいずれ劣らぬ癖ある人々が鉄道事故にまつわる恐怖を体験する前半と、形而上的ともいえる神秘体験が色濃い後半の全十四篇からなり、バラエティに富んでいて飽きさせない。出てくる人物の誰もがどことなく偏執的なのが面白い。『怪奇小説傑作集』に収録されていても違和感ないものばかり。なるほどこれは帯にあったようにラブクラフトでありポーだ。
 ちなみに本書でもツイッターを使った愛読者プレゼントが翻訳者の芝田文乃氏により自主企画されていた。(これは訳者の中野善夫氏によるヴァーノン・リー『教皇ヒュアキントス』のキャンペーンから始まったもので、最近は古沢嘉通氏など他の訳者の方にも広がりつつある。)当然のことながら応募条件は訳者の方により違っていて、今回の応募条件は「気に入った3作品を選び、ハッシュタグをつけてツイートする」というものだった。自分の選んだのは「音無しの空間(鉄道のバラッド)」「偽りの警報」「動きの悪魔」だったが、他にも「X電車で行こう」を彷彿とさせる「放浪列車(鉄道の伝説)」や、「トンネルのもぐらの寓話」も好かった。
 それにしても何で鉄道ばかりがテーマなのだろう。20世紀初頭の世界では、全速力で疾走する大きな鉄の塊は今以上に強烈なイマジネーションの源だったのだろうか。スマートな電車に比べとても無骨な機関車の持つ暴力性や、遥か彼方まで続いていく線路が持つ魔力といったものがあったのだろうか。すごく乱暴な思いつきで恐縮だが、もしかしたら20世紀初頭に列車が持っていたイメージは、その後は飛行機に受け継がれ、次にロケットへと移っていったのかもしれない。

『ヴァリス』 フィリップ・K・ディック ハヤカワ文庫
 ディック晩年に書かれた問題作。5年ぶりに読み返した怪作は、新訳のおかげでファットの狂気を冷静に見守る「ぼく」のパートがより強調された結果、自分の中ではこれまで以上に奇怪な作品という印象が強くなった(笑)。作品としては明らかに破綻していると思うが、色んな意味で面白い。ところで本書で描かれる「ディック神学」というものは、今回も結局のところよく解らなかった。グノーシスをベースにユダヤ教とか仏教とか色んなものから持ってきているのだが、結局のところは“ひとりカルト”なので。

『新生』 ダンテ 河出文庫
 ダンテが僅か9歳の時から想いを寄せた、ひとつ年下のベアトリーチェへの至高の愛を詠った抒情詩集。平川祐弘氏による口語訳が読みやすく、さらに詳細な註および解説を附している。きっと若い頃なら気恥ずかしくてとても読めなかったと思うが、これがある『神曲』の詩想の源泉と思うとなかなか感慨深い。

『残穢』 小野不由美 新潮文庫
 著者本人を語り手とした実話怪談系のホラー小説。新興住宅地の賃貸マンションで、さりさりと畳を擦る音や赤ん坊の泣き声がする。しかも何ら関連のないあちこちの家で……。怪異の謎を追う2人の女性が転居した人達や土地の過去を知る古老へ聞き取りを繰り返すうち秘密は徐々に明かされていくのだが、結局のところは有るか無いか判らぬ「穢れ」というやつが一番怖かった。
 そもそも人が恐怖を感じるのは、「把握しがたいもの(正体不明や場違い)」「理解しがたいもの(因果や相手の行動規範)」「受け入れがたいもの(とっさの瞬間や強制)」などに出会った時ではないかと思う。だから恐怖を感じた時に、人はその対象を理性でもって理解しうけいれようとする。そうすることで恐怖を克服しようとするのだ。ところが本書で描かれているのはまさに、いくら理性で向き合おうとも理由が見えてこない怪異。しかもいくら過去に遡ろうとも因果が見えてこない怪異でもあり、恐怖の仕掛けが2番底、3番底になっているのだ。これはなかなかに怖い。そして因縁では解釈できないそれら不条理な恐怖の連鎖を、「穢れ」で説明しようとすることもまたひとつの理性の表れとするならば、まさに本書は露伴怪談の正統な後継と言えるのかも知れない。これまで実話怪談にはさほど興味を持っていなかったのだが、本書を読んで見直した。小野不由美作品の中では本書の方が『東亰異聞』や『屍鬼』より好きかも知れない。

『異界と日本人』 小松和彦 角川ソフィア文庫
 NHK人間大学として放映された番組のテキストをもとにして、角川選書として発行されたものの文庫化。様々な説話に表される日本人の異界観を、軽い読み物として紹介している。なおここで云う「異界」とは、人の棲む地に隣接した境界の向こう側にあるとされた領域のこと。直接異界に行けるのは特別な資質をもった者だけであり異界の様子は知る由もないが、その存在は現実と異界の境界部分に現れる“異形のもの”にまつわる物語を通じて流布された。たとえば酒呑童子しかり玉藻前しかり、そして俵淘汰の百足退治しかりだ。日本人の異界観は近世に至り一気に変貌を遂げたが、妖怪文化の娯楽化は現代でも水木しげるの漫画やゲーム、アニメなどを通じて継続しているといえる。本書はそれらを俯瞰するのに手ごろだし読みやすいので、小松妖怪学の入門編としても良い本かもしれない。

『風流仏・一口剣』 幸田露伴 岩波文庫
 著者が23、4歳の時に書かれた出世作とのことで、それぞれ仏師の悲恋と刀鍛冶の一念発起を描く人情もの。今読むと現代との価値観の違いに戸惑い、あるいは“あんまりな結末”に驚くが、それが逆にいかにも明治期らしさを感じさせもする。鏡花を読んでいるときもそうなのだが、何しろ言葉遣いが心地良いのが好い。

『善と悪の経済学』 トーマス・セドラチェク 東洋経済新報社
 チェコの経済学者による経済学の本。現在の主流派経済学への批判を目的とし、「ギルガメシュ叙事詩」「旧約聖書」「古代ギリシャ」「キリスト教」「デカルトと機械論」といった過去から哲学・思想の中に経済学の萌芽をみて、現代の経済学の中に人を幸福にする手段としての“善き経済学”を見出そうとする。

『澁澤龍彦との日々』 澁澤龍子 白水uブックス
 澁澤晩年の18年を共に過ごした夫人による回想録。なれそめや鎌倉での四季折々の暮らしぶり、友人たちとの交遊や旅先での様子、そして涙なくしては読めない闘病から逝去までの様子を赤裸々に語る。本書によれば龍子夫人が最も好きな著作は『フローラ逍遥』とのことで、(絶筆となった)『高岳親王航海記』は傑作だが最期を思い出してつらいので読めないとも。本書を読んでいるうち『高岳親王航海記』をまた読み返したくなった。そしてそのうち、『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』と盟友・種村季弘氏による『澁澤さん家で午後五時にお茶を』も、併せて再読してみたい。

『猫とともに去りぬ』 ロダーリ 光文社古典新訳文庫
 『チボリーノの冒険』で知られたイタリアの児童文学作家によるファンタジー集。元は中高生向けのようで易しい物語だが、どれも奇想天外かつおしゃれな設定で面白い。表題作や「チヴィタヴェッキアの郵便配達人」「ピアノ・ビルと消えたかかし」などが好み。

『脳天気にもホドがある。』 大矢博子 東洋経済新報社
 ミステリを中心とした書評活動で有名な大矢氏の旦那さんが脳出血で倒れてから1年間に亘る闘病の記録。発症から急性期、回復期とリハビリまでの期間にあった出来事が事細かく語られるが、本書でなにより素晴らしいのは徹頭徹尾、前向きで明るいこと。闘病記は読むと後悔するようなものも中にはあるが、これは読んで良かった。アドバイスが具体的なので、きっと同じような状況になった人にとても役立つと思うし、よほど勇気づけられるのではないだろうか。本書の特徴はもう一つあって、やたら野球の話が多く出てくる事。それもそのはず、夫婦そろって「キチ」が付くほどの中日ドラゴンズファンなのだ。でも病気の時に限らず、「好きなこと」があるのは良い事だよねえ。日々の励みになるし、気分転換にもなるし。なるべく沢山あった方が良いとおもう。

『聖なる侵入(新訳版)』 フィリップ・K・ディック ハヤカワ文庫
 ヴァリス二部作(もしくは『ティモシー・アーチャーの転生』も加えて三部作)の一冊であり、前作『ヴァリス』の神学を全面的に展開した物語で、不完全な神により作られた世界における個人の救済が追求される。ただし小説としては前作より面白かった。細部には『宇宙の眼』や『市に虎声あらん』を思わせるところもありそれなりに愉しめる。(もちろんディック作品は世界に対する不安や生きる苦しみ、そして現実崩壊の感覚が醍醐味なので、『ユービック』『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』といったベスト級の作品に比べればちと弱いところはあるが。)巻末の訳者解説によれば『ヴァリス』の主人公であった狂えるSF作家ホースラヴァー・ファットが書いた作品という位置づけらしい。ここで中心テーマとなる“ディック神学”はいびつな世界観をもっているのだが、それでも基本的には旧約のヨブ記かもしくはグノーシス主義の派生なのでキリスト教の思想をベースにして理解することが出来る。とうか、一神教の世界で「苦しみ」とか「救済」の話になると、どうしてもそのあたりの話にならざるを得ないのだろうか。世界や自分の生に意味を求めだすと特に。このあたりは仏教の方が気楽に生きていけそうな気がする。

『記憶をあやつる』 井ノ口馨 角川選書
 脳分子化学の専門家が自らペンをとって書いた、「記憶」の研究に関する一般向け解説書。脳研究の歴史や脳構造、記憶のメカニズムといった基礎知識が最初に載っているので初心者でも解りやすい。(すでに知っている人は飛ばしても差し支えない。)しかし本書の白眉はなんといっても記憶研究の最前線を解説する第4章からで、池谷裕二氏のエッセイに載っていた話のその先が語られている。シナプス・タグという、長期記憶を制御することで互いに連動して動くシナプスのセル(≒集まり)を作り出すメカニズム。あるいはそれらのセルがさらに関連付けられる事で、大きな繋がりを持つ連合体になり連想記憶を作り出す。こういった高次の記憶を司る一連の流れが分子化学のレベルで説明され、ぞくぞくするほど面白い。但しこの手の「最新情報」は数年たつと古くなって面白さが半減してしまうので、なるべく早いうちに読んで愉しむのが良いと思う。
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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