第3回名古屋SF読書会レポート

 昨年の第1回(アーシュラ・K・ル・グィン『闇の左手』)、今年になってからの第2回(アルフレッド・ベスター『虎よ、虎よ!』)に続き、早いもので第3回の読書会を迎えることが出来た。開催日は7月26日(日)で、場所は第2回と同じ名古屋駅前のウインクあいち。課題本はレイ・ブラッドベリ『華氏451度』だ。第1回の時に参加者の皆さんの投票で選ばれたのが『虎よ、虎よ!』と『華氏451度』だったので、これで当初予定した作品はすべて実施したことになる。
 今回の参加者はスタッフも入れると全部で29名。今回もたくさんの方にご協力いただき愉しい読書会が開催でき、大変にありがたかった。スタッフ一同この場をお借りして改めてお礼申し上げます。

 さてそれでは早速当日の内容について。
 流れはいつもと同じく名古屋ミステリー読書会方式。予定通り14:00からのスタートで、最初の1時間40分は3つに分かれてのグループ協議の時間。グループごとに司会者の進行に従って感想を述べ、板書係がホワイトボードに記録していくというかたち。グループ協議の最後には「次に読むならこんな本」をお互いに出し合って終了となる。10分間の休憩中に机を片付けてホワイトボードを横一列に並べ直し、後半はホワイトボードの記録を使って各グループの内容を司会者が他のグループに紹介し、全員で出た意見を共有する。ラストには次回の読書会の課題本を全員投票で決めて17:00までに撤収し、そのまま2次会へとなだれ込むというパターン。ところで名古屋SF読書会の特徴として、(ミステリー読書会と同じく)2次会への参加率がとても高いことが挙げられる。今回も都合で出られない方を除いて参加者29名のうちなんと24名が2次会参加という状態に相成った。2次会の場で皆さんが親睦を深め、次からも気軽に参加いただけるという良いサイクルが生まれている気がする。これは男女の参加比率がおよそ50%ずつという点と合わせて、結構自慢できることではないだろうか(笑)。

 閑話休題。
 ではH班/W班/N班(←司会者の頭文字)という3つの班それぞれで出た内容を一括りに整理して、全体でどんな意見や感想が出たかをざっとご紹介しよう。
■新訳と旧訳について
 旧訳は句点がやたら多くて読み難かったという意見もあれば、用語は旧訳の方が良かったという意見もあり一概には言えない感じ。(例えば灯油の代わりにケロシンなんて言葉を使っているが、若い人には却ってわからない。)なかでも「新訳は(言葉の感覚が)古い」という意見が斬新だった。でも新訳版には引用の解題も載っているし、ブラッドベリの原典の表現により忠実な訳ということらしい。
■映画版との比較
 映画の方が小説に比べて解りやすいという印象。クラリス(=主人公モンターグの導き手となる謎の少女)が生きていて後からまた出てくるなどラブロマンスの要素が強い。クラリスとミリー(=モンターグの妻)が同じ役者による一人二役というのも暗示的。
■小説の印象
 前半が読みにくい。後半の逃亡劇になってからは読みやすい。世界の設定について説明がない。クラリスは死んだのか、街は滅んだのかどうかなど曖昧。結局何が禁止されているのかがよく分からないなど、物語として今ひとつ解りにくい。
■登場人物について
 モンターグは激情・破滅型で思い込みが激しく、チャンスを壊すことはあっても自分から行動は起こさない。多くの導き手に迷惑をかけながらも導かれていく存在。クラリスは無垢。立ち止まって物事を考える習慣をもっていることで反社会的と見做されるが、フェイバーやグレンジャーと同じくモンターグの導き手でもある。上司であるベイティーは膨大な本の知識を持つが、それを攻撃のための道具(武器)としてしか使っていない。(ベイティーは死にたがっていたのではないか?という意見もあり。)そして彼もある意味モンターグの導き手になっている。
 ミリーたちはTV壁に移るドラマに興じるばかりで虚しい人生を送っているように見えて、実は幸福は人それぞれなのではないか?(ああいう生き方もまたひとつの幸せであることは作中にも言及されていたはず。)

 とまあ、全体に共通する印象としてはこんなところだろうか。その他にも重要かつ面白い意見が結構あったので、思いつくままに挙げてみよう。
 まず「この世界で禁じられているのは何か?」について。これはひとこと「書物」といって終わるような単純な話ではない。クラリスが反社会的とされ監視の対象となったことからも判るように、そしてドラマの台本は問題なく使用されていることからも明らかなように、「知識」や「ノウハウ」は禁じられておらず、考える力を養うこと即ち「教養」が禁止されているのだ。(“一億総白痴化”計画みたいな感じか?)
 だいたい、禁書の範囲がどこまでなのかがはっきりしない。最初の部分(新訳版では60ページ)に「アメリカ昇火士」の略史が記されているが、それによれば1790年にベンジャミン・フランクリン(!)をこの制度の嚆矢とし、英国の影響下に著された書籍を焼却したとされている。つまりアメリカ以外では本は禁止されていないようなのだ。さらには全ての州で実施されているかもわからない。(大麻が禁止されている州と合法な州があるみたいなもの。)極端な話、単なるどこかの街の条例みたいなものかも知れないのだ。それにしては物騒な条例ではあるが。
 また、通常「反知性主義」と言われるものは本来アメリカのプロテスタント社会に特有のものであって、キリスト教的な一種の原理主義である「リバイバル(信仰復興運動)」に基づくとされている。したがって宗教的な視野狭窄とは切っても切れないはずなのだ。ところが本書においては聖書も焼却の対象とされている。これはどうしたことかと思っていたのだが、結局のところは先ほど書いたように考える力や思想を持たせない生権力みたいなものというわけだ。「焚書をテーマにしていながら“物体としての書物”にはこだわっていないのが不思議」という意見もあったが、これがその理由なのかもしれない。
 なお本書が発表された1953年は東西冷戦の真っ最中であり、朝鮮戦争や赤狩り(マッカーシズム)など社会不安が多い時代だった。また核戦争により一瞬で世界が滅んでしまうことへの強い不安が蔓延していた。(これは『虎よ、虎よ!』読書会での中村融氏による指摘に共通する内容。)そのためラストで街が爆撃で滅びるシーンは核戦争の暗示であるとともに、死亡したと見做され森の中に隠れ住んでいた人々が知識を携えて復活したり(=死者の復活)モンターグが街の最期を幻視するシーンは、ヨハネの黙示を象徴しているのではないかという意見があったことも付け加えておきたい。

 詩人としてのブラッドベリに着目した話題もあった。本書がなぜこんなに結論を曖昧なままにしているのかについてだが、これは著者が計算してやったことではなく、単にブラッドベリはプロットを組み立てるのが苦手だからなのだそう。(『ブラッドベリ年代記』を翻訳された中村融氏からのコメント。)著者は個々のエピソードやイメージ喚起力には格段に優れているが、実はプロット作りはもともと上手くないのだそうだ。本書も最初は中篇として発表されたものであり、その段階でラストまで書かれていたひとつの完成品だったらしい。もともと長篇化に耐えられるほどしっかりしたプロットではないのにエピソードを追加して膨らませたせいで、あちこちに細かな綻びができてしまったらしい。
 個人的な話になるが、ブラッドベリ作品におけるセンス・オブ・ワンダーの本質は実は「一言で語れる設定」にこそあるのではないかと常々思ってきた。しかしそれがプロットの弱さの裏返しだったとは。とても新鮮で面白い意見だ。そう考えるとした場合、ブラッドベリが得意なオムニバス作品(例:『火星年代記』や『塵よりよみがえり』など)を”不完全な長篇”としてみてみるのも面白いかも知れない。
 次は本書の曖昧さをつくるもうひとつの要因について。それはブラッドベリのテクノロジーに対するある種のこだわりなのだそうだ。本書では映像やコミュニケーションツールといった新メディアが否定的に描かれており、本書を読む限りブラッドベリはテクノロジーが嫌いなのかと思っていた。しかし中村氏によれば実はそうではなく、テクノロジーが大好きなのだそうだ。ただしここで注意点がひとつある。それはブラッドベリが好きなテクノロジーには条件があるということ。あくまでも子供時代から慣れ親しんでいて自分で好きにできるようなテクノロジーだけが好きなのであって、理解できないような新しいテクノロジーは嫌い。そこらへんにこそ、本書で描かれるテクノロジーの切り分けにいまひとつ曖昧さが拭えない理由に違いない。
 中村氏からは他にも「ブラッドベリ作品では象徴が重要な役割を果たす。象徴性を見逃すと大事なものを読み落とす」とか、「火は多様な意味を持つが主に破壊を司る。一方で水は生命や救済(洗礼)で対になっている」「昼と夜も対立。火は夜に燃やす」といった面白い見方を教示いただいた。
 また別の方からは本書が図書館学を勉強する時に必ず出てくる作品だということや、ベンジャミン・フランクリンがアメリカで初めて有料の図書館を作った人物だという話を教えて頂いた。このように全く思いもよらなかった意見や知識に出会えるのが、まさに読書会の醍醐味といえるのではないだろうか。

 長くなったが、恒例の「次に読むなら」を挙げて終わりとしたい。
■ブラッドベリ作品から
 『火星年代記』/『刺青の男』/『何かが道をやってくる』/『10月はたそがれの国』
■その他の小説
 『第六ポンプ』(パオロ・バチガルピ)/『キャッチ=22』(ジョーゼフ・ヘラ―)/『1984年』(ジョージ・オーウェル)/『ゲルマニア』(ハラルト・ギルバース)/『肩をすくめるアトラス』(アイン・ランド)/『すばらしい新世界』(オルダス・ハックスリー)/『時計仕掛けのオレンジ』アントニイ・バージェス/『侍女の物語』(マーガレット・アトウッド)/『エドウィン・マルハウス』(スティーヴン・ミルハウザー)/『バルザックと小さな中国のお針子』(ダイ・シージエ)/「バベルの図書館」(ホルヘ・ルイス・ボルヘス)(『伝奇集』所載)/『月世界小説』(牧野修)/『ハーモニー』(伊藤計劃)『図書館戦争』(有川浩)/『3月は深き紅の淵を』(恩田陸)/「オペラントの肖像」(平山夢明)(『独白するユニバーサル横メルカトル』所載)/『ファーレンハイト9999』(浅倉勲)/『僕の妹は漢字が読める』(かじいたかし)
■その他
 『街場のメディア論』(内田樹)/『光る風』(山上たつひこ)(漫画)/『フール・フォー・ザ・シティ』(永野護)(漫画)/「リベリオン」(映画)/「突然炎のごとく」(映画)/「サイコパス」(アニメ)/「下ネタという概念が存在しない退屈な世界」(アニメ)

<追記>
 SF読書会は設立の経緯もあってミステリー読書会からの参加者も多いのだが、いかにもミステリーファンらしいコメントもあった。例えばクラリスはまだ生きていて正体はモンターグに送り込まれたスパイなのではないかという説や、クラリスが死んでいるとした場合、彼女を殺したのは誰か?という犯人捜しの愉しみ方。これは考えもしなかった読み方なので面白かった。
 またある女性の方からは「スパイスの香りなど五感に訴える描写が素敵」「フレグランスを作りたくなる」といったコメントもあり、2次会では『華氏451度』をイメージしたジャムを作りたいというお話も聞かせていただいた。なんだかこれまで知らなかった新しい世界が開けていくようで愉しい。

<追記2>
 第4回の読書会も開催日時と課題本が決定しています。
 日時) 2016年1月23日(土) 13:30受付開始、14:00~16:45読書会、(17:00~2次会)
 場所) 名古屋駅前 ウインクあいち会議室
 課題本)『ゼンデギ』グレッグ・イーガン/ハヤカワ文庫

 ※詳細は近くなりましたらツイッターおよびスタッフホームページにてご案内します。
   多数の方のご参加をお待ちしています。
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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