『コングレス未来学会議』とスタニスワフ・レムの話

 昨日、今池にある名古屋シネマテークへ行ってきた。観たのは『コングレス未来学会議』という、実写とアニメーションを組み合わせた摩訶不思議な映画だ。『戦場でワルツを』で有名なアリ・フォルマン監督が、ポーランドの作家スタニスワフ・レムの『泰平ヨンの未来学会議』という中篇SF小説を映画化したもの。ドイツ/フランス/イギリス/ポーランド/ベルギー/ルクセンブルグ/イスラエルの世界7か国による共同製作なのだそう。原作は宇宙探検家の泰平ヨンという人物が狂言回しで登場する連作の中のひとつで、“未来学会議”という趣旨のよくわからない学会に招待されたヨンが、はるばる出向いたコスタリカの超巨大ホテルで政府軍と革命軍の争いに巻き込まれるという話。前半では至福剤・超歓喜剤・慈悲剤・激昂薬といった数々のドラッグが、水道に混ぜられたり大気中にばらまかれたりした影響で、ヨンは現実とも幻覚とも区別がつかない悪夢の世界を体験する。そして後半では薬剤治療のため冷凍状態におかれたヨンが数十年後に解凍され、さらに発達した“点線状幻覚剤”の登場によって精神化学的ユートピア(?)が実現した未来社会を体験する。レムには珍しいスラップスティックな笑いの前半と黒いユーモアに満ちた後半が対照的な、諧謔と諷刺に満ち溢れる作品だ。
 多種多様な作品があるレムの作品のなかでもこの『泰平ヨン』シリーズというのは一風変わっている。代表作『ソラリス』(別名『ソラリスの陽のもとに』)や『宇宙飛行士ピルクス物語』のように、レムといえばすぐに深い科学知識に基づいたハードなSFを連想する事が多いが、この泰平ヨンのシリーズでは技術や工学的なアプローチよりむしろ、『宇宙創世記ロボットの旅』や『ロボット物語』と同じような、笑いの中に哲学的な探究が展開されるファンタジーといった方がいい。(もっとも著者自身の中ではいずれも「ファンタスチカ」というジャンルで一括りになっているのかもしれないが。)ちなみに『ソラリス』はこれまでに2度映画化されているが『泰平ヨン』の映画化はこれが初めてであり(*)、その意味でも大学時代からのレムファンとしては注目せざるを得ない。

   *…正確には長編映画化と日本公開が初めて。

 この映画、実は前評判がかなりよかった。「原作とは設定やストーリーを変えてあるがレムの思想を忠実に映像化している」とか、「悪夢のような世界をアニメーションで上手く表現している」とか、なかなか気になる情報がちらほらと事前に聞こえていたのだが、如何せん名古屋での公開は東京公開から約一か月遅れ。仕方ないのでせめて前売りを買って、公開初日の朝一番の上映へと駆け付けることにした。雨の降る中、家から1時間ほどかけて20分前に着いたのだが、入口には開場を待つ人の列がすでに10名ほどできている。さすが熱心な映画ファンが通う場所だけのことはある。(それとも今回は熱心なSFファンなのかな?)
 やがて開場時間になり、席について窓口で買ったパンフレットをパラパラと眺めているうち、予告編につづいて2時間余りの本編が始まった。うーむ、たしかにこれはすごい。途中で飽きさせない。レムの原作は作中作としてアニメーション部分で表現され、その外側には女優ロビン・ライトが実名で登場する実写のオリジナルストーリーが配置される。全体として確かに原作と別の物語になってはいるが、見事に換骨奪胎に成功していると思う。原作が持つ“毒”はそのまま生かしながらも、同時に家族の愛や巨大産業の狂気、そしてひとりの女優の生き様といったものが描かれていて、映画としても上手く出来ている。
 気に入っている小説ほど映画化されたときの失望が大きいので、初めて話を聞いたときはちょっと警戒したのだが、それは杞憂に終わった。大変に好かった。以前見た『ムード・インディゴ うたかたの日々』(**)と同じくらい気に入ったぞ。

  **…原作はボリス・ヴィアン『うたかたの日々』(あるいは『日々の泡』)

 というわけで、ここからは少し話が変わる。今回の『コングレス未来学会議』の公開がきっかけになって、集英社からハードカバーで出たきり幻となっていた原作『泰平ヨンの未来学会議』がハヤカワ文庫に収録されたのをはじめ、なぜか今年はレム作品の出版ラッシュになっている。
 ハヤカワ文庫では他にも通巻2000番記念出版として、国書刊行会『レム・コレクション』の第1回配本だった『ソラリス』が装いも新たに刊行されたり、本家の『レム・コレクション』の方でも、8年間滞っていた『短篇ベスト10』の刊行もついに実現し、全巻完結までああと『変身病棟・挑発』の一冊を残すのみとなった。さらにはずっと品切れ状態だった『天の声・枯草熱』も久しぶりに重版されるなど、一部を除いては殆ど手に入らない状態が続いていたレムの傑作が、以前よりも手に入れやすくなったのはファンとして嬉しい限りだ。これが再評価につながって『宇宙創世記ロボットの旅』『捜査』『星からの帰還』といった作品が再刊されると良いのだがなあ。

<追記>
 そういえばここ数年の間に今回のレムと同様に突然の出版ラッシュに驚いた作家が何人かいる。たとえばR・A・ラファティやジーン・ウルフ。あるいはアンナ・カヴァンやレオ・ペルッツといったところ。(いずれもマニアックな名前ですいません。)思えば、一部のファンに熱望されながらも長らく入手困難だった作品群が、突如、比較的短期間に集中して復刊あるいは新訳されるケースが増えている気がする。読みたくても古書価が高騰して手に入れられなかったものが多いので有り難いが、これは一体どういうことなのだろうか。
 昔、夢中になって読んでいた人たちが今度は読者ではなく送り手の立場になったから? それともハードカバーで小部数発行する仕組みに翻訳書ビジネスが変わったから? 色々な理由は考えられるが、どれも今ひとつピンとこない。まあこちらとしては出てくれるだけ嬉しいのだけれど。いずれにせよ、ただでさえ縮小気味と言われている出版業界の中の、更に限られた市場である翻訳小説のジャンルが無くなってしまわないよう、自分としては狂喜しながらも涙を呑んで買い続けるしかないわけだ。(笑)
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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