『クレオール主義』 今福龍太 ちくま学芸文庫

 新年会で友人のT君から薦められたので、さっそく本屋で探して読んでみた。古今東西の様々な社会学関連テキストから、おいしいところを縦横無尽に引用しつつ、それによって自説を開示していくというスタイル。色んな視座が得られてとても刺激になった。
 そもそもエスノグラフィーなど社会学系の本は、なんだか「科学」と「文学」の境界上をふらふらしている感じがあって、自然科学のように“仮説“と“検証”は期待できず、読むとある種の欲求不満になる事が多い。(もちろん“気づき”や自分なりの“仮説”をえることは出来るのだが。)だからこのように「おいしいとこ取り」をしてくれると、なんだか得した感じになる。
 著者が述べる「クレオール(*)主義」とは、要約すれば、「一つの土地・場所にすむ住民のアイデンティティ」についてのある種の意識であり宣言。例えばメキシコとアメリカの国境線近くの町など、大国からの影響を強く受ける場所や、異文化が交わる場所に住む人々は混血が多く、ピジンイングリッシュやスペイン語、現地のスラングなど様々な言語を使って生活をしている。それらの人々が自分たちの民族・文化・言語などの価値を、「崩れた英語」だったり「白人と現地人の混血」という、従来の固定された価値観への帰属に求めるのでなく、また、「西洋=先進的/非西洋=原始的」といった一面的な価値観に囚われるのでもなく、むしろ彼らが今あるように、混交・流動性・変化というものに積極的な価値を見出していこうということ。「AとBが合わさったもの」として考え限りは、オリジナルのAまたはBの価値を超えることは決してできないが、「AとBが元になってできたCという新しいもの」と考える事で、全く違う価値感が生まれるということだろう。
  *…原義は中南米などで生まれ育ったヨーロッパ人のことだが、
     著者は混交文化の象徴として用いている
 以下、思いついたことをいくつか。
【中央と周縁】
 この考え方で、山口昌男が提唱した「中央と周縁」のタームを見つめなおした場合、一見すると「中央vs周縁」という2項対立が成り立っているように思えるが、実は視点は常に中央の側にある。そのことは周縁という言葉を「中央でないもの(≒異界)」と言いなおしてもさほど意味は違ってこないことから分かる。中央は常にひとつしかないが、周縁は(中央でなければどこでも良い訳なので)いくらでも置き換えがきくことになる。いわば中央の価値観を転倒させるための便利なツールでしかない。
【第Ⅳ章より】
 この章ではニューギニアの原住民集落を廻るパックツアー『ファンタジーワールド』を題材に取り上げている。圧倒的に優位にある文化と劣等的な位置にある文化が相対した時、優位にある側がいかに自分たちの価値観でしか自分の周囲の出来事を解釈しないか(いや、出来ないか)が述べられている。このような切り口でもってストルガツキーの一連の「遍歴者シリーズ」の著作を眺めた時、どのような読みが出来そうか。『蟻塚の中のかぶと虫』なんかかなり面白そう。
【第Ⅴ章より】
 アメリカの白人市民社会において「隣人」というものが、いかに特別な存在であるかということが題材になっている。この切り口で例えばJ・G・バラードの『ハイライズ』や『コカインナイト』『スーパーカンヌ』あたりを読み解くとどんな風に見えるか。これもなんだか楽しそう。
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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