『翻訳ミステリー大賞シンジケート名古屋読書会/第14回』

 ※S・キング『シャイニング』の中身に触れています。未読の方はご注意ください。

 6月20日に開催されたミステリー読書会にまたまた参加した。今回の課題本はスティーヴン・キング『シャイニング(上・下)』(文春文庫)。ちょうど続篇の『ドクター・スリープ』が出るのにあわせて、翻訳者の白石朗さんもゲスト参加で来ていただくなど、いつものように大盛況だった。ほんと、この読書会は熱気にあふれて愉しい会だよなあ。申し込みがすぐに埋まってしまうほどすごい人気なのも頷ける。(ただし今回はモダンホラーということで、女性参加者の出足は若干鈍かったようだが。/笑)

 参加者はゲストやスタッフも入れて全部で42名。グループを3つに分けて前半はグループ毎でのディスカッション、後半はホワイトボードを前にその各グループの内容を司会者が報告し合うという形式は以前の読書空きレポートで言及したので今回は省かせていただくが、手慣れたスタッフの方々のおかげでテキパキと進行されるスタイルはとても気持ちがいい。
 自分はK氏の司会によるグループに割り振られたのだが、ここには出版社でキングの本の編集担当をされているN氏が同席されていたので、たとえば「『シャイニング』はキングのターニング・ポイントになった作品」といった興味深いお話を伺うことが出来たのは収穫だった。
 もともとミステリー読書会は女性の比率が多めなのだが、今回のK班でも男は14名中4名しかいない。そのせいかキングはおろかホラー小説自体が初挑戦という方も多くいて、そのおかげで「モダンホラーとはいったい何か?」といった普段あまり考えないことも改めて考えることが出来た。(ちなみに自分はキング作品を半分くらい読んでいると思うが、長いのが億劫になって最近作までは手を出していない。そんな中でも『シャイニング』は『呪われた町』や『IT』『グリーンマイル』と並んで好きな作品の一冊だったので、今回の読書会は個人的にとても愉しみだった。)

 とまあ、前振りはこれくらいにして具体的な話に入ろう。
 『シャイニング』といえばJ・ニコルソンが父親のジャック役を演じたS・キューブリック監督の映画があまりにも有名(*)。そのせいかツイッターによる事前のやりとりでは「怖いから読めそうにない」という人がとても多かった。自分も含めてキングファンは懸命に「コワクナイヨー」と云っていたのだが、いざ読んでみるとやはり「それほど怖くなかった」という声が多かった。(K班では半分くらいだったろうか。)映像だとショッキングなシーンが否応なく目や耳に飛び込んでくるが、小説では自分が想像(場面の脳内イメージ)を膨らませない限りは大丈夫。本邦の怪談とは違ってホラーは意外と怖くないのだ。
 話を聞いてみたところ、原作では逆に単なる「お化け屋敷もの」ではない部分の重みが、読んでいて却って恐ろしかったという声が特徴的。自分もこの点はまさにそのとおりで、上巻でジャックのダメ男ぶりがこれでもかと描かれるところなどは、ある程度、年を取って家庭をもって初めて解る部分もあり、身につまされる辛さと怖さがあった。むしろ下巻になって完全にあちらの世界に取り込まれてしまってからは、単なる(といっては語弊があるが)「化け物vs主人公」の構図で読めるので、すらすらと面白く読めてしまう。参加者の皆さんも同じような感想を持たれていたので大いに気をよくした。(笑)

  *…扉を打ち破って隙間から横目で覗く“あの写真”。誰もが記憶にあるのでは?

 「ホテルに巣食う悪霊たちが、会社組織のようなヒエラルキーを持っているところが面白い」とか「ボイラーのイメージがずっと通底音のようについて回るのが、コニー・ウイリス『航路』の鐘の音のようで巧い」とか、もしくは「後半になって心が追いつめられていくにつれ句読点が減っていくのが、緊迫感があっていい」など、自分が気が付かなかった点について話題に挙がるのが読書会の醍醐味といえる。
 また、「“すずめばち”は人間に害をなす純粋な悪の暗喩であって、“すずめばちの巣”はホテル。また、いくら巣を壊してもすずめばちがいる限りどこかにまた新たな素が作られる」という説明は、自分の中でモヤモヤしていたことを上手く言葉にしてもらえたようで嬉しかった。
 キング担当編集者のN氏からは先の話の他にも「キング作品は優れて視覚的なので、想像をよくする人の方が怖いのではないか」という発言や、「ボイラーはあれほど何度も言及されるのに後半になるとテンポが速いのですっかり忘れてしまい、最後になって“何か忘れている”というダニーの言葉と共に思い出される構成が巧い」といった、プロの視点から見た意見がとても参考になった。キング作品には「地味なキング」と「派手なキング」と「怖いキング」があるというのも、これから読み進める人にとっては結構参考になるのではないだろうか。
 割と多い疑問としては「トニーっていったい誰?」というのが多かったが、「すこし年上の自分自身」(注:トニーはダニーのミドルネーム“アンソニー”の愛称)という意見が出されて納得している方も多かったので、解らないならわからないなりに読書会に出るという意味もあるのだと思う。(もちろん「トニーはダニーの生まれてこなかったお兄さんではないか」という解釈もあったりして、それはそれで面白いのだが。)
 他には、前半のジャック一家を巡る鬱展開は「発言小町」があったらすべて解決したのではないか(笑)というぶっとんだ意見もあって、全体的に(ホラー読書会にも関わらず)笑いに包まれたものだったのは、いかにもミステリー名古屋読書会らしいところだと思う。
 休憩を挟んでの他の2グループとの意見交換でも、概ね同様の意見が出ていたので、割と今回の読書会は皆の意見が一致した感じだった。まとめると次のような感じだろうか。

■伝統的な「館もの」のアイデアを現代に移し替えたホラーでありながら、アメリカ社会が抱える様々な問題も抜群のリーダビリティをもって書き込まれている重層的な作品。キングにとっては実体験をが盛り込まれた特別な作品であるとともに、ここから本当の“キング・オブ・ホラー”が始まった記念碑的な作品なのではないだろうか。

 ここから派生して色々な作品を紹介しあう「次に読むなら」は読書会の名物になっているが、今回も個性豊かな作品が上がったので、それを紹介して終わりとしよう。(以下、順不同。)
 ポー「赤死病の仮面」、シャーリィ・ジャクスン「丘の屋敷」(「たたり」「山荘綺談」)、リチャード・マシスン「地獄の家」、ロバート・ブロック「サイコ」、ウイルキー・コリンズ「幽霊ホテル」、デヴィッド・アレル「廃墟ホテル」、F・ポール・ウィルソン「ザ・キープ」、アーサー・ヘイリー「ホテル」、ジェニファー・イーガン「古城ホテル」、ノーラ・ロバーツ「恋人たちの輪舞 イン・ブーンズボロ」、アーナルデュル・インドリダソン「湿地」、シャーリィ・ジャクスン「ずっとお城で暮らしてる」、H・R・ウェイクフィールド「ゴースト・ハント」、ジョン・アーヴィング「ホテル・ニューハンプシャー」、マーヴィン・ピーク「ゴーメンガースト」、ヨーゼフ・ロート「皇帝廟」、コニー・ウイリス「航路」、クライブ・パーカー「血の本シリーズ」、ジョン・A・キール「プロフェシー」、ダニエル・キイス「24人のビリー・ミリガン」、ギリアン・フリン「ゴーン・ガール」、ジョー・ヒル「NOS4A2」、クーンツ「戦慄のシャドウファイア」、ティプトリィ「輝くもの天より堕ち」、ルース・レンデル「ロウフィールド館の惨劇」、筒井康隆「七瀬シリーズ」、小野不由美「残穢」「悪夢の棲む家」、景山民夫「ボルネオ・ホテル」、宮部みゆき「おそろし」「レベル7」、宮沢賢治「注文の多い料理店」、高村薫「照柿」、恩田陸「わたしの家では何もおこらない」、若竹七海「遺品」、久世光彦「1934年乱歩」、綾辻行人「霧越亭殺人事件」、小池真理子「墓地を見下ろす家」、菊地秀行「妖戦地帯」、古田足日「おしいれのぼうけん」、今市子「百鬼夜行抄」、吾妻ひでお「失踪日記」「アル中病棟」、キング「ザ・スタンド」「IT」「ドクター・スリープ」「デッドゾーン」「ランゴリアーズ」「グリーンマイル」「ニードフルシングス」「トミー・ノッカーズ」「11/22/63」「ミザリー」「トム・ゴードンに恋した少女」「ゴールデン・ボーイ」「ドロレス・クレイボーン」「ペット・セマタリー」「ファイアスターター」「1408号室」etc.

 以上、長篇と短篇が入り混じって、もしかしたら著者名や題名にもすこし間違いがあるかもしれないがご容赦。それにしても、これほど次々とお薦め本が出てくるのも、いかにもキングらしいね。書き込みがとにかくすごいので、読んだあとにはつい何か語りたくなってしまうのだろうなあ。

<追記>
 先ほども書いたが、今回はモダンホラーというものについて自分なりに考えが整理できたのが収穫だった。読書会レポートとは外れてしまうが、せっかくなので忘れないうちに書き留めておきたい。

 欧米において元来ホラーというジャンルは、即物的・肉体的な恐怖を描くものとして、(編集のN氏の話によれば)比較的“下世話な読み物”として発達してきた。ここら辺は文人の娯楽として怪談がもてはやされた日本とは若干違っているかも知れない。ともあれそういった元々のホラーは例えばゴシックホラーに代表されるように、「現実世界の外側には人間の住む世界とは別の“超自然的な世界”があり、それは人間にとって脅威や害悪となりうる」という認識と、人間の力では食い止めることのできないそれらに対する恐怖が背景にある気がする。キングはそこに人間の心理や等身大の現代アメリカ社会が抱える病理といった要素を加えてモダンホラーというジャンルが生まれた。特にキングの場合、アメリカの一般的な白人社会から見た視点で、ピューリタン的な罪の意識と救済の要素が(本人が意識する・しないに関係なく)行間から滲み出ているのではないだろうか。
 『シャイニング』で初めて言及された「かがやき」というのは、単なるテレパシーや未来予知といった超能力ではなく、もっと倫理的な“善”とでもいうべき存在と親和性が強い概念のように描かれている。まさしくプロテスタントが依拠するキリスト教的な天上からの光と善にもつながるもの。(**)そしてこれは後の『IT』では更にパワーアップして描かれ、『グリーンマイル』や『ダーク・タワー』でもずっと物語のテーマとして扱われてきたものとも言える。
 こう考えると『シャイニング』においてジャックがホテルに取り込まれてしまうということは、すなわち闇の眷属となり魂の救済から永遠に遠ざけられる事に等しいのではないか。その意味では、ダニーを追いつめたジャックが最期の一瞬に自分を取り戻し、「ここから逃げるんだ。急いで。そして忘れるな、パパがどれだけお前を愛しているかを」と云うシーンこそが、作者とその分身であるジャック、そして大好きな父親ときちんとした別れを告げることでダニーの救済にもなっているのだと思うのだが。
 対してキューブリック版『シャイニング』の場合、ダニーの計略にまんまと引っかかって凍死したニコルソン演じるところのジャックは、ラストシーンでホテルの人々と同じ写真に収まってしまっている。これでは救われない。『シャイニング』でキングが描きたかったものが、深い闇とそこに差す一条の光の輝きなのだとすれば、キングがキューブリックの映画を許せなかったという話もわからないでもない。

  **…読み取ろうと思えば、例えば雪と氷にとざされた極寒のホテルをサタンが封じ
       られた地獄の最下層になぞらえることも、そしてボイラーの爆発を炎による
       浄化であると見做すことも可能だろう。

 蛇足になるが、原作が映画ほど怖くなかった理由についても少し。ホラー小説の場合、文字を頭のなかでイメージに変えることで恐怖を得る。(注:意味不明の言葉の並びが与える怖さというのもあるが、ここでは省略)ところが怖さは笑いに通じるものでもあるから、恐怖の正体を客観的に描こうとすればするほど、怖いというより笑えてきてしまう事態も生じてしまう。小説の場合は即物的な恐怖より、むしろ気配や刹那的な恐怖を描く方が向いているのだろう。だからベタに恐怖の正体を描く西洋のホラー小説より「出るか?まだか?出た―!」という本邦の怪談の方が数等怖い。(例えば泉鏡花の「眉かくしの霊」や「海異記」といった作品がそう。)即物的な恐怖は映画の方が得意なのだ。あれは恐怖というよりショックだから。姿を見せてしまった恐怖はもはや恐怖ではなく単なる怪物との対決になってしまう。だからこそ『シャイニング』の下巻はジェットコースターのようなスリルはあっても上巻ほどには怖くなかったわけだろう。これは映画「エイリアン」と「エイリアン2」にも似た関係かもしれない。
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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