『反知性主義』 森本あんり 新潮選書

 最近あちらこちらで「反知性主義」という言葉を時おり目にするようになってきた。大学教育や教養に対する悪意を持った動きに対して使われているようで、自分もてっきり知性全般に対して憎悪を向ける人たちのことかと思っていた。(勉強が嫌いだというならよく解るが、その為に学校を潰してしまおうとする人たちが本当にいるのだろうか?)
 と、まあそんな折、ちょうどタイミングよく新刊ニュースに本書の題名を見かけたので読んでみたというわけ。その結果、「反知性主義」という言葉は、どうやら自分が考えていたのと全然違う意味だったことが判ってきた。アメリカで起こったある種の運動に対してつけられた名前のようで、元々の意味は「反知性・主義(=反知性を標榜する主義)」ではなくて「反・知性主義(=“知性主義”に反対する考え)」だったというわけだ。いやー、今の今まで全く知らなかった。
 本書はアメリカ建国の時まで遡る「反知性主義」の歴史とその思想について、順を追って解りやすく解説を施した本であって、現状のアメリカ文化の背景を知るうえで不可欠なのに意外と知られていない事柄に光をあてたもの。こういう本は有り難い。(実は告白すると、以前からアメリカの社会や文化に対して何となく“居心地の悪さ”とでもいうべきものを感じていた。それは何故だか判らなかったのだが、本書を読んでそれがどの辺りにあるのかくらいは解ったような気がする。)
歴史書にも思想史にも共通して言えることだけれど、“陽のあたる世界”については過去から幾らでも本が書かれていて比較的簡単に知ることができる。でもこういった陰の部分については、なかなか出会えないのだよね。だから当初の趣旨とは違ってしまったが、結果的には愉しく読み終えることが出来た。ではさっそく中身について。

 先ほども述べたように「反知性主義」をひとことで云えば、アメリカに特有な社会風土である「知性主義」に対抗するものとして生まれたものなのだそうだ。では「知性主義」とはどういうものかというと、ここでちょっと世界史のおさらいをしなければならない。
 イギリスからアメリカへの移民と建国のきっかけとなったのはピューリタリズム(清教徒主義)だった。したがって、アメリカの白人社会の基礎には厳格な聖書解釈に基づいた信仰があり、聖書を正しく解釈して生活規範を示してくれる牧師の存在が不可欠。聖書を深く理解するには充分な教養を身に着ける必要があるわけで、本来はハーバード大学も牧師育成のための教育機関だったのだそうだ。そうしたリベラルアーツ教育によって培われた知のピラミッド構造は、「知性による権威の階級的な固定」をもたらすこととなった。
 アメリカ大陸に移住した最初のピューリタンたちは、あくまで国王が宗主を兼ねる“イギリス国教会”から“自らの信仰の徹底のため”に移住しただけであって、植民地政策という社会制度そのものに対して叛旗をひるがえしたわけではなかった。本書によれば、むしろ積極的な批判をしないように心掛けていたようだ。それがピューリタンの当時の主流派の公定教会(チャーチ型と呼ぶ)の人々の考えだったらしい。
 社会的なエリートであるチャーチ派の人々による階級固定と、彼らによる植民地経営で引き起こされる不平等によって、アメリカ社会は矛盾を抱えることになり、そのため周期的にファンダメンタル(=原理的)な「信仰復興運動」が集団ヒステリーの形をとって引き起こされた。メソジスト派やバプテスト派といった宗派は、信仰をさらに徹底して「神の前における万人の平等」を謳って社会制度そのものを批判したため、アメリカ社会では蛇蝎のように嫌われて迫害を受けたらしいが、それらが反知性主義の母体となっていったようだ。
 一方、植民地にはセクト型とよばれる理神論的な人々の集団もいた。彼らの代表であるジェファーソンやマディソンといった政治家は、チャーチ型の公定教会の牧師たちの強い反発を受けながらも政教分離を推し進めた。それは緩いものから原理主義的な厳しいものまで幅広い「信仰の自由」を徹底するためであって、彼らはどちらも後のアメリカ大統領となった。
アメリカ合衆国では、これら“知のリベラル派”と“原理主義的な人々”のそれぞれの考えが建国以来せめぎあいを続けてきたため、国民の間に常に権力を疑う傾向が培われ、小さな政府を望む意見が伝統的に多いのだそうだ。またそれらのせめぎ合いを通じてやはり国民に共通する「福音主義」と呼ばれるものが浸透した。それは素朴な聖書主義や楽観的な共同体思考、保守的な道徳観などを特徴とするものらしく、これなどもまさに今のアメリカ社会を特徴づけるものとなっている。
 著者によれば、アメリカにはもうひとつの伝統的な傾向があるそうだ。それは信仰復興運動の立役者であるエドワーズに端を発する、「自然世界の美しさに神の栄光の影と象徴をみる」というもの。エドワーズの跡を継いでその後継者となったエマソンらによって広く伝えられたその“自然の叡智”の考え方は、それまでアメリカ社会に流布していたヨーロッパ起源の伝統的なキリスト教信仰とは違って、アニミズムや神秘主義にも似た性向を帯びたものだった。(ちなみに哲学史の世界ではこれを「超絶主義」と呼ぶらしい。)本書では「リバー・ランズ・スルー・イット」という映画を例に、大自然の中でのフライフィッシングを通して、神の奇蹟である大自然との一体化を求める(まるで仏教の“梵我一如”のような)信仰が説明される。(*)

   *…有名なソロー『森の生活』も同じ文脈で語られるべきものらしい。

 以上の事柄を背景にして、明確な形で「反知性主義」の狼煙が上がったのは1828年の大統領選かららしい。南部育ちの粗野な大統領候補であったジャクソン(20ドル紙幣の肖像画の人)は、民衆の熱い支持をうけて北部インテリ層出身のアダムズとの下世話な中傷合戦を制して大統領となった。それをきっかけとして、後のアメリカ大統領選では如何に民衆の支持を受けるかが最も重要な課題となり、そのために解りやすくキャッチーな主張をした方が勝ちといった風潮が生まれた。アメリカ大統領選だけが持つ一種独特なムードの源流は、このあたりにあったのだと読んで合点がいった。

 結局のところ反知性主義は反権力主義なのだと著者はいう。知的権威に対する大衆の嫌悪感情と、権威におもねることの無いアメリカンヒーローへの渇望こそが反知性主義の本質なのだろう。知性が権力と結び付くのを何よりも嫌い、彼らの花を明かしてやろうとする判官びいきのようなものだが、既存の知識や権威には依らず何よりも自分の判断を重視するその考え方は、(真っ直ぐ筋が通ってはいるが)独善的で視野の狭いものになるリスクも高い。
 冒頭では今の日本の状況は「反知性主義」とは呼ばないという趣旨のことを書いたが、こう考えればあながち間違いではないような気もしてくる。某大阪市長が引き起こした様々なトラブルや、大学改革の名の下に進行しつつある“改悪”なども、それまでの権威をこき下ろすことで大衆の支持を得る手法や、その実たんなるカウンターでしかなく先の展望を全く持たない点では、そっくりな面を持っているのではないだろうか。
 なおこのあたりの記述を読んでいて思ったのは、この信仰復興運動というやつはどうやら日蓮宗や浄土宗などの鎌倉仏教に近いスタンスではないかということ。それまでの天台宗など平安仏教のように、民衆は悟りを開くため何年も山寺に籠って修行をする暇はない。乱世の中で明日をも知れぬ民衆には、修行もせずただひたすら念仏を唱えるだけで救われる方がありがたい。大学で何年も修行してきた牧師による救いを否定したところなど、非常によく似ていると思うのだがどうだろう。

 閑話休題。アメリカではその後もフィニーやムーディといった宗教家たちにより、第二次、第三次の信仰復興運動(リバイバル)がおこった。それによってアメリカ社会では“神と人との契約”という図式の徹底やプラグマティズム(実践主義)の浸透、そして宗教のビジネス化といった一連の流れが加速していった。
 そして最後に反知性主義の誇る “スーパーヒーロー”が登場する。それは知性や宗教的権威への徹底的な嫌悪とともに、無学であるが故の力を声高く叫んだ元大リーガーにして福音伝道者のビリー・サンデー(**)という人物。彼によって、アメリカにおける反知性主義は完成したとのことだ。

  **…「エルマー・ガントリー」という映画のモデルにもなっているそうなので、いつか
      機会があったら観てみたい。どんな酷い人物なのだろうか。意外と今の日本で
      ニュースを点けたらよく見られるようなタイプだったりして(苦笑)。

 以上、本書の内容に沿ってアメリカにおける反知性主義とは何かについて、ざっくりとまとめてみた。本書では独立の時の話やビリー・サンデーの生涯なども詳しく触れられているが今回は省略。興味のある方は直接読んでいただけると有り難い。
 こういった、世の中を読むための補助線を引いてくれるような本が見つかると、ちょっと嬉しいね。そういった意味で本書は満足のいく好著だった。

<追記>
 アメリカの信仰復興運動では「高慢な知性よりも素朴で謙遜な無知の方が尊い」という感覚なわけだが、日本の場合はそのあたりは何だろうか。「理性よりも共感や周囲との協調」ということかも知れない。そして「神の前の平等」にあたるのが、きっと「古き良き日本」なのだろう。長引く不況や震災、そして周辺国の台頭で自分の不安になった一部の層が、道徳や古い価値観の復興運動を起こしている図式になるのかも知れない。総じていえば、日本の反知性主義はアメリカのそれとは違って反論理/反科学/反教養の集合体のようなものであり、それらに代わって「本質主義的神道」(byカスーリス)に基づく宗教観と国家主義とオカルトを代替としていると考えればしっくりような気がする。

<追記2>
 最後に蛇足をひとつ。著者は「あんり」という名前だが女性ではなく男性。てっきり女性だと思い込んでいて、読了後にカバーを外して著者近影で驚いた。本書の題名である「反知性主義」といい、何事も名前だけで判断してはいけないね。(笑)
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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