『氷』 アンナ・カヴァン ちくま文庫

※内容に詳しく触れていますので、未読の方はご注意ください。

 前にサンリオSF文庫で出たときに読んだきりだから、再読はおよそ30年ぶりだ。ブライアン・オールディスが著作『十億年の宴』の中で現代SFの到達点のように取り上げた作品ということで、出ると同時に勢いにまかせて読んでしまった。そして解ったような解らないような読後感と、文章から溢れ出る異様な迫力だけが印象に残ったおぼえがある。(当時は他に短篇集『ジュリアとバズーカ』と長篇『愛の渇き』が刊行されているだけで、どちらも既に入手困難な状態。当然ながらカヴァンがどんな人かも知らずに読んだのだから、まあ致し方ないのかも知れない。)そんなわけで自分にとってアンナ・カヴァンという作家は、気になってはいたが馴染み深い作家というわけではなかった。(『氷』はその後、2008年になって突如バジリコという出版社からが復刊されたが、こちらもすぐに品切れ。サンリオ版を持っている身としては1800円の出費は大きいので、つい買わずに来てしまった。まあその程度の存在だったというわけだ。)
 そんな不遇の状況が変わったのは2013年初頭。どんな事情があったのかは知らないが、突然デビュー作の『アサイラム・ピース』が新刊として出ることになったのだ。版元はマニアックな作品を多く手掛ける国書刊行会という出版社。ここは『未来の文学』というSF系の叢書を出しているので、もしかしたらその流れだったのかも知れない。内容紹介を読んでぶっとんだ。

 「異国の地で城の地下牢に囚われた薔薇のあざをもつ女。名前も顔も知らないがこの世界のどこかに存在する絶対の敵。いつ終わるとも知れぬ長い裁判。頭の中の機械。精神病療養所のテラスで人形劇めいた場面を演じる患者たち――孤独な生の断片をつらねたこの短篇集には、傷つき病んだ精神の痛切な叫びがうずまいている。自身の入院体験にもとづく表題作はじめ、出口なしの閉塞感と絶対の孤独、謎と不条理に満ちた、作家アンナ・カヴァンの誕生を告げる最初の傑作。」

 まさに自分好みの作家。かなりヘビーだが傑作という前評判を聞いて、2000円を超える値段に若干ひるみながらも購入。一気読みしたところ、これまで読んだことの無いほどの閉塞感と絶望感に打ちのめされて、すっかり虜になってしまった。SFの世界では70年代から80年代にかけて活躍したジェイムズ・ティプトリー・jrという作家がいて、彼女(=男性名だが女性作家)は結構暗い作品で有名なのだが、カヴァンはおそらくそんな比ではない。ティプトリィを中島みゆきとすればカヴァンは山崎ハコではないか(笑)と、そんな印象を持った。
 そうこうするうち、同じ2013年の春に、今度は文遊社というところから『ジュリアとバズーカ』が復刊されることに。こちらも3000円を超える出費におののきながら読了し、前著を超える満足感を得ることが出来た。(*) 「なんで昔読まなかったのだろう」というのが今の正直な印象である。まあ後悔は先に立たないものだが。

   *…その後もカヴァンの再評価は続き、2015年現在では『愛の渇き』『われは
      ラザロ』『あなたは誰?』といった著作が復刊ないし新たに訳出されている。

 すっかり前置きが長くなってしまったが、そんなわけで『氷』である。本書は先述のように2度目の復刊(つまり3度目の出版)ということになるのだが、ここにきてついに、ちくま文庫というビッグネーム入りをすることになった。ネットの様子をみているとかなり評判が良いようで、版を重ねているようだ。お気に入りの古本カフェでも近々『氷』の読書会を開くことになり、折角なので参加を申し込むことに。そしてこれを機会に、30年ぶりの再読と相成った。
 
 これまで読んだアンナ・カヴァンの作品は、どれも主人公(著者の投影?)の精神的な荒廃が現実世界の描写とリンクしており、読むたびにユクスキュルとクリサートが共著書『生物からみた世界』(岩波文庫)の中で提唱した「環世界」というものを連想してしまう。たとえば人間とダニのように、同じ現実世界を生きていても生物によって見えている世界は全く違うという考え方だ。認識の違いがそのまま世界の違いに直結するという考え方は、ある種のSFとも親和性が高く、自分の好きなP・K・ディックやJ・G・バラードといった作家たちが好んで取り上げたテーマでもある。(そう考えると、同様に世界認識の違いが作品の大きな背景にある『逆転世界』や『夢幻諸島から』といった作品を書いたクリストファー・プリーストが本書の序文を書いているのも、何やら意味深な感じがしないでもない。)
 本書では不幸な“少女”と彼女に心惹かれる“私”、そして彼女を精神的に追い詰め支配しやがて放逐する “長官”( ならびに“夫”)といった、ごく少ない登場人物で物語が展開していく。まずは序盤に出てくる彼女の夫の豹変ぶりが怖い。“私”が幼いころにみた“少女”は久しぶりに再会した時には既に21歳になっているのだが、それでもまだ彼女の心は傷ついた少女のままのようだ。世界は彼女にとって恫喝や恐怖の渦巻く場でしかなく、そして彼の態度が冷たく厳しくなっていくにつれ、彼女は心を閉じて白く透明に、そして静謐になっていく。このあたりは一見、徹底して客観的な描写が為されているようだが、実は彼女の内側から見た世界がそのまま表出されているのではないかとも思える。最近の脳研究によれば失恋したときに感じる胸のズキッとくる痛みは脳内で本当に物理的な痛みと同じように感じているものなのだそうだが、本書で“少女”がみている世界は彼女にとっては真正のものに違いない。

 姿を消した“少女”を追い求めて“私”は世界を駆け巡る。そこに見えてくるのは廃墟と相互不信ばかりが広がる世界だ。銃弾や戦闘による破壊の跡が残る街の風景。世界を覆い尽くそうとする巨大な氷の壁。ひりひりするような肌感覚で、“少女”が不在にも関わらずまるで自分が“少女”であり、自分に刃を剥いてくる世界を前に慄くしかないという妄想が広がっていく。先ほども書いたように、本書が秀逸なのは“少女”の視点ではなく第三者である男の視点で描いている点ではないかと思う。“少女”を救おうとするが所詮は無力な傍観者にしかなれない男の目を通して描くことで、彼女の感じている(であろう)痛みと不信と絶望は、黙示録的なイメージと強い現実感をもって作品世界を侵食していくことになる。幻想小説としても一級品だと思う。
 やがて独裁者“長官”が支配する国において、“私”は“少女”を見つける。長官の住いである《高い館》の一室にいる少女は防音設備の中に閉じ込められ、外の世界との関わりを一切断ち切られている。“長官”に支配され凌辱されるだけの存在である“少女”を、“私”はただ傍観するしかない。場面に漲る緊張感はただものではない。カタレプシーに陥っているかのような彼女の姿勢と“私”に見せる敵意は、その後なんども邂逅と離別を繰り返す3人の様々なエピソードを通じて、ラスト間際まで終始変わることは無い。“少女”は“私”にとってまるで瞳についた傷のようだ。視野の少し外側にあり、視界に入れようと眼を動かすといつも視界から逃げていってしまうような存在。
 彼女の行動の背景にある心理も、痛いほどよく解る気がする。親しくなればなるほど相手が自分を裏切るのではないかという猜疑心に囚われ、それを確かめようと過激で挑発的な言動を繰り返す。そしてその行動は相手の心とともに彼女自身をも傷付けてしまうのだ。
 氷が迫る極寒の地で少女をみつけ、一旦は暖かい地方へと連れ帰ることに成功はしたものの、彼女からの敵意と侮蔑に耐えがたくやがて彼女を置いてどこか見知らぬ場所へと旅に出てしまった“私”。そのころ世界には氷が迫り、彼女をとりまくあらゆる場所が破滅に瀕していた ――

 その後しばらくの展開は正直よく解らない。少女に別れを告げてからは“私”のための物語へと変貌を遂げる。全編を包み込むような息苦しいまでの閉塞感はそのままで、独裁者とレジスタンスの闘いに巻き込まれ逡巡する“私”の物語が続いていく。(一方的に“長官”に共感を寄せ始める“私”の様子は、まるで立て籠もり犯と人質の間に起こるとされる「ストックホルム症候群」を見ているような感じ。理解できるような気がしないでもないが、やはり動機が不可解ではある。)“私”は周囲の誰も信用することが出来なくなる。これは典型的な陰謀論の特徴ではあるのだが、陰謀論というのはまた、妄想の親しきパートナーであるともいえるだろう。この間、ずっと“少女”は不在ではあるが、それでも世界そのものに彼女の影が刻印されているようだ。
 “私”は独裁者側について戦闘に明け暮れ、“長官”と面会を果たすまでになるが、その瞬間に現れるのは、海を真一文字に切り裂いて前進してくる虹色の氷の壁。世界の隅々まで覆い尽くそうとする「氷」のシーンはまさに圧巻で、本書で最も美しくまた最も恐ろしいシーンといえるかも知れない。
 ところがラスト近く、いよいよ世界が滅びようとするときになって、物語は急な展開を見せ始める。もう一度“少女”を見出した“私”は、雪と氷に閉ざされようとする世界のなかで、明るい希望の光を求めて南へと車で走り出すのだ。最終的に自らの心を全てさらけ出しついに“私”を受け入れる決断をした“少女”は、冷たい氷の世界へと足を踏み出し、どこまでも二人で進んでいく……。
 最後まで、本書の視点は世界を律する“少女”ではなく傍観者であり第三者であった“私”のままで揺るがない。これが辛く厳しい本書において、最後の救いをもたらす鍵になっているような気がする。世界のすべては氷によって覆い尽くされ、静寂と死の世界が到来しようとしているのだが、間際になって“私”のこころにはひとつの考えが降り立つ。それは『ファウスト』の有名な台詞「時間よ止まれ、今こそお前は美しい」に近い。凝縮された一瞬にこそ生の充足があるというものだ。それはまたルターの「たとえ明日世界が滅びるとも、私は今日林檎の木を植える」という言葉にも近いものかもしれない。

 はたして二人は救われたのだろうか?そしてカヴァンは?



<追記>
 本文中に書いた読書会に参加してきた。参加者は自分を含めて8名のこじんまりとした会。場所は名古屋大学にほど近い閑静な住宅街にある古書と喫茶の店リチルだ。とても居心地の良いお店なので最近よく行くのだが、今回の読書会もリチルのマスターの企画であり、参加者もリチルの常連客の方が多い様子。そのせいか皆さん読み巧者の方ばかりで、カヴァンは今回が初めてという方が多いにも拘らず様々な意見が飛び交い、愉しい読書会だった。
印象もたとえば「(視点が変わるので)混乱してよく解らない」「前評判がとても高かったのでかなり期待(覚悟?)して読んだが、全体像が掴めないままに終わった」といったものから、「まさに自分が読みたかったタイプの本」という絶賛の声まで色々。
 読み方も人それぞれで、例えば「少女/私(男)/長官」の関係ををそれぞれユング心理学のアニマ/アニムス/シャドウといった象徴(←全てが少女の分身)として読んだり、マッカーシー『ザ・ロード』やニューエイジの影響を読み取った、あるいは「出来の悪いラノベのようだ」という意見まで。(この意見は言われるまで気が付かなかった。確かに類型的で解りやすいキャラ設定や世界系のような設定は、今のラノベの元祖といっても通用しそうだ。)更におもしろかったのは、小説を混乱と矛盾にみちたそのままに受け取る自分のような読み方ではなく、何らかの隠された情報や解釈を求めようとする読み方が見られたこと。「信頼できない語り手」が頻出する物語に慣れてしまった自分にとって、このような見方は却って新鮮だった。
 ひと通りの意見交換が終わったあとは、それぞれが持ち寄ったお薦めの本や音楽などを紹介しあうことに。広い趣味の方が集まっていたので、自分の知らないものが多くてこれも愉しかった。(紹介されたものは『居心地の悪い部屋』『図書館の魔法』『濁った激流にかかる橋』『民なき神』といった小説から、アントワーヌ・ダカタの写真集『ANTIBODIES/抗体』、そして音楽ユニット“Open Reel Ensemble”による実験的な音楽やダブステップの雄ジェイムズ・ブレイクのCDと幅広い。ちなみに自分からは『短篇小説日和』『ユービック』『ソラリス』を紹介させていただいた。)
 それにしても、これだけ色んな趣味や意見を持つ人がネタにして2時間語り合えるのだから、そういう意味でもやはり『氷』は良い小説なのだろう。
 以上、追加のご報告ということで。
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初コメ失礼します♪

最近…踏んだり蹴ったりの日々を過ごしてる私です…(汗)

ボキャブラリーなくて申し訳ないんですけど
舞狂小鬼さんのブログ良いですよね。
読ませてもらって肩の力が少し抜けた気がします(´∀`*)

だからもっとお話させてもらえたらなってo(^∀^*)o
そしたら心の奥で凝り固まったものが解れる気がして!

舞狂小鬼さんに私の悩みを少しでも聞いてもらえたらすごくありがたいです。
ちょっとした感想でも大丈夫ですから♪

このままコメントで相談というのもあれなので直接お話しさせて欲しいです。
嫌だったり迷惑ならこのコメントは消してしまってください。

突然すみませんでした。
連絡もらえるの待ってます(・∀・)

ユニヴェ様

コメントありがとうございます。

このブログは本に関するあれこれを綴っておりますので、
もしも悩み相談的なことでありましたら、
申し訳ありませんがご期待には添いかねるかと存じます。

それでもということであれば「管理者にだけ表示を許可する」にして、
書き込みを頂ければ他の人に読まれずに済ますことは可能ですので、
いちどお試しいただいてはいかがでしょう?

ご返事の方法につきましては、
内容を拝見させて頂いてから検討させていただきたいと思います。
差し支えなければそのような形で宜しくお願い致します。
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