2015年4月の読了本

※2番目の『世界受容』の項で《サザーン・リーチ3部作》の詳しいストーリーに触れているので、未読の方は充分にご注意ください。

『知られざる天才 ニコラ・テスラ』 新戸雅章 平凡社新書
 交流発電システムや高周波の研究と実用化で、19世紀末から20世紀初めの世界をリードしつつも、いつか忘れられた天才発明家の生涯を辿るノンフィクション。手軽に読める本格的な評伝としてお奨めといえる。エジソンとの確執や派手な放電実験といった“科学の魔術師”のベールを剥がすと、そこから現れるのは孤独な姿だ。技術者として天才的かつ純粋であるが故に、社会人・企業人としては挫折せざるを得なかったテスラの姿がつらい。今ここに来て、世界的に再評価されつつあるのがせめてもの救いと言えるか。

『世界受容』 ジェフ・ヴァンダミア ハヤカワ文庫NV
 『全滅領域』『監視機構』に続く、“サザーン・リーチ三部作”の最終巻。J・G・バラードの諸作やストルガツキー『ストーカー』を思わせる魅力的な世界を舞台に、うだうだと登場人物たちによる心理ゲームが繰り広げられるというのは相変わらずだ(笑)。物語の全体像が見えてくるのがかなり終盤になってからなので、テンポの良いエンタメ小説を期待するとストレスが溜まるかもしれない。プロットもかなり入り組んでいて、最後になって本書の主人公が誰であったのかがやっと解る、そんな物語。
 長くなるが頭の整理を兼ねて物語のエピソードを時系列にざっくりとまとめてみよう。(以下、完全ネタバレなので、未読の方はご注意ください。)
■いわゆるCIAのような組織である<中央>が様々なことを画策。その一環として<S&SB(降霊術と科学の旅団)>なるオカルト組織を利用して、海岸地域の灯台で工作を実施した。(海岸地域は今では<エリアX>になってしまっている。)しかもたまたま(!)その灯台のガラスレンズの中には、遥か星々の彼方から漂着した微小な生命体が閉じ込められていた。
■灯台守のソールは元司祭であり、複雑な過去を持って海岸へと流れ着いた人物。そこに住んでいた少女グロリア(後の局長)はソールと親しくなり、彼女にとってソールと灯台で過ごした日々は子供時代のかけがえのない思い出となる。しかしグロリアはやがて遠く離れた父親の元に引き取られ地域を去ることに......。
■<S&SB>のメンバーであるヘンリーが、偶然にもレンズ内に閉じ込められた“それ”を開放してしまう。ソールにとりついた“それ”は徐々に彼の精神と身体を侵食し、そして彼を触媒にして環境までもが侵されていくことに。やがてソールは<クローラー>という存在へと変貌を遂げ、周囲のもの達を次々と侵食して異形の物へと変えていく。侵食された人間は燐光を放つようになり、やがて巨大な芋虫か豚、あるいはイルカのような生き物や名状しがたいものへと生まれ変わって姿を消していく。
■海岸地域は一部の<境界>というゲートを除いては周囲から侵入できなくなり、<エリアX>と呼ばれて隔離されるようになる。近くには<エリアX。の監視と調査を行う特殊機関<サザーン・リーチ>が設置される。
■第一次調査隊が派遣されたが1名を除いて全滅した。ただひとり帰ってきた隊員ラウリーは、実は本物ではなく彼の劣悪なコピー人間であった。それをひた隠しにして生き続けようとする(偽の)ラウリーは、保身のために権力の亡者となって<中央>に食い込み<サザーン・リーチ>を自らの支配下に置こうと画策する。また<中央>に所属するスパイ一家出身のエリート女性エージェントであるジャッキー・セヴェランスは、ラウリーと結託し、それぞれの思惑で<エリアX>を取り巻く状況を利用し続ける。
■灯台守ソールのところで少女時代を過ごしたグロリアは長じて心理学者となる。なんらかの形で<エリアX>と化した海岸地域に関係を持ちたいと考えた彼女は、やがて<サザーン・リーチ>の局長として赴任することに。そこで<エリアX>の謎を探ろうと図るが、<中央>で徐々に権力を得ていくラウリーの横槍で思うように活動が出来ず、ラウリーの指示で無謀とも思える調査隊を次々と送り込んでは帰らぬ人を増やすばかり。彼女および彼女の右腕であるグレイス副局長は徐々に疲弊していく。
■ついにグロリア(局長)は自らが第十二次調査隊の隊長となって生物学者や人類学者らを引き連れ、<エリアX>に赴くことにするが、全員行方不明となる。(あとにはコピー人間が何人か帰還するが、その中に局長の姿はない。)
■ジャッキー・セヴェランスの息子であるジョン・ロドリゲス(自称<コントロール>)は、母親と違いエージェントとしては無能な存在だった。しかしセヴェランスにとっては可愛い一人息子。彼女は息子を助けるためラウリーと共謀してジョンを<サザーン・リーチ>の新しい局長として送り込む。副局長であるグレイスとの様々な確執もあって、組織としては既に末期状態だった<サザーン・リーチ>で彼が右往左往しているうち、突如領域の拡張を始めた<エリアX>に周囲地域は次々と呑み込まれていく。
■生物学者のコピー人間である<ゴースト・バード>は、<中央>に身柄を送られる途中で失踪した。しかし彼女が赴くであろう場所を推測した<コントロール>は、彼女を追って各地に触手を伸ばす<エリアX>の入り口のひとつへ飛び込み、<ゴースト・バード>と共に<エリアX>へと赴く。
■<エリアX>は地球の環境に似せてはいるが実は別の星の世界だった。そこでは地球と時間の流れが違っていて、生物学者たちが訪れてから僅か既に数十年が過ぎてしまっていることが判明する。また今では現実世界との唯一の<境界>は閉じてしまい、元の世界に還るすべが無くなっていることを知る。そこで彼女らは3年前に来たという副局長のグレイスと再会し、オリジナル生物学者の手記や変貌した彼女との邂逅などにより徐々に真相を知ることになる。(ただし<エリアX>が何なのかは不明。所詮、人間には理解できないものなのだろう。)
 未知の存在とのファーストコンタクトを行うのが権謀策術に腐心する諜報機関であるというところが、物語のややこしさに輪をかけることになっている。しかも二巻(『監視機構』)の主人公が無能で、周囲の人物の思惑と本人の暴走気味な行動が相俟って、予測不能な方向へと話を進めていったのだということが、ラスト100ページほどになってからやっと見えてくるという仕組み。もやもやとした感じが最後まで残る。筋の追いにくさを除けば、話自体はなかなか面白いのだけれど、どんな物語を好むかによって読者の評価は分かれそうだなあ。

『紫苑物語』 石川淳 新潮文庫
 王朝末期に生きた冷酷な国の守にして弓の名手である宗頼を主人公に、幽玄で陰惨な物語が繰り広げられる表題作の他、倉橋由美子を思わせる幻想的な「鷹」、戦後の闇市を舞台にした「善哉」の3篇を収録した短篇集。「紫苑(しおん)物語」は中島敦の「名人伝」のような寓話かと思ったが全然違った。話が進むにつれてどんどん凄みが増してくる。一種独特の熱狂に満ちた文章が、いかにもこの人らしくて好い雰囲気をだしている。

『クローヴィス物語』 サキ 白水uブックス
 短篇の名手サキの短篇集がオリジナルの形そのままに初めて訳出された。(これまでは日本版オリジナル編集のものばかりだったとのこと。)本書は17歳の小生意気な若者クローヴィスを狂言回しに、風刺やユーモアや恐怖の物語を数多く収録した作品集となっている。中身の出来不出来は結構あるが、これまで色々なアンソロジーに収録されたような、キレのいい作品はかなり面白い。「エズメ」「トバモリー」「スレドニ・ヴァシュタール」「聖ヴェスパルース伝」あたりが、ブラックユーモアが効いていたりドキッとして結構好みかな。

『夜の写本師』 乾石智子 創元推理文庫
 様々な魔法が理(ことわり)となっている世界を舞台にした、一人の人間の“喪失”と“復讐”と、そして“帰還”の物語。ここまで正統的なファンタジーとは思わなかった。架空の世界を念入りに作り上げてあって、読後感も悪くない傑作。同じ世界を舞台にした作品があるようなので、そちらもまたそのうち読んでみよう。

『仮面の街』 ウィリアム・アレグザンダー 東京創元社
 ゾンベイ市の魔女グラバの元で暮らす少年ロウニー。互いに支配権をかけて争う魔女と市長の闘いの渦中で、ゴブリンたちと仮面の力に助けられたロウニーは、失なったものと自らの未来、そして居場所を見つけだす......。2012年の全米図書賞(児童文学部門)を受賞したとのことだが、なるほど納得できる良質な児童文学としてのファンタジーになっている。(それにしても『夜の写本師』もそうだが、ファンタジーには失ったものを取り戻す探索の話が多いね。)
 子供時代に誰もが感じたことのある恐怖やワクワクを見事に感じさせながらも、単純な悪と善の対決の図式や安易な決着を描かないところが、今風なのかも知れない。(どんなものにもそれぞれに主張も存在意義もあるということで。)最後になったが、ゴブリン達の作る仮面の数々がとても魅力的。続篇はまだ訳されないのかなあ。

『開かれ』 ジョルジョ・アガンベン 平凡社ライブラリー
 著者はイタリアの哲学者。本書は古今東西の様々な文献を渉猟しつつ、「人間とははたして何か?」についての思想的な歴史を考察したもの。人間と動物の定義を巡るガイドツアーと言い換えても良いかも。

『反知性主義』 森本あんり 新潮選書
 最近よく目にする「反知性主義」という言葉だが、「総ての知性に対して反対する主義」なのではなく、元はアメリカで生まれた特定の主義を指す言葉のようだ。アメリカ社会には清教徒を母体に建国したという歴史背景から生まれた「知性主義」とでもいうべきものがあり、それに異議を申し立てたのが「反知性主義」ということらしい。(つまり「反知性の主義」ではなく「反・知性主義」なのだ。これまで全然知らなかった。)
 本書はその「反知性主義」について、成立の背景からその後の展開までをわかりやすくまとめた本になっている。本書によれば、アメリカにおける反知性主義とは結局のところ、進化論否定にみられるような信仰復興運動にその根を持つということらしい。だとすると、日本における「反知性主義」、すなわち反論理、反科学、反教養の集合体みたいなものとは成り立ちも主張も異なるということになるだろう。知性を否定して、代わりに「本質主義的神道(byカスーリス)」に基づく宗教観と国家主義、それにオカルト(=トンデモともいう)をその代替とするという日本のそれは、いったいどこから生まれたのだろう?長引く不況や震災や周辺国の台頭で不安になった一部の層が、道徳や古い価値観の復興運動を起こしているのだろうか。そして信仰復興運動の場合は「高慢な知性よりも素朴で謙遜な無知の方が尊い」という感覚だったようだが、日本の場合ははたして何だろう?理性よりも共感や周囲との協調というものを優先する感覚であって、「神の前の平等」にあたるのが「古き良き日本」ということなのだろうか?

『氷』 アンナ・カヴァン ちくま文庫
 このところ日本での再評価が著しいカヴァンだが、その代表作がちくま文庫に収録された。世界を覆い尽くそうとする氷の脅威の中、“私”は失踪した少女の姿を追う。ひりひりした文章と、幻想による現実世界の侵食のイメージがいかにもカヴァンらしくまた痛ましい。数十年ぶりに読み返したが記憶にある以上の傑作だった。

『紙の動物園』 ケン・リュウ 新☆ハヤカワ・SF・シリーズ
 今、最も注目されるアメリカ在住の中国系作家(でいいのかな?)の作品を精選した、日本オリジナル編集の短篇集。軽妙なアイデアストーリーから痛切で思い読後感を遺す作品まで、バラエティに富んだ十五篇が収録されている。訳者である古沢嘉通氏の作品選定が上手くて、本邦初紹介の作品集としては理想的なものになったのではないだろうか。実はこのケン・リュウという作家、名前だけは知っていたのだが作品を読んだことが無かった。そこで今回はわざと予備知識を全く入れずに読んでみたのだが、冒頭の表題作からラストの「良い狩りを」までどれも大変に愉しめた。
 全体を通しての特徴は、取り返しのつかないことや、喪って初めてわかるものを描くのが巧いということ。それは登場人物たちにとって、これから生きていく間ずっと忘れずにいたいものであり、或いは自らの命を賭してでも守らねばならないものでもある。作品を味わう時に作者の出自を考えてはいけないのだろうが、それはまた“帰属”の物語でもあるようだ。
作品はどれも大変愉しめたが、敢えて好みベスト3を選ぶとすれば「紙の動物園」「選抜宇宙種族の本づくり習性」「どこかまったく別な場所でトナカイの大群が」あたりだろうか。特に「選抜宇宙種族の本づくり習性」はレムの「泰平ヨンシリーズ」の一篇かB・J・ベイリーの短篇みたいで、昔ながらのSFファンとしては読むのが愉しかった。また「どこかまったく…」では、イーガン『ディアスポラ』や「ワンの絨毯」を思わせるSF的な設定も好きなのだけれど、何といっても『ファウスト』の「時間よ止まれ、今こそお前は美しい」みたいな展開が好かった。(前向きで充実している話はいい。)他にも「もののあはれ」や「文字占い師」、「良い狩りを」などが甲乙つけがたい。ツイッターでは古沢氏により、著者と訳者のサイン入り色紙が抽選であたる販促イベントをされているが、そこで呟かれる「お気に入り3作品」が皆さんそれぞれ違っていて面白い。ヴァーノン・リー『教皇ヒュアキントス』の時もそうだったけど、選り抜きの作品ばかりを集めた本だからこそ出来ることなのだろう。

『荒木飛呂彦の漫画術』 荒木飛呂彦 集英社新書
 『JOJOの奇妙な冒険』で絶大な人気を誇る漫画家が自らのマンガ製作のテクニックを披露した本。「人気漫画家が明かすマル秘テクニック!」みたいなあざといものではなく、中身はごく真っ当な漫画論だった。手塚治虫の『マンガの描き方』や『石ノ森章太郎のマンガ家入門』のような正統的なハウツー本で、自作を例に書かれているので面白い。氏の愛読者なら実例を見ているだけでかなり愉しめるだろう。巻末の”実践編”では『ジョジョリオン』や短篇「富豪村」の舞台裏が覗けて嬉しい。なお本書では作品の設定に対して”世界観”という言葉があてられている。“世界観”を「世界の捉えかた」ではなく「作品世界の観せかた」という意味で使うのを最近よく目にするが、この用法はもしかしたら漫画業界から始まったものなのだろうか。

『アルカトラズ幻想(上・下)』 島田荘司 文春文庫
 太平洋戦争前夜のアメリカを舞台に猟奇殺人とそれを追う刑事の暑い夜が幕を開ける――のかと思いきや、恐竜絶滅の真相を述べた論文が登場したり、あるいは急転直下で真犯人の逮捕へ。さらに後半では主人公が刑事から犯人へと替わり、刑務所内でのオカルト談義(地球空洞説)に脱走および幻想王国での冒険へと、目まぐるしく展開される物語に振り回される。雰囲気としては同じ著者の『奇想、天を動かす』や『ネジ式ザゼツキー』みたいな感じもあるが、最終的にはあまりの奔放さに上田秋成の『春雨物語』を連想した。最終的にうまく着地はしているが、たぶん普通のミステリの論理では捉えきれないのではないかな。

『宮沢賢治詩集』 谷川徹三/編 岩波文庫
 宮沢賢治が数多く遺した詩稿の中から、『春と修羅(一)~(四)』、「肺炎詩篇」、文語詩など146篇を選んで収録。「永訣の朝」や「松の針」「雨ニモマケズ」といった有名なものもひと通り紹介されている。賢治は自らの詩を「心象スケッチ」と呼んでいる。日常の事柄に対して心に浮かぶことなので、ここに挙がっているのも農作業や指導を通じて体験した内容が中心。(童話ではなく詩集を読むのは初めてなので、選択に編者の嗜好がどのくらい反映されているかは知らない。)
 岩手の美しい自然の様子を詠った綺麗な作品が多いが、ただし自分が賢二の詩に魅かれる理由はどちらかというとそちらではなくて、地質学や天文学などの科学用語を使った表現の仕方にある。例えば有名な『春と修羅(一)』冒頭の「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です」みたいな文章。「むしろこんな黄水晶(シトリン)の夕方に」とか「蜂が一ぴき飛んで行く/琥珀細工の春の機械」、「畢竟あれは水と空気の散乱系/まばゆい冬の積雲です」なんていうイメージが岩手の風景をバックに浮かんでくると、わけもなくわくわくしてしまう。自分にとっては稲垣足穂と少し共通する部分があるかもしれない。

『モンテ・クリスト伯(三)』 アレクサンドル・デュマ 岩波文庫
 デュマ『モンテ・クリスト伯(三)』(岩波文庫)読了。いよいよエドモン・ダンテスの復讐に向けた動きが始まる。現代の小説に比べると幾分テンポが遅く感じるが、なあに構いはしない。復讐はじわじわと慌てず用意周到に。毒蛇は急がない……。残り4冊もゆるりと読んでいこう。

『目の見えない人は世界をどう見ているのか』 伊藤亜沙 光文社新書
 著者が研究する「美学(=芸術や感性的な認識を哲学的に探究する学問」の立場から、視覚障害者に”見えている”世界を言葉で再構成しようする試み。そこに見えてくるのは身体機能の単なる欠損ではなく、健常者とはまったく違う身体機能のあり方だった。価値転倒の面白さで「善意のバリア」に揺さぶりをかける刺激的な本だった。(著者は四本のうち一本の足がとれた不安定な椅子と、始めから三本で設計されている安定した椅子の違いに喩えている。)ジャンルとしては「アフォーダンス」や「環世界」といった用語が出てくる認知科学系の研究分野に近いだろう。ただし生物学的なメカニズムではなく、それらがもつ意味を追究しているのがこれまでとは違うアプローチで面白い。
 ひとつ例を挙げる。視覚障害者には視点という概念がない。(言われてみればたしかにそうだ。)それで対象物を全体像として捉えるため、彼らに死角というものは存在しない。(本文中には書かれていないが、視点がないということは錯視も無いということになる。)二次元ではなく常に3次元なのだ。
 また、視覚障害者を加えた複数のグループで美術鑑賞をする「ソーシャル・ビュー」というのが出てくる。健常者が絵画に書かれている事柄を言葉に出して説明するのだが、そこで見えてくるのは解釈が人によって違っているという事。視覚障害者の人に説明することで「他人の目」による異なった解釈が明らかになってくるというわけだ。(ある意味、読書会に近いものがあるかも知れない。)障害者の人はこのイベントでは「ナビゲーター」と呼ばれているそうだが、まさにその言葉がぴったりといえるだろう。実に面白い。
 なお、こういうことを素直に面白がるという姿勢は、視覚障害者とのコミュニケーションに限らず相互理解のためや自分の視野を広げるために大切なことだと思う。そして善意からくる遠慮やよそよそしさ或いは”区別”といった、著者がいうところのいわゆる「善意のバリア」を取り除くためにも。
 付け加えておけば、著者は本書ではあえて「障がい」や「障碍」といった言葉に置き換えたりせず、わざと「障害」という漢字を使っている。その理由は、障害とは個人の身体的な機能の欠損によるものではなく、そのために何かが出来ないことこそが障害だから――という認識からなのだそうだ。これまでのように障害を個人モデル(=不便の原因を身体機能の欠損に求める考え方)ではなく社会モデル(=身体機能の違う人が不便を感じる社会こそが障害という考え方)として自覚するべきという著者の意見にはなるほど首肯できる。(自分は普段は「碍」の辞を使っているが、本項では著者の意向にそって「害」と云う字を使った。)放送禁止用語を連発して差別を隠蔽しながらも、なんら実態は変わっていないどこかの国にとって、そのように考えてみることは大事なことかもしれない。
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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