2015年3月の読了本

 今月は年度末の殺人的な職場スケジュールに加え、読書会の開催や息子の帰省などが重なってゆっくりと本を読む時間が取れなかった。最低目標にしている月10冊が読めないのはつらいが、4月になり少しは落ち着けることを期待したい。(でもどんなに忙しくても本は読むよ。/笑)

『監視機構』 ジェフ・ヴァンダミア ハヤカワ文庫NV
『全滅領域』に続く「サザーン・リーチ三部作」の第2作。突如出現した<エリアX>を舞台に調査隊の運命を描いた前作とはうって変わり、本書は<エリアX>を管理する官僚組織とそこに新しく赴任してきた局長の物語。いかにもSF的で魅力的な舞台設定にも関わらず、そこで展開されるのが鬱々とした心理描写と権謀作術である点は、前作となんら変わらない(笑)。J・G・バラード『結晶世界』の世界で延々と続く『ハイ-ライズ』、あるいはクリス・ボイス『キャッチ・ワールド』において宇宙戦艦の中で行われた降霊会が、最初から最後まで延々と繰り広げられているとでもいうか。(読んでいない人にはさっぱり解らない喩えで申し訳ない。/苦笑)はたして次の『世界受容』でちゃんと決着がつくのだろうか?

『メディアはマッサージである』 マーシャル・マクルーハン/クエンティン・フィオーレ 河出文庫
60年代の知のシーンを席巻したメディア論の旗手マクルーハン。本書は彼の文章の中から抜粋・編纂して、コラージュ写真をつけた本。(デザイナーのフィオーレと編集者のエイジェルという二人の人物による共同作業とのこと。マクルーハン自身は制作には関与していないのかな?)ページをめくると“如何にも”な写真と文章が目に飛び込んでくる。マクルーハンは本邦に紹介したのが竹村健一氏だったというところからして、いかがわしさが満載だった。学生時代は実はあまり好きな著述家ではなかったのだが、今回読み返してみたら丸ごとパッケージとして鑑賞することができ、それが時代を感じさせて意外と好かった。厨二病も黒歴史も遠く過ぎ去ってから振り返りし時は、古いカサブタを剥がすような感じで(笑)、存外懐かしく感じられるものかも知れない。訳者の門林岳史氏と日本語版のデザイン監修を行った加藤賢策氏による、写真や当時の状況を説明した“副音声解説”が付くのも思い出しながら読むのに最適。

『知ろうとすること。』 早野龍五/糸井重里 新潮文庫
福島原発事故の直後からツイッターで情報発信し続けた科学者と”ほぼ日新聞”の主催者による対談。科学者が依って立つべき姿勢について語る。判断のため正確な知識を持つ事、誠実である事、そして開かれている事こそが未来を作る。
 学校のテストのように白黒はっきり決められるものならともかく、現実世界の問題は簡単に決着をつけられない。いくつもの要因がモザイクのように絡んで、どの側面に着目してどこに目をつぶるのかで結論は大きく変わり、それがいわゆる「政治的なスタンス」というものであろう。どんなスタンスを取ろうが個人の自由ではあるが、しかしその際にひとつだけ守らなくてはならないことがある。それは事実を直視し、事実について誠実である事。歴史認識など当事者の認識の仕方に直結する問題の場合は難しい面もあるが、少なくとも自然科学の領域に対しては誠実であるべき。自らの信条を貫き通すためには、方便としてどんなことを言っても構わないという人を自分は信用しない―― とまあ、そんな事を改めて考えるのに良い本だった。リーアン・アイスラーのひそみに倣えば、ISのような“剣”的な文化とほぼ日のような“聖杯”的な文化のぶつかり合いは、危機の時にこそ見えてくるものなのだと思う。(男女の性別や職業、社会的な肩書きには関係なく。)

『虎よ、虎よ!』 アルフレッド・ベスター ハヤカワ文庫
 云わずと知れた50年代SFの名作。3月29日に行われた第2回名古屋SF読書会のため、数年ぶりに再読した。何度読んでも傑作だと思う。『モンテ・クリスト伯』に着想を得た、未来世界を舞台にした悪漢小説にして教養小説。SF的な手法でしか描けない奇想に溢れる一冊。死と暴力と憎悪と贖罪、不具と無知と怒りと悔恨、時間と空間と共感覚、そして信仰と救済と覚醒。どこから読み解くことも出来そうな、悪趣味と興奮に満ちた快作にして怪作であり、こういうのを読みたいからこそ、自分はSFを読み続けているのかも知れない。

『イスラーム 生と死と聖戦』 中田考 集英社新書
日本人には珍しいイスラーム法学者による、ムスリムの死生観と倫理観を解説した本。イスラーム法の理想に忠実な宗教家でもある著者は、巷にあふれる付け焼刃的な解説本とは一味違った解釈を示して興味深い。後半にはISの”聖戦”を巡る純粋なイスラム的解釈が開陳されていて、近代国家の概念そのものを否定し、イスラームの法による統治を理想とするその論考は大変刺激的なものではあるが、おそらく日本では誤解を招くだろうと思われる。(本人はおそらくそのあたりについては確信的に行っている節がある。)いつの日か世界中がイスラームの教え(シャリーア)に基づく宗教国家で覆い尽くされることを夢描く著者の思想は、異教徒である大半の日本人からするとあまりにも異様に思えるだろう。大学(東大文学部イスラム学科)の後輩にあたる池内恵氏による解説が、そのあたりの危惧とともに現実の日本社会との橋渡し的な役割をしてくれていて有り難い。出来る事なら、いきなりこの本を読むよりは、もっと入門的な本を読んでイスラム教自体への理解を深めてからの方が良いと思う。

『教皇ヒュアキントス』 ヴァーノン・リー 国書刊行会
19世紀ヨーロッパの作家による幻想小説集で、翻訳家の中野善夫氏によるオリジナル編集。なお著者は男性名だが実は女性で、イタリアやイギリス、フランスなどヨーロッパ各地を転々とした人物。古代ギリシアや中世キリスト教などに題材を取った、古風で品の良い作品が特徴。本書は文字通り粒よりの短篇ばかりが集められていて、正直どれも甲乙つけがたい出来。中野氏自身が“おそらく満足が行く形での続刊は出せないだろう”というほどの、まさしくベスト・オブ・ベストのセレクションとなっている。そんな中で敢えて好みを挙げるとすれば「聖エウダイモンとオレンジの樹」「七懐剣の聖母」「アルベリック王子と蛇女」あたりだろうか。でも本当は表題作も「永遠の恋人」も「ディオネア」も「人形」も「フランドルのマルシュアス」も、そしてそれ以外の収録作も全部好きだ。価格は5000円近くするのでちょっと手を出しにくいかもしれないが、本来なら作者の著名度や凝った本の造りなどからして、1.5~2倍近い値段がついていてもおかしくは無かった本なので、幻想文学ファンなら買っても決して後悔はしないと思う。
 本書は中身や造本も話題となったが、それ以外に送り手(訳者、装幀家など)と受け手(読者)がツイッターを通じて様々な“遊び”を繰り広げ、本書の刊行自体が一大イベントとなったことが印象的だった。まずは足かけ3年に亘る中野氏の苦闘の実況中継に引き続いて、脱稿後は刊行記念の栞や初版限定の蔵書票サービス、それに中野氏お手製の豆本のプレゼントなどがツイッター上で大変話題となり、さらには自然発生的に始まった読者による「ヒュアキントスのある本棚」の写真投稿や、古書店を巻き込んでの販売イベントもなど、作り手と受け手が一体となった“ヒュアキントス祭り”が大変に愉しかった。(「饅頭」をネタにしたツイッター上の冗談から、やがて世界に一冊しかない豆本「饅頭ヒュアキントス」が生まれたエピソードなどは、これからもきっと語り草になるのではないだろうか。)新しい形の読書のあり方/愉しみ方を示してくれたという意味でも、画期的な一冊だと思う。

『モンテ・クリスト伯(一)(ニ)』 アレクサンドル・デュマ 岩波文庫
 『三銃士』の作者による超有名作。むしろ日本では『巌窟王』という名前の方が有名かもしれない。『虎よ、虎よ!』の元になったと聞いて、読書会を機会に読み始めたのだが、噂に違わず大変に面白い。今でいえばスティーヴン・キングや夢枕獏のジェットコースター・ノベルに近いのかもしれない。全7巻とまだまだ先は長いが、ぼちぼちと読み進めていこう。

『生命と記憶のパラドクス』 福岡伸一 文春文庫
 分子生物学者の著者が週刊文春に連載した66のミニコラムを集めたもの。気楽な読み物だが、テーマは研究の話から生物の進化、ITや読書にフェルメールの絵画など幅広い。研究者の人が書いたエッセイは愉しくて好きだな。子供の頃に読んだ本の話題も出てくるが、氏が筒井康隆の大ファンとは知らなかった。岩崎書店のSFジュブナイルの思い出などもあって、ちょっと意外。小さい頃に接した自然やSF小説の魅力で、理系分野に進んだ人間は案外多いのだろうか。”センス・オブ・ワンダー”を「気づくことのなかった世界の豊かさに不意打ちされること」と述べているが、これは上手い表現だとおもう。今度から使わせてもらおう。(笑)
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

最新記事
カテゴリ
プロフィール

舞狂小鬼

Author:舞狂小鬼
サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

最新トラックバック
FC2カウンター
最新コメント
リンク
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR