『パラダイムとは何か クーンの科学史革命』 野家啓一 講談社学術文庫

 科学史と科学哲学(*)の研究者であるトーマス・クーンがその主著である『科学革命の構造』で初めて提唱した概念「パラダイム」。その概念の成り立ちとその後の推移について、一般読者にも分かりやすく書かれた解説書。元は講談社の叢書『現代思想の冒険者』シリーズの一冊として刊行された。
 普通パラダイムという言葉は「物の見方」とか「知の枠組み」といった意味で用いられているが、正直いうと自分は今まで正確な意味を知らずに雰囲気で使っていたところがあった。なんせ誰が使い始めた概念なのか?ということすら知らなかったのだから。という訳で、『暗黙知の次元』や『種の起源』に続く「知ってそうで知らない事への再入門」(と勝手に呼んでいる取り組み)のひとつとして、パラダイムについて解りやすく説明してくれそうな本を探したところ、本書に辿りついた。読んでみたら予想はズバリ的中で、とても良い本だった。
  *…科学哲学といっても「科学を使った哲学」ではなく「科学に対する哲学」のこと。
    つまり科学という学問体系が依って立つ思考形態について考察する学問。
    科学に対して科学する「メタ科学」といった感じ。

 まず「パラダイム」という言葉の定義から。クーンが当初対象に考えていたのはもっと専門的で限定された領域であり、本書によれば次のように定義されている。

 「一定の期間、研究者の共同体にモデルとなる問題や解法を提供する、一般的に認められた科学的業績」

 厳密に定義しているので難しい表現になっているが、例えばアインシュタインの「相対性理論」のように、それぞれ科学の専門分野において、その時代の研究者の共通認識になっている基本的な知識・前提のようなもの。つまりは対象が自然科学に限定された専門用語だった。
 きっかけはクーンが専門とする「科学史」の研究をするうち、当時の最高知性の持ち主が、現代では考えられないような非科学的な間違いを「ある限定された分野についてだけしている」という不合理に気が付いたことから。細かな説明は繁雑になるので省略するが、(コペルニクスによる天動説から地動説への転換のように)科学者が前提としている基本認識/モデルが“非連続的に変化している”と仮定した。それをクーンは『パラダイム転換』と呼んだ。現在では本来の意味を外れて拡大解釈され、クーン本人も制御が利かなくなる程に広い意味で使われるようになったらしい。
 本書では本来の意味に立ち返り、科学の発展の過程において『パラダイム転換』がいつどのようにして起こったのか?というクーンによる科学史の研究と、『パラダイム転換』という概念の是非を巡って巻き起こった論争の顛末を順に説明している。科学という<知>の体系の秘密のヴェールを一枚ずつ剥がしていく過程はとてもスリリングで、まるで映画を見ているように面白かった。

 本書の著者によれば、本来“science”(サイエンス)という言葉には複数形は無く、漠然とした「知」という意味を指していたのだという。使われ方としてはknowledgeとほぼ同義とのこと。(**)
 すなわち欧米の“science”という言葉の使われ方には、<世界を解き明かす“知”>という意味が色濃く残っている。欧米において、応用科学だけでなく基礎科学の研究が伝統的に盛んなのはこの理由に依る。(アメリカでは基礎科学を選択する研究者の比率は、理系全体のおよそ半数にも上るらしい。)
  **…ちなみに調和のとれた状態の世界(宇宙)を“cosmos”といい、
     それに“logos”(=ロゴス/論理)を意味する接尾語が付くと
     “cosmology”(=コスモロジー/知の体系)になる。
     それに対して秩序の無いただの宇宙は“universe”(ユニバース)という。

 単数形でしか使われなかった“science”に複数形の“sciences”(サイエンシーズ)という言葉ができて一般化したのは、19世紀になってから。これは「自然哲学」という呼び名からも判るように、世界の知の体系たる哲学の一分野であった「科学」が、専門化した個別諸科学へと変化を遂げた時期に一致する。
 日本にはちょうどこの時期に“science”が導入されたため、日本で“science”といえば初めから専門ごとに分かれているという認識であり、そのため“science”という英語が『個別の科に分かれた学問=“科学”』という日本語に翻訳されたとのこと。ときに世は産業革命の真っただ中。既にヨーロッパにおいてテクノロジーと融合し、産業政策に組み込まれた後の「サイエンシーズ」を導入した日本では、殖産興業の機運の高まりとも合致して、科学は最初から“産業化科学”としてスタートを切ったのであった。以上、長々と書いたが全てこの本からの受け売り。(笑)
 ― だから日本では伝統的に応用科学が重視され、基礎科学がおろそかにされる傾向が強いのかと納得した。
 でも、「それが何の役に立つか」だけを基準にして評価されるなんてまっぴらだなあ。本に喩えるなら、新書しか読まない人生みたいなものか? そんな人生は何だか嫌だなあ。
 
 話を戻そう。
 クーンは科学史を研究するうちに「パラダイム」という概念に辿りつき、成り行き上、科学哲学にも手を染めることになった。それでは本来の研究である科学史における業績は何かというと、「科学の進歩は従来信じられていたように”連続的“なものではない」ということだろう。今でも科学は連続的に進化するものだと認識している人は多いと思う。しかしそれは、19世紀に“sciences”へと新たに生まれ変わった科学が、自らのレゾンデートル(存在証明)のためにとった「作戦」から生まれた誤解であるとクーンは言う。(以下、本文から抜粋)
 「科学という<知>が市民革命や産業革命の混乱に乗じて登場した新興成金ではなく、由緒正しい<知>の正嫡であることを示す最も効果的な方法とは、古代に始まり現代に至るその歴史的連続性を明らかにすること」、これが”sciences“がとった戦略であった。
 (もっともこれは当時流行った考え方であり、ダーウィンの進化論により提唱された“進化”という概念を生物だけでなく社会や人間の精神活動にそのまま当て嵌めようとするもので、何の根拠もない思い込みだと思う。)

 科学は「パラダイム転換」を経て、連続的にではなく断続的に変化をしていくというのが、クーンの結論であった。それでは断続的な変化はなぜ起こるのか?
 それは次のような手順を踏んで進捗していく。まずはそれまで長年に亘ってひとつの理論的枠組み(パラダイム)が信じられてきたとする。研究者の数も多くなり研究成果も出そろって、理論としては成熟しつつある段階にある。だが成熟するにつれ、その理論ではどうしても説明が付かない観測結果の蓄積が増えていく。
 研究も成熟しているので、それまでのように「精度が悪い」とか「測定誤差」である可能性は殆どなくなり、それを説明するためには全く別の理論的枠組みを前提にしないと成り立たなくなる。そこで新しいパラダイムが出てくるのだが、従来の理論と新理論のどちらが正しいか(=真)を客観的に証明することは不可能である。そのため研究者は「信じる者」と「信じない者」の二つに分かれてしまい、最終的には「確からしさに基づいて各自が信じるかどうか?」によって、長い期間を経て徐々にパラダイムが変化していくことになる。
 一度獲得された「物の見方」はそう簡単に変化するものではないため、旧理論に取って代わった新しい理論は、その後「成熟」にむけて多くの研究の前提として用いられることになる...。

 クーンは晩年、自然科学だけでなく社会科学にもこのパラダイム理論を適用できるのではないかと研究を進めていたようだが、社会科学の場合は自然科学よりも更に「パラダイム転換」は起こりにくい気がする。自然科学であれば実験によって従来の理論で当て嵌まらないものが示される可能性が常にあるが、人文系の科学のように客観的に検証しようがない学問領域の場合は、新しいパラダイム候補が現れても旧理論を論駁しようがない。
 これがかつて全共闘世代にパラダイム理論が間違った解釈をされ、「あらゆる考えに優劣はなく、新しい考えもまた真である」とか「旧体制とは全面的に意思疎通は不可能」といった主張の、理論的根拠にされた理由でもある。(これはパラダイム理論の誤った解釈であり、その理由は本書の中で説明されているが。)

 全共闘の考えは間違っているが、新旧パラダイム間の「通訳不可能性」についてはクーンが述べていることであり、ある意味正しい。これを卑近な例で喩えると、トンデモ理論がなぜ無くならないのか?ということの説明にも利用できる。(笑) 「アポロは本当は月に行っていない」とか「ユダヤが世界を影で支配している」「アメリカ政府は宇宙人の死体を隠している」とかの陰謀史観はいつの世も出ては消えしているが、これは世界の解釈の仕方であって、事実をどのように解釈しようが(本人にとって)矛盾が生じなければ論駁することは不可能。あとは説得するしかないが、思い込んでいるのだから納得してくれる訳が無く、結果として全く異なるパラダイムが並び成立することになる。これがトンデモ理論の無くならない理由。ちなみに会社で、上司の無理解によって部下の新しい提案が潰されるのも、(多分)同じ理由に依る。

 なおこのように述べると、あたかも旧パラダイムが一律に悪いことのように聞こえるが、必ずしもそうではない。「型/旧パラダイム」がなければ「型破り/新パラダイム」は生まれようがないわけだから。
 よく「年寄りは頭が固い」といわれるがそうではなく、自分が規範にしてきた型・拠り所を捨てる根拠が新しいパラダイムの中に見出せないだけだと思う。どんなことであれ初めて学ぶ分野においては、まず教科書や最初の訓練を通じて誰しもがセオリーを身につけていくが、それがその後の考え方を決める規範となる。(但しこれを極端に突き詰めていくと「旧体制とは互いに理解不可能」という全共闘と同じ結論になってしまうのだけれど。)
 したがって自分が上の世代になったときの心得としては、「自分が納得できないことでも若い世代を信用する」態度なのだと思う。もしもそういう上司に恵まれない場合は、草の根活動で若い世代にシンパを増やしながらひたすら待ち、最終的には世代交代するのを待つしかないのではないかと思う。寂しい結論になるが、急がば回れでそれが結局は一番の近道なのかも。
 クーンに始まって、とんでもない方向に話が行ってしまった。(笑)
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