『所有せざる人々』 アーシュラ・K・ル・グィン ハヤカワ文庫

※ストーリーや設定について詳しく書いてあります。これから読まれる方はご注意ください。

 著者のアーシュラ・K・ル・グィンは一般的にはジブリ映画『ゲド戦記』の原作者として知られているのかもしれない。しかし彼女の作家としてのキャリアは長く、SFやファンタジーが好きな人の間では『ゲド戦記』以外に『闇の左手』『天のろくろ』といった長篇や、「世界の合言葉は森」「オメラスから歩み去る人々」といった短篇でむかしから有名だった。学生時代には幾つか読んでいたのだが、正直に書くと「とても良く考えられているし面白いけどちょっと地味だし、テーマが重たくて疲れるなあ」といった印象だった。それでも「いつかはきちんと向き合ってみたい」と思い、本が出るとなるべく買い続けてきたのは我ながらエライ(笑)と思う。もちろん「買うだけじゃなくて読めよ」ということではありますが。(笑)
 そんなわけで、本書は自分の中では長らく宿題になっていた本のひとつ。今年の秋に開かれる読書会で同じ作者の『闇の左手』が課題図書に決まったので、これを機会に未読だった著者の本を読もうと考えたというわけ。(『闇の左手』の方は既読なのだが、こちらも秋までには再読してみるつもり。)

 本書は本格的なSF小説なので、読みなれていない方には設定について少し説明が必要だろう。SFには「未来史もの」(*)と呼ばれるタイプの作品があるのだが、本書はル・グィンが考えた≪ハイニッシュ・サイクル≫という未来史のシリーズに属している。この世界では、遠い未来に宇宙に進出した人類は、さまざまな環境や生態系をもつ星系に入植、各々そこに適した独自の生活を営んでいる。著者がこのような設定を用いたのにはわけがあって、現実の我々が住む世界とは違う世界を描くことで、「もしも〇〇だったら?」といった一種の思考実験をしているのだ。(たとえば『闇の左手』では性別が定期的に入れ替わる知的生命体と、それに基づいた社会制度がでてくるし、本書では無政府主義に基づく社会が描かれる。)

   *…未来まで含めた人類の架空年表をつくり、それに基づいて複数の作品をひと
      つらなりにまとめてしまおうという作家の遊びの一種。有名なところでは、
      R・A・ハインラインやコードウェイナー・スミスの未来史などがある。

 本書の感想に向かう前に、設定についてもう少し触れておきたい。
 物語はアナレス/ウラスという二つの居住可能な星(連星)を舞台に展開する。アナレスは厳しい自然環境の中で、百年以上前に母国の迫害を逃れたアナーキスト/無政府主義者たちが暮らす星。そしてウラスは自然豊かな母星であって、現実の世界に良く似た色々な社会制度をもつ複数の国が存在している。たとえばア=イオはアメリカを彷彿とさせるような資本主義体制の国だし、スーは本書発表当時(1974年)のソビエト連邦に良く似た社会主義国。他にはベンビリという発展途上国なども登場する。アナレスの社会制度は貨幣の廃止や完全な男女分業の実施などがとても良く考えられていて、もしかして共産主義革命が成功したらこんな社会になったのだろうか、と思わず考えてしまうほど。またア=イオは強い男性主義と階層差別にもとづく強力な軍事国家で、現代の資本主義社会のカリカチュアとなっている。またアナレスとウラスの諸国は、相互不信のために一部の貿易を除いて交流が途絶した状態が続いている。
 物語は主人公である理論物理学者シェヴェックが故郷アナレスで過ごした半生を描く奇数章と、彼がウラス(ア=イオ)のイエウ・エウン大学からの招聘に応じ、過去百年余りで初めてアナレスからウラスへ亘ってからの1年間を描く偶数章が交互に展開する。
 アナレスは物質的には貧しい社会であるが、「オドー主義(**)」に基づくアナーキストたちにとっての一種の“理想郷”が実現されている。ウラスの地に降りたシェヴェックは当初生まれて初めての“豊かさ”に遭遇して驚嘆するが、多くの人々と意見を交わすなか、徐々に違和感は強くなっていき、自らが信じるものとのギャップに悩み苦しむことになる。こうしてみるとウラスの章は“高貴な野蛮人”であるシェヴェックが高度な文明社会ア=イオを訪れるという、『パパラギ』のような文明批判の書として読むこともできるかもしれない。

  **…ウラスに生まれ育った思想家オドーによって提唱されたアナーキズム思想
      およびそれに基づき設立された社会制度。彼女は現実社会でいえばガンジー
      のような無抵抗主義に基づくマルクスといった感じの人物。

 一方のアナレスの章では旱魃などの厳しい自然環境の中で懸命に生きる人々の暮しと、徹底した個人主義に基づく世界が描かれる。私物を所有する事や個人の秘密を持つことが道義上の罪であり、自発的な奉仕が基本とされる社会は、(先ほどはユートピアと書いたが)見方によってはディストピアと感じる人もいるだろう。その中で描かれるシェヴェックの半生は、家族の不在や人が支え合って生きることの意味について深く考えさせられた。
 大雑把にいうと、アナレスの章は主に個人のあり方について取り上げた文学的/ミクロ的な物語であって、対するウラスの章は社会のあり方について考察した思弁的/マクロ的な物語という印象が強い気がする。前者の中でもM・フーコーが追及した“権力構造(生-権力)の成立”や教条主義のはびこるさまが生々しく描かれたりもしているが、後者の方はまさに様々な社会問題に関する博覧会の様相を呈している。ざっと気が付いただけでもジェンダー/貧困/階級差別/男性主義/国家と暴力/資本主義/物質文明批判などなど。
 巧いなあと思うのは、アナレスにおける生-権力の生成の描写を通じて、ウラスの問題が単に社会の制度を変えれば良いというものではなく、成員ひとりひとりに染みついた生き方に根差すものであることを暗に示している点。だからこそオドー主義の「人は互いに助け合うことなどできない。ただ苦痛(≒苦悩)を共にすることしかできない」という信条に基づく“兄弟(≒同胞)愛”と、それを最後まで信じ貫こうとするシェヴェックの行動が胸を打つのだ。
 一方で、もしも本書がSF小説としては読みにくい/とっつきにくいという印象を与えているとすれば、このウラスの章(特に2/3あたりまで)のあまりに技巧的・実験的なつくりにこそ原因があるような気もする。なかにはチフォイリスク(=社会主義国家スーの科学者)とパエ(=資本主義国家ア=イオの科学者)の確執のくだりなど、あまりにリアル過ぎるが故に時代を感じさせるところもあったりして、いまならさしずめ民族問題や宗教問題がそれにとって代わるだろうという気がする。

 淡々を進んできた物語は400ページを過ぎたあたりでいきなり大きく動きだす。そして冒頭の「出発するだけでは充分ではない。それでは中途半端にすぎないのであって、彼は帰還しなければならないのだ」という言葉が大きな意味をもって甦ってくる。そのあとは休む間もなくラストまでの残り150ページを一気読みしてしまった。SFを読んでこんなに興奮したのは久しぶりかも知れない。
 個人的には同じ著者の短篇「オメラスから歩み去る人々」の問題提起をさらに大きくふくらませたような感じで、色々と考えさせてくれるのが大変に愉しかった。もちろんこれらの問いには答えなど無いし、百人いれば百様の答えがあるはずだと思う。彼女の作品は安易な結論出しを拒み、読む者に逃げることなく受け止めることを求める。読み終えてもカタルシスは無く決して楽な読書ではないが、その分、読み終えた後の満足感は非常に大きい。それは答えを出さないことが不親切ではなく、彼女からの誠実な贈り物だからなのだと思う。おそらく学生時代だったら、この物語が持つ面白さが今の半分も分からずに終わっていただろう。その意味では学生時代に背伸びして読むよりも、この齢になってから読んだほうが却って良かったかも知れない。
 「哲学者とは誰も答えられなかった問いに答えを出す人ではなく、誰も考えつかなかった問いを投げかける人のことだ」という話を昔読んだことがあるが、その意味で「人が社会の中でより誠実に生きること」を問いかけてくる本書は、まさしく小説であるとともに思想書と呼んでも良いのではないだろうか。
 ウクライナやガザで多くの人の血が流れ、人よりも国家の優先を高らかにうたう者が権勢をふるう今こそ、人々にしっかと受け止められるべき物語なのだと思う。憎悪の連鎖ではなく、また「何が正義か?」という話でもなく。今読めて良かった。

<追記>
 ところでこの著者の日本での表記は、出版社によって違うので調べ物をするときなどにとても困る。「アーシュラ・K」まではだいたい同じなのだが、その後が「ル・グィン」「ル=グウィン」「ル=グイン」などまちまち。自分は普段は「ル=グィン」と書いているのだが、本書では出版社(早川書房)の表記に合わせた。出版社の内規などがあるのだろうけど、できればお互いに相談し合って統一してもらいたいものだよなあ。

<追記2>
 そうそう。SFファン向けの感想をひとつ。主人公が天上にかかるアナレスからウラスへと降り立ち、上流社会での滞在を経て下層社会の“冥界巡り”で何物かを得て帰還する構図は、そのままコードウェイナー・スミスの長篇『ノーストリリア』に重なるのではないだろうか。そんなことを思ったりもした。
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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