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『ロング・グッドバイ』 レイモンド・チャンドラー ハヤカワ文庫

 今回はハードボイルドの超有名作。白状すると、これまでハードボイルドは殆ど読んだことがなかった。ハメットもチャンドラーも名前を知ってはいるけど実は一冊も読んだことが無い。それでいてハードボイルドSFの『重力が衰えるとき』や、恐竜が主人公の怪作ミステリ『さらば、愛しき鉤爪』といった、本歌取りのような作品は読んでいるのだから自分でも趣味がよくわからない(笑)ブログでも前から書いているように、幻想怪奇やファンタジーやSFと同様にミステリも大好きなのだが、その割にこれまでハードボイルドに縁が無かったのは、本格推理もの(“パズラー”というらしい)ばかり読み漁っていたからだろう。

 そんな“ハードボイルド音痴”の自分がなぜ突然に本家本元のチャンドラー、しかも代表作の『ロング・グッドバイ』に手を伸ばしたのか。それは2月に参加した「翻訳ミステリー大賞シンジケート名古屋読書会」が、思いのほか愉しかったから。また参加したいと思ったところ、5月に開かれる次回の読書会の課題本がこの本だったというわけ。(新しい本との出会いはいつでも大歓迎なので、こういう機会があれば積極的に飛び込んでいきたい方なのだ。)
 しかしハードボイルドのマイルストーンとでもいうべき作品を漫然と読んでいても面白くない。せっかくなので、今回は自分なりのテーマを設けて読むことにした。どんなテーマかというと、「ハードボイルドとは何か?」を自分なりに理解すること。出来る事ならば、ハードボイルドの“読みどころ”をよく理解した上で読書会に臨みたいところだ。
 しかし意気込みは立派でも、なにせハードボイルド初心者であるが故の悲しさ。「トレンチコートを着て帽子を目深にかぶって夜の街に立つ」とか「卑しき街を行くストイックな孤高の騎士」とかいう、どこかで聞いたようなイメージしか思い浮かばない。もちろんフィリップ・マーロウが活躍する他の作品だって一冊も読んだことなど無い。 ――とすれば、いったい何を手掛かりに読み解けばいいのだろうか。畏れ多くも天下の名古屋読書会。感想がただ「面白かったです」ではあまりに情けない。(笑) かといって偉そうに哲学や社会思想なんぞを引っ張り出してきて、ひとりよがりの解釈で場を白けさせても申し訳ないし……。そこで(ハードボイルドかどうかは知らないが)、同じ「探偵もの」という括りで別の本も併せ読み、比較してみることにした。
 今回、比較の候補として挙げたのはP・J・ジェイムズ『女には向かない職業』とドン・ウィンズロウ『ストリート・キッズ』の2作品。『ロング・グッドバイ』の探偵マーロウを成人男性の代表としておいた場合、女性探偵のコーネリア(『女には…』)や青年探偵のニール・ケアリー(『ストリート…』)をマーロウと比べることで、何かが見えてこないかと思ったのだ。(*)
 というわけでここからは、それらを読んで自分なりに考えた「ハードボイルドとは何か?」についてまとめてみたい。(しかしなにぶん初心者ということもあり、しかもあくまで今回読んだ本だけからの考察。詳しい方からみたら言わずもがなの事や、逆に的外れなことを書いているかもしれない。もしそうでも、今回ばかりは大目に見て頂けるとありがたい。むしろご指摘・ご教示などをいただけると勉強になります。)

   *…さらには読書会でお知り合いになった、コージーミステリをこよなく愛する書評
      家の大矢博子氏が、ツイッターで「コージーミステリはハードボイルドが捨ててき
      たもので構成されている」とつぶやいていたのにピンときて、合わせてコージー
      ミステリの名作とされる『ゴミと罰』も読んでみることにした。

 ではまず、いつものように書誌的な内容から。本書『ロング・グッドバイ』は、レイモンド・チャンドラーが考え出した私立探偵フィリップ・マーロウが活躍するシリーズの6作目にあたる。既に同じハヤカワ文庫から清水俊二氏の訳で、『長いお別れ』という題名で出版されている作品と中身は同じ。本書『ロング・グッドバイ』のウリは、なんといっても訳者が“かの”村上春樹氏だという点にある。しかも本文のページ数を数えたところ60ページほど本書の方が長い。これはどういうことかと思っていたら、ハードボイルドに造詣が深い読書会スタッフの方が教えてくださった。(K藤さんありがとうございました。)どうやら清水訳の方は、作品のもつスピード感を重視するがためか(?)、文章が若干省略されているらしい。自分は貧乏性で読むなら少しでも長い方が嬉しいので(笑)、今回は村上訳の方で読むことにした。
 大まかなストーリーがどんなのかというと、私立探偵のマーロウが偶然に知り合い友人となったレノックスという男を巡り、“ハイソサエティ”な人々の空虚な人間関係が生み出した殺人事件に、マーロウが巻き込まれていくというものだ。ふむふむ、なるほどねえ。マーロウの男気には頑張れとつい声援を挙げたくなるし、あっと驚くどんでん返しもあったりして、なかなかに愉しめるじゃないの。すかっとしたカタルシスが読後に得られるタイプの話ではないが、苦い余韻も心地いい。いかにも大人の読書という感じがする。(もっともこれがハードボイルドの典型的な展開なのかはよく知らないのだが……。/苦笑)
 『ロング・グッドバイ』におけるハードボイルド要素は分かったので、続いては『女には向かない職業』と『ストリート・キッズ』、そして『ゴミと罰』を読んでいくことにした。
 まず『女には向かない職業』だが、こちらはある事件がもとで私立探偵の仕事を事務所ごと引き継ぐことになってしまった若い女性が主人公。初の依頼である、ひとりの青年の自殺に関する原因調査を進めるうち、一見単純と思われた出来事の陰に驚くべき真相がみえてくるというものだ。うーむ、ミステリとしての骨格もしっかりしていて、すごく面白い。ちなみに本書を本格推理物の範疇と見做すむきもあるようだが、自分のみる限りではこれも立派なハードボイルドのしつらえをしている。(主人公が捜査途中で危うく命の危険に巻き込まれそうになるなど、お約束の展開もばっちりだ。/笑)
 一方の『ストリート・キッズ』はまたまた雰囲気が違う。謳い文句によればどうやら新感覚の探偵物語ということらしい。麻薬中毒の母親の私生児として生まれた少年が、その後“朋友会”と呼ばれる組織(ある銀行が始めた上流階級の極秘の互助会のようなもの)で働く私立探偵と出会うことで、立派な青年に育っていくというビルドゥングスロマン(教養小説)にもなっている。でもこれも解説によれば立派なハードボイルドとのこと。うーん、だんだんわからなくなってきたぞ。
 そこでうって変わって、名古屋読書会ではハードボイルドとは宿敵関係にあるらしい(?)、コージーミステリの佳品『ゴミと罰』へとすすむことに。こちらはアメリカの一般的な住宅街に住む主婦が、二人の生意気な子供たちやご近所とのホームパーティの準備に翻弄されながらも、隣家で起こった殺人事件の謎を解くというものだ。こまごました日常生活の様子が丁寧に描写されているのが特徴。でも『ロング・グッドバイ』やその他の2作品でも、事細かな日常の作業に没頭する主人公たちの姿は丁寧に描写されていた気がする。印象の違いはいったいどこからくるのだろう。
 
 そこで、まずはハードボイルドの定義についてしらべてみることに。本当なら小鷹信光氏の『わたしのハードボイルド』などの研究書を読んで勉強すれば良いのだろうが、そこは生来のお気らく読者。適当にネットで調べてお茶を濁す。(笑)
 とりあえず翻訳ミステリー大賞シンジケートのホームページを見てみることに。おおー、ちゃんと詳しい記事があるではないの。これは助かる。それによればハードボイルドとは、「情緒表現を排した客観描写で非常な主人公の行動を描いた小説」もしくは「複雑かつ多様で見渡すことの難しい社会の全体を、個人の視点で可能な限り原形をとどめて切り取ろうとする小説」であるらしい。ハメットが『ガラスの鍵』や『マルタの鷹』『赤い収穫』といった作品で確立したスタイルで、感情表現を一切省いた三人称で描かれるその物語は、当初はノワール(犯罪)小説の一種として認知されていた。そしてそれを現在のようなイメージに変えたのが、本書の作者レイモンド・チャンドラーということのようだ。時代とともに定義も変わってきているのだね。自分がもっていた「探偵のひとり語り(独白)」や「高潔な騎士」というイメージも、チャンドラーによるところが大きそうだ。(ちなみにその後は群雄割拠。色んなハードボイルド作品が生まれ、そして現在に至っている…。)
 うーむ、ホームページのおかげでハードボイルドの歴史には詳しくなれた。しかし「ハードボイルドとは何か?」については相変わらず今ひとつピンとこない。そこでもう一度『ロング・グッドバイ』『女には向かない職業』『ストリート・キッズ』に戻り、それらを比較する中で共通している上澄みの部分について考えてみることにした。

 もったいぶらずに書いてしまおう。その結果思い当たったのは、ハードボイルドとは「やせ我慢の系図」なのではないかということだ。歌舞伎で言えば「助六」という演目にあたる感じ。(ただし『ロング・グッドバイ』には基本的にヒロインとなる「揚巻(あげまき)」も敵役となる「髭の意休(ひげのいきゅう)もいないのであるが。)
 九鬼周三の「粋(いき)」という概念にもつながるのだけれど、要はある種のこだわり(生活信条)を持って生きることを実践し、そのためにはストイックな生活も辞さないというような感じ。そしてそれを引き立たせるのが、多くは上流階級に属する依頼人たちの、(表面上の恵まれた様子とうらはらな)とても自堕落で腐りきった精神状態とのコントラストというわけだ。
 一方で主人公たちは、まるで原始キリスト教の修行僧を思わせるようなストイックな生活を淡々とおくる。おそらくハードボイルドにおける日常作業というのは、主人公たちを理想的な生き方へと導くために必要な修行なのだろう。そして依頼人たちに比べてマーロウたちの生き方のいかに高潔なことか。そこに共感を覚えたとき、読者はハードボイルドを感動とともに受け入れるのではないか。とまあ、そんな気がする。

 ちなみにコージーミステリの方はどうだろう。コージーも日常生活のこまごました作業を描くのには違いはないが、うける印象は正反対で180°違っている。その理由を自分なりに考えてみるに、おそらくコージーの場合は日常作業を描くこと自体が目的なのではないだろうか。先ほどのキリスト教を例にとるとすれば、ハードボイルドの生き方が理想を追い求めるカトリックで、こちらは日々の生の実践がそのまま信仰につながるプロテスタントのような感じかな。(分かりにくい譬えですいません。)コージーでは何気ない日々の生活こそが、実は価値のある事なのだといっても良い。
 修行による理想の生き方追求か、もしくは日常作業をそのまま生の実践と捉え肯定するか…。立場は違えど、どちらも同じように日常生活の様子を描くという点では、同じカードの裏表の関係にあるといえるのかも知れない。そんな事を思ったりした。そして日々の暮らしぶりをまるごとそのまま愉しめるかどうかが、コージーミステリを愉しめるかどうかの分かれ目になっているような気がする。(**)

  **…ちなみにそうなると『クリスマスのフロスト』に始まる一連のフロスト警部シリ
      ーズは、警察小説におけるコージーということになると思うのだが。
      また『やっとかめ探偵団』は日本におけるコージーともいえそう。どうだろう?

 最後にもういちどまとめてみよう。
 ハードボイルドについては他にも、主人公が(依頼を受けて動き出すので)常に受動的であることとか、一人称と三人称の問題(『ロング・グッドバイ』以外の2冊の探偵物語はいずれも三人称)だとか、まだまだ特徴比較に関して書き足りないところは色々ある。
 しかしハードボイルドを成り立たせているもっとも大きな特徴は、「日常描写の位置づけ(目的)」にあり、そしてハードボイルドのもっとも大きな魅力は、依頼人たちとの比較でより強調される「探偵の高潔な生き方」にあるというのが今回の自分の結論。そんな風に考えていたら、これまで食指が動かなかった他のハードボイルド作品に対しても興味が湧いてきた。読まず嫌いはやはりよろしくないね。こんどは『ロング・グッドバイ』を示準化石(失礼!)のように使いながら、様々なタイプのハードボイルドにも手を出してみようかな。

 以上、ハードボイルド初心者による読書会の予習レポート、のようなものでした。つたない考察で恐縮です。(笑)
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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