『ピース』 ジーン・ウルフ 国書刊行会

 初めて訳出の情報を聞いてから2年。長いこと待った甲斐があった。超絶技巧の傑作長編『ケルベロス第五の首』やひねりの効いた短篇集『デス博士の島その他の作品』、そして濃厚で長大な「新しい太陽の書」シリーズでカルト的な人気を誇る作家、ジーン・ウルフの初期傑作長篇がついに日の目を見ることになった。翻訳は西崎憲氏と館野浩美氏の共同訳で、巻末には西崎氏により詳細かつ懇切丁寧な解説がつくというおまけつき。ウルフ作品の初心者に対しても優しいつくりになっている。(ただし小説自体が読者に優しいわけではない。)
ウルフはSFというジャンル小説の中でもとりわけ難解と云われる作品を書く作家とされている。それは決して「作品がつまらない」という事を意味するわけではなく、ただ読者に親切でないだけだ。
 通常の小説の場合は、作者が考えたストーリー(≒時系列順に作られた真実の話)がきちんと読者の頭の中で再構築できるように書かれている。小説的効果を狙ってわざと時系列の順番を入れ替えたプロット(≒書き方)にしたり、もしくは途中の時間経過を飛ばしたりといった操作が行われることはあるが、前後の脈絡が理解できるようになっていることが多い。(注:前衛的な文学などは除く。)
 しかしウルフの場合、不注意な読者にもわかるような平易な書き方はされていない。なにげない一言や動作の描写にも仕掛けが施されていて、注意深く読んでいくと表面的な「プロット」とは全く違う「ストーリー」が浮かびあがってきたりするから要注意だ。
 その効果は例えばミステリでいえば「叙述トリック」を読んだときの驚きに近いと思う。(*)柔道で見事な背負い投げを決められたような感じといえばいいだろうか。一瞬のうちに天地がひっくり返り、今まで見えていたものが全く違った様相をみせてくる驚きこそが叙述トリックミステリの快感であり醍醐味ともいえる。

   *…本来なら具体的な書名を挙げたいところだが、そうするとこれから読む人の興を
     削ぐことになるのでやめておこう。国内でいえば筒井康隆や歌野正午に殊能将之
     といったところ。海外は不案内なので申し訳ないが、アントニイ・バークリー等
     の作品に優れたものがある。

 ウルフの小説でそれと違うところがあるとすれば、ミステリの場合はどんでん返し(隠されていた“真実”の開示)が小説の根幹にかかわる部分であり、ラストまでその一点に向けて収束していくが、ウルフの場合は最後まで“真実”(つまり小説としてのトリック/騙し)が何なのか判らないという点だろう。ミステリ以外にも目を広げれば、拙ブログではお馴染みのエリック・マコーマックやクリストファー・プリーストなどがそれに近い。もっともウルフは自分のみる限り彼らとも若干違っている。マコーマックやプリーストの場合、小説を読み進むうちにどうしても辻褄の合わない部分がでてきて、それが読者に強く違和感を感じさせるように書かれている。そしてその答えが明示されないので読者は宙ぶらりんの状態に陥るのだ。しかしウルフの場合は、先ほども述べたように表面上は目立つ齟齬もなく、(多少幻想的なシーンはあるにせよ)それなりにきちんと整合性の取れた物語が成立しているので、さらりと流していってしまうことも可能。気を付けていないと「ある食品会社の経営者が自らの半生を語った一代記」という“普通の話”としても読めてしまうのだ。
 それでも何となく気持ちの悪い感じは残るのだけれど、それが何なのかは最後まで分からなかったりする。そこがウルフという作家の“油断のならない部分”でもあり“難解”と呼ばれる所以であるともいえるだろう。同じ“騙り”の作家であっても、ウルフの方がマコーマックやプリーストよりもっと巧妙で意地が悪い(笑)と言って良いかもしれない。「何を書くか?」ではなく「どう書くか?」を最も重要視する作家という評価もわかる気がする。
 本書の場合、SF・ファンタジー的な小道具が出てこないので、SFに馴染みの薄い方にもとっつきやすいと思う。デビュー3作目にあたる本作は、ウルフの豊穣な物語世界への入門書としても最適ではないだろうか。


 とまあ、以上がネタバレ無しの感想。ここから先は本書の仕掛けについてあれこれ考えた仮説や疑問点を挙げて愉しもうという趣旨なので、未読の方はご注意を。




 まずはおさらいの意味で、帯に書いてある文章を引用する。
 「アメリカ中西部の町に住む老人ウィアは静かに回想する、自分の半生を、過去の不思議な出来事を、説明のつかない奇妙な事件を……」「時間と空間を錯綜して語られる、魅惑と謎に満ちた物語の数々。」
 筋だけを追えば、本書はまさにこの通りの話。過去を語る老人の心に飛来するのは、題名のとおり「平穏」であり過去の様々な出来事との「和解」ということになるだろう。回想は時間を飛び越えていつの間にか入り混じり、現在と過去を行き来して夢と現実の区別もつかなくなってゆく。(いや、そもそも最初から最後まで現実と呼べるものは本書の中にはないのかも知れない。例によって語り手の一人称による記述だし、どこに仕掛けが隠されているのか分かったものではない。)
 以下、順を追って流れを追っていくことにしよう。

 全編を通しての語り手は、先も述べたオールデン・デニス(デニー)・ウィアという人物である。年齢は60歳過ぎで、脳卒中で倒れて以来、左半身が不自由になっている。歩ける程度には回復しているが、いつまた再発するか分からない状態。40歳までは義理の叔父が経営するオレンジジュース工場のさえない貧乏技術者だったが、50代で突如会社の経営者となり金持ちに。生涯ずっと独身を続けており、現在は第一線を退いて会長となっている。
 物語は彼による語りで進んでいく。全体は5つの章に分かれていて、第1章「オールデン・デニス・ウィア」では本人の子供時代を中心としたエピソード、つづく第2章「オリヴィア」では主人公デニスの叔母にあたるオリヴィアにまつわるエピソード、そして第3章「錬金術師」では後にオリヴィアの伴侶となるスマートが若いころに体験した不思議な物語が語られる。第4章「ゴールド」はうって変わって中年技術者デニスの物語。彼が遭遇した偽書や隠された財宝を巡るエピソードとなり、そして最後の第5章「社長」ではジュース工場を引き継いだデニスが新聞取材をうけた時の様子が語られる。
 話が複雑になっているのは、これら一連の回想以外にも突然に現在の(ウィア老人の)様子が顔を出したり、彼が想像で作り上げたふたつの病院におけるシーンが入り混じっているから。さらには「単語と単語の間に何か月もの時間が広がっているかもしれないなんて、想像したことがあるだろうか」なんて言葉が出てくる。地の文の中は勿論もしかすると、挿入された会話文すら前後と同じ時系列である保証すらないのだ。これは気を抜けない。
 ちなみに全編を通じて繰り返しでてくるシーンは次の2種類だ。(病院を別々として数えれば3つになる。)
《a.現在》
 アメリカはカナキシー川のほとりにある小高い丘の上の町・キャシオンズヴィル。ウィア一族は昔ブレイン一家から土地を購入し、町の大半を所有している。主人公は卒中で倒れて隠遁状態にあり、昔叔母の家があった土地に新しく作り直した屋敷にひとりで住んでいる。
《b.架空の病院の診察室》
 ヴァン・ネス先生の診察室(40歳ほどの大人の自分)およびブラック先生の診察室(4歳の子供の自分)における、医師と自分との会話による内省。子供ではあるが老人の意識と記憶をもったまま医師と会話をする主人公は、TAT(主題統覚テスト)というテストを受けている。それはカードを見ながら様々な物語を綴っていくもので、それが各章の回想につながっていくという構成になっている。

 個々の章で描かれるエピソードは概ね次のようなものだ。
【第1章/オールデン・デニス・ウィア】
 5歳の時に祖母の屋敷で開かれた春のガーデンパーティで、大嫌いなブラック家の子供ボビー・ブラックが階段からおちて背骨に大怪我をする。(彼はそれがもとで数年してから亡くなることに。)解説で西崎氏が書かれているように、主人公デニスがボビーを突き落したのかも知れないと考えると、物語の様相が一変する。途中でデニーとボビーがもみ合うシーンがさりげなく挿入されているなど、後から考えると愉しげなパーティ描写の中にも実は恐ろしい“真相”が隠されているような気がしてくる。
 次は6歳の時に母方の祖父の家で過ごしたクリスマスのエピソード。真夜中にツリーの前で祖父とした会話の記憶ははっきり残っているのに、なぜか朝になるとベッドの中でに戻っていて、しかも記憶にあったネックレスとオードトワレのプレゼントが入れ替わっているという不思議な体験が語られる。あくまで子供の視点で書かれているのだが、大人が読むとほろ苦い「真相」が透けて見えるようで、ちょっと“厭”な話となっている。
 またこの章には、母の料理人だったハナ・ミルにせがんで話してもらった、彼女の子供時代の思い出も出てくる。ハナの両親が子守り役として雇い入れたアイルランド人ケイト(ケイティー)が語ってくれた、妖怪パンシーの話やインディアンについての思い出話。これは不思議な余韻を残す話中話で、本書にはこの後も同様の物語が数多く挿入されて物語に色を添えている。(**)

  **…長めの話としては「瀬に現れる岩に建つ塔に住む囚われの王女イレイヤと、彼女へ
     の3人の求婚者の物語」「千夜一夜物語の語り部シェヘラザードによって語られ
     た、魔物が漁夫の王に伝えた“魔神と召使いのベン・ヤハヤ”の物語」「中国を
     舞台にした翠色の陶器の枕を巡る物語」「アイルランドに古くから存在したとさ
     れる“シー”の種族の物語」など。個々の挿話自体はとても面白いのだが、反面
     何かの暗示のような気もしてきて、混乱に拍車をかけているといっても良いかも
     知れない。(笑)

【第2章/オリヴィア】
 デニスの両親が揃ってヨーロッパへと行ってしまった数年間を、叔母のオリヴィアの家で一緒に過ごした思い出。彼女へ求婚していたのは大学教授のピーコックと百貨店経営のマカフィー、それに大地主のブレインという3人の人物。ピーコック教授と3人で行ったピクニックの様子や、百貨店に叔母がオープンした陶磁器の店がきっかけになって、大きな陶磁器の卵を手に入れるまでの話、それにブレイン氏の自宅訪問など、彼らにまつわる様々なエピソードが語られる。(ちなみに陶磁器の卵は本章では最終的にマカフィー氏がお金を支払って購入したのだが、後の第4章の記述では叔母が陶磁器の卵を手に入れたように書いてある。このようなことがあるのでウルフの本はひと時も気が抜けない。)

【第3章/錬金術師】
 この章では、のちに叔母オリヴィアの伴侶となった青年ジュリアス・スマートが初登場。(つまり先の3人は全員振られたということになる。/笑)そしてスマートがまだ薬科大学を卒業したばかりの頃に、働き口を探しに行った南部地域で偶然遭遇したミステリアスな出来事、薬屋の主人ティリー氏と幽霊と、そして彼が調合する“石化の毒薬”についての物語が披露される。この章がもっとも起伏に富んでいて読みやすい。真相らしいものが作中で明かされるのもこの章のみで、本書の中で一番ミステリらしいエピソードといえるだろう。
 紆余曲折あって薬屋を継ぐことになったスマートは、やがてそれを元手にオレンジジュースの会社を興し、発展させる。叔母のオリヴィアは若くして亡くなったため、デリスは叔母の唯一の親族としてスマートとともに会社経営でもするかと思いきや、そうはならない。デリスは自身が中年になりスマートが死亡するまでは、ずっとその工場で安月給の一技術者として働くことに。口も利いてもらえなかったというから、よほど嫌われていたのだろうか。

【第4章/ゴールド】
 デリスが技術者だったときに職場の同僚だったユダヤ人・ゴールドの一族をめぐる物語。ゴールドの父親が経営する古書店で販売された偽書『放埓な法律家』についてのエピソードと、それが縁で知り合った女性図書館司書のロイス・アーバスノットとともに南軍兵士が隠したとされる財宝を探す話が中心となる。この章は本書中でもいちばん違和感がある内容になっていて、物語として明らかにつじつまが合わない部分が最も多い気がする。ウルフなりにヒントを出してくれているのだろうか。(とはいっても気を付けて読まないと、つい読み落としてしそうになるが。)
 例えばそれはブランコやベッドにまつわる、これまで記憶にないエピソードだったり、陶磁器の卵の購入にまつわる記述の食い違いだったりする。川辺にデニスと一緒に宝探しに行ったロイスがその後は、「よそに引っ越した」という説明だけで一切姿を見せなくなるのも意味深に思え、読んでいるうちになんだか胸がざわざわしてくる。まさにSF界一の騙り手の面目躍如といった感じ。

【第5章/社長】
 冴えない中年技術者だったはずの主人公は、最終章ではいつの間にかジュース工場の経営者へと変わっている。ここはデニスが経営を取り仕切るジュース工場を新聞記者が取材するエピソードが中心で、失われてゆく地場産業のジャガイモ農家の老人や、オレンジ風味のジュース(原料はジャガイモ!)の工場のいかにも資本主義的な経営の様子が淡々と語られる。ここで物語のカギとなるのはどうやら、冷凍倉庫の中で従業員が1名凍死した事故のようだ。(入社2年目の新米技術者の失敗によるその事故を、どうやら会社はもみ消したらしい。)

 以上、ざっと物語の骨子をまとめてみたが、最初のうちは僅かに感じるだけだった違和感が、後になるほど少しずつ積み重なってきて、「一代で功をなした老人が心安らかに語る自らの半生記」という当初のイメージがどんどん狂い始めるのがよくわかる。西崎憲氏も解説で同様のことを書かれていて、発表当時は(例えば中勘助『銀の匙』やダニロ・キシュ『若き日の哀しみ』のような)少年の日の美しい回想として捉えられていた本書が、実は「別の模様」を隠し持っているという評価に変わってきたとのこと。氏の言われるように本書もホーバン『ボアズ=ヤキンのライオン』やクロウリー『リトル・ビッグ』などと同様、日常感覚から出発していつの間にか遠い彼方へと連れ去ってゆくタイプの幻想小説だと言えるだろう。
 ところで話は変わるが、物の本によれば哲学の目的とは、世界に対して新しい認識を提供することではなく、新しい疑問を提示することであるらしい。であればウルフ作品も同様に、正しい解釈を捜すのではなく新しい疑問点を見つけることこそが、最もふさわしい読み方なのかもしれない、なんてことを思ったりもした。
 参考までに解説で挙げられている疑問の中で、これまで触れてこなかったもの並びに、それに対する自分なりの解釈を書きだしてみる。(注:あくまでもそう考えた方が面白いということであって、それが正しい解釈というわけではない。)

 ■中年技術者だったオールデン・デニス・ウィアがいかにして社長になれたのか?
  ⇒もしかしたらデニスはスマートを殺したのではないか。
 ■ハナの父親はなぜハナに母親の死体を見せなかったのか?
  ⇒他人に見られるとまずい、母親の死に関係する決定的な証拠が残っているからでは?
   (父親が母親を手で絞めて殺害したとか。)
 ■薬剤師のティリーは本当に妻を殺し、そしてスマートがティリーを殺したのか?
  ⇒ティリーは自分の妻を殺し、そしてスマートが店を乗っ取るためにティリーを殺した
   可能性が高い。そしてスマートは妻オリヴィアの死に関係している可能性もある。
 ■カーニヴァルの女性ドーリスはなぜ自殺したのか?
  ⇒これは皆目見当がつかない。何か語られていない事情があるのか。
 ■オリヴィア叔母はなぜ若くして死んだのか?
  ⇒夫であるスマートもしくは求婚者であったピーコック教授により殺害された。もしく
   はデニス自身が遺産相続に絡んで、何らかの関与をした可能性も無きにしも非ず。
 ■ロイス・アーバスノットはなぜ突然いなくなるのか。
  ⇒川辺でデニスとロイスは本当に財宝をみつけ、その際にデニスがロイスを殺害したの
   ではないか。そしてそこで得たものがデニスの資金の出所となったのでは?(さら
   に言えばきっかけとなった偽書とゴールドの父親の話自体がまったくの創作である
   可能性も。)
 ■冷凍倉庫に従業員を閉じ込めて死亡させてしまったのは、実はウィリーではないのか。
  ⇒おそらくその可能性が高い。

 そして最後は本書で最も大きな謎、「語り手のウィアは実は既に死んでいるのではないか?」について。これもまずその通りだろうと思う。例えば本書112ページには次のように書かれている。―― 現存する「生きて、呼吸し、存在する」ぼくの記憶が、今は滅んで取り戻せない物理的存在よりも現実的でないなどとどうして言えるだろう ―― 本書第2章には、幽霊となった祖母が出てくる事からも、作中としての整合性にも何ら問題は無い。

 こうしてみると、平穏な回想記だったはずの本書が、なんだか死と陥穽に彩られた暗く冷たい物語に変わっていくようだ。これまでずっとウルフの作品を読んできたものとしては、本書を素直にひとりの老人の回想記として読むことなどできはしない。そもそも題名となっている“PEACE”とはいったい何なのか。死んだ者が煉獄で贖罪の日々を送ることで、やがて訪れる平安を意味しているのではないか...。そんなことを考えたりもした。
 何しろ数えきれないほどの謎と不思議がつまった物語。再読・再々読にも耐え、読むたびにまた新しい姿を見せてくれる本書は、ウルフからの大きな贈りものといえる。(そしてこれだけ色々な含みが込められた文章を、そのニュアンスまでも合わせてまるごと日本語に移し替えられた、訳者のご苦労は大変なものだったに違いない。その意味で本書は西崎氏と館野氏のお二人からの贈りものであるともいえる。)今年は短篇集『ジーン・ウルフの記念日の本』も出るようだし、昨年の“ラファティ祭り”に引き続いてまだ当面は“ウルフ祭り”を存分に愉しめそうだ。

<追記>
 本書には死を巡る大きな謎も数多いが、細かな謎もそれ以上に存在する。解説にもある「プラスチックの蠅」や「楡材の鹿」の意味といった象徴の話から、ブレイン家がインディアンから広大な土地を譲り受けた顛末や、銀行員ライスパイがブレインの金を持ち逃げしたはずなのに、後でブレインがそれはシンプソンだと訂正する話など、本編で説明されないエピソードの類いまで様々。「死んだ一族の顔が全て浮かび上がってくるポット」など、説明のしようがない不思議な小道具の存在もそうだ。
 よく分からないものとしては、途中でマカフィーのファーストネームがそれまでの「ジェイムズ(ジミー)」ではなく突然「ロスコー」に変わったり、また「祖母のエリオットのものからマブ・クローフォードのものに変わった台所にいる」というセリフがあるのだが、これなどエリオットは祖母ではなく祖父ではないかと思った。これは単なる誤記なのだろうか、それとも何か意図があるのだろうか。考え出すときりがないので、これくらいでやめておくことにしよう。(笑)

 以上、長々と失礼しました。


<追記2>
 このブログをアップしたところ、ありがたいことに訳者の西崎憲氏ご本人から疑問点について直接コメントをいただけた。まず「ロスコー」という男性名は、名前がわからない相手に対して呼びかける時に使う言葉なのだそうだ。”Hey,Mac!”みたいなものか。また「祖母のエリオット…」については原文でそうなっているのでその通りに訳されたとのこと。ウルフが祖父エリオット・ヴァンティと祖母イヴァドニ・ヴァンティの名を単純に取り違えたとも考えられるが、真意は不明である。台所だから祖母の名がふさわしいと思うのだが…。以上、補足でした。
 なお別の方から、デニスの母親であるアデリーナ(通称デラ)の姉妹アラベラ(通称ベラ)の名が「アラベラ・エリオット」と記述されているというご指摘をいただいたのだが、こちらは残念ながら確認できなかった。どなたかご存知の方はご教示いただけると幸いです。

<追記3>
 さらに共訳者の館野氏からご教示いただくことができ、すっきりした。ベラが旧姓で書いた記事の署名が「アラベラ・エリオット」だそうで、おそらく祖母の名前「イヴァドニ」の愛称が「ヴァンティ」なのではないかということが判明した。どうやら祖父のファーストネームは作中では明かされていないようだ。なんて紛らわしい。(苦笑)
 追記および追記2に書いたコメントはすっかり勘違いということがわかったのだが、関係がややこしいので、今後読まれる方のために敢えて訂正しないでこのままとしておきます。お騒がせしました。ご指摘いただいた「通りすがりの者」さんもありがとうございました。
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