『脳には妙なクセがある』 池谷裕二 扶桑社新書

 著者は記憶を中心とした脳研究の専門家だが、最新の研究の成果をエッセイ風に分かりやすく説明した解説書には定評がある。目についたものは読むようにしているのだが、たとえば『進化しすぎた脳』や『単純な脳、複雑な「私」』(いずれも講談社ブルーバックス)、『脳はなにかと言い訳する』(新潮文庫)なんかは安価で手に取りやすいし読みやすいのでお奨め。本書は2012年に単行本として出たばかりなのだが、早くも新書化されたので本屋で見つけて即買いした。(よく分からないが、こんなに早く新書や文庫になるのは商売的にはどうなのだろうねえ。読む側からしたら有り難いけど。封切り映画が翌年にはテレビ放映されてしまうようなもので、買い控えにはつながらないのかな。)
 話を戻そう。これまでの本と同様に本書も雑誌やネットに発表した短めの文章を編集し直したもので、バラエティにとんだ話が章立てで沢山載っている。「はじめに」によれば著者の研究者としてのバックボーンは第11章/22章/26章とのことなので、その部分を中心に本書の内容をざっくりと自分なりにまとめてみよう。

 脳は神経組織が進化とともに特殊化したものであって、自己意識や抽象概念といった高度な機能もその延長上に生まれたもの ――という認識は、(宗教の観点を除けば)概ねコンセンサスがとれた内容ではないかと思う。そう考えると人間の脳だけが持つ機能も、生物が進化の過程で発達させてきた「外からの入力(感覚刺激)に対して適切かつ迅速な出力(行動)」を生み出すための機能がベースになっていることも容易に想像がつく。そして最近の脳研究の結果、それらの推論はやはり正しかったことが分かってきたそうだ。人間の脳はこれまで生物が生存のために生み出してきた機能を、実に巧妙に流用して高度な処理に用いているのだ。
 例えば社会的なモラルを侵されたときなどに感じる“嫌悪感”というものがある。これには何と「苦み」を感じるための脳回路が使われているそうだ。嫌な気分になると苦虫を潰したような顔になるのは、ちゃんと意味があったらしい。また疎外感を感じた時など感じる“胸の痛み”というものがある。この時には「前帯状皮質」が活発化しているのだが、まさにこの「前帯状皮質」というのは身体的な痛みを感じる部位でもあるらしい。脳は胸の痛みを本当に感じているというわけだ。ズキッとくる心臓あたりの疼痛は、もしかしたら心筋梗塞なんかと同じ痛みなのかなあ、などと考えてみたり。
 
 話は変わって、こんどは愉しい気持ちについて。嬉しい気分のときや楽しい光景をみたりすると、自然に顔がほころんで笑顔になる。では逆に、愉しくも無いのに無理やり笑顔の表情を作った場合はどうだろうか。驚いたことに、笑顔を作っただけで自然に愉しい気持ちになっていくそうなのだ。ニコニコしている子供をみると周囲の人も笑顔になるが、これは相手の顔を模倣することで自分も同じ感情になるという、共感の機能が働いているのだろうね。きっと群れを作ったり維持したりするためには有効なのだろうなあ。身体と脳の働きは従来考えられていた以上に密接に関係しているようなのだ。脳が神経組織の延長上にあることを実感させてくれる話だと思う。
 また「楽しさを表す単語」と「悲しさを表す単語」を混在させて被験者にみせる実験を行ってみる。すると笑顔を作った状態ではなんと、「楽しさを表す単語」の認識にかかる時間だけが短くなるとのこと。これにどういう意味があるのかはよく分からないが、表情によって何らかのフィルターが働くのは間違いないらしい。一方、嫌悪の表情を作った場合はどうか。その場合はまず視野が狭くなり、鼻腔も狭くなって知覚が低下するそう。つまり実際に感覚入力がシャットアウトされてしまうことになる。つまらない顔をしていると本当につまらない人間になってしまうなんてちょっとショック。これからは常ににこやかでいることを心がけたい。(笑)

 もうひとつこんな話もある。“自由意志”とは本人の錯覚にすぎず、実際の行動の大部分が環境や刺激により、あるいは普段の習慣によって引き起こされる身体的な「反射」に過ぎない。――こんなショッキングな結論も、厳密な実験によって明らかにされているらしい。
 当人は物事を熟慮して合理的かつ公平に判断していると思っていても、実はその人なりの「思考癖」によって無意識のうちに、入力情報の解釈や反応に偏向がもたらされる。それによって本人の意識とは無関係なところで決まった内容を、知らず知らずのうちに自らの意志として追認しているだけだというのだ。
 これは一見すると随分おそろしいことのような気がするが、実は著者はそうは考えていない。無意識の“自動判定装置”による反応は、あくまでも過去にその人が経験した出来事の記憶に依存している。従って“自動判定装置”が正しい反応をしてくれるには、過去によい経験をたくさんすればいい。そうすれば本人がいちいち考えなくても、自然に正しい反射行動がとれるのだそうだ。「よく生きる」ことは「よい経験をする」ことに他ならず、そうすれば「よい癖」がでるようになる。そして意識上の自分をあまり過信せず、謙虚な気持ちで暮らせばよいのだと著者はいう。

 またまた話は変わる。更にびっくりするような実験についても書かれている。どんな実験かというと、装置を使って被験者にボタンを好きなタイミングで押してもらうという簡単なものだ。しかしその時の脳の反応をみてみると驚くべきことがわかる。なんとボタンを押すという運動をつかさどる部位(「補足運動野」)が、実際にボタンが押される7秒前(平均)に活発化し始めるのだそうだ。これはどういう事かというと、自分の意志で「今ボタンを押そう!」と思ったときには、既に身体の方の準備は全て整っているというわけ。こんな話を読むと、「自由意志はよくできた幻覚」という著者の主張も納得できる気がする。(このエピソードについては『単純な脳、「複雑」な私』でも触れられている。)
 著者がこれらの知見をもとに、人間の脳が働く仕組みについて最終的にたてた仮説はつぎのとおりだ。

【一般的な生物の場合】
 生物は「身体感覚からの入力」を「脳で手際よく処理」して「適切な身体運動」を起こす。そしてその結果が身体感覚にフィードバックされてまた新たなサイクルの行動に移るという繰り返し。

【人間の場合】
 大脳新皮質が巨大化して主導権を握った結果、「身体感覚からの入力」を「適切な身体運動」に変換する仕組みを変化させた。脳は感覚器官による入力を演算してそのまま身体行動として出力するのではなく、出力をいったん入力に戻して、脳内でループ(内面化)させることを覚えたのだ。(例:本を読む際に声に出すのでなく、頭の中でだけ発音する。)そのように身体性を省略することで生まれたのが計算力や同情心、モラルといった機能。

 一見何の関係も見いだせない心理作用と行動に同じ脳回路が共用されていることから、おそらくこれらの異なる脳機能は系統発生的な根源を共有しているのではないか。一見高次で複雑に見える脳機能も、意外と単純な神経システムから「コオプト(CO-OPT)」(*)によって出来上がったのではないか。―― それが本書における著者の主張のポイント。だからこそ人は自分の心がどれほど身体や環境に支配・影響されているかをよく理解して、謙虚な心でよりよい経験を積んでいくことが大切なのだと著者は言う。

   *…本来は別の目的で機能していたツールを他の目的に転用すること。

 他にも「運動(身体)能力と勉強の関係」や「裏切った相手を罰することと脳の“報酬系”の関係」、「記憶保持の観点からみた効果的な勉強法」や「ひらめきと直感、あるいは論理的思考と推論的思考の違い」に「幽体離脱や神秘体験を生み出す脳部位」など、面白い話題が盛りだくさん。軽い語り口も読みやすく、ちょっと小腹がすいたときに食べるお菓子のような感覚のとても愉しい本だった。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

最新記事
カテゴリ
プロフィール

舞狂小鬼

Author:舞狂小鬼
サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

最新トラックバック
FC2カウンター
最新コメント
リンク
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR