『味覚の探究』 森枝卓士 中公文庫

 森枝卓士氏による食のエッセイ。ウィキペディアによると森枝氏は写真家・ジャーナリストとのことだが、自分にとってはあくまでも“食のエッセイスト”という位置づけ(笑)。本書は他の著作のように「カレー」とか「お菓子」といった個別テーマではなく、「食を追究するとはどういうことか?」をテーマに書かれている。
 氏のエッセイは例えば玉村豊男氏と同じくスタンスが一貫しているのが特徴で、その内容にも納得できるものが多い。たとえば第四章(「美味しい」を伝える)では、テレビや安手の雑誌にあるようないい加減な表現でお茶を濁すのでなく、本当に美味しい味をきちんと伝えるにはどうあるべきかについて真剣に悩む様子が書かれていたり。(個人的にはこの章が本書の白眉かな。)
 また「 『料理は愛情』といったレトリックは、『戦争に負けたのは、根性がなかったから』みたいなものだと思う」という文章にはすごく納得した。手作り料理の礼讃によって「家庭的で料理の上手い女性は魅力的」なんて発言も嫌だし、かといって愛情を免罪符にして調理技術の向上が無いのも面白くない。(もちろん誰かに喜んでもらおうと一生懸命料理の腕を磨くことの価値は否定しないけどね。)
 けっして愛情が無いから料理が下手なわけではないし、逆にマスターの性格が悪いのに料理は抜群に美味い店というのも残念ながらあるんだよねえ。前々から愛情と料理の腕前といった、尺度の違うものを合わせて論じようという姿勢に対してモヤモヤしたものを感じていたので、これだけはっきり言ってもらえるとむしろ気持ちが良い。
 「舌が肥える」ということについての話も興味深い。氏によれば、どんなものが「旨い(美味い)もの」かを説明する事はできないが、美味いものを食べ続けていれば不味いものに出会ったときすぐに分かるのだという。しかし逆に不味いものばかり食べていても、美味い物はわからないのだとも。また普通に食べ歩きをしているだけでは感じられないが、集中して同じもの(たとえばラーメン)を食べ歩くことで、味の微妙な違いが見えてくるらしい。
 違いが分かる事がすなわち幸せなこととは限らないとも書かれていて、さもありなんという気もする。これまで美味しく食べていたB級グルメが不味く感じられてしまったら、人生の楽しみがひとつ減ってしまうわけだものなあ。しかし一方では、あるレベルに達しないと愉しめない美味しさもあるとのこと。要するにどちらが上ということではなく、美味しさの質がそもそも違うのだとも。うーん、奥が深いね。

   *…もしかしたら本や映画や音楽といった創作物、いやあらゆる仕事の成果でもこれと
     同じことが言えるのではないだろうか。

 仕事の関係もあって食に関する本を見かけると手に取るようにしているのだが、中でも「食べる」ということ自体について書かれた本は読みごたえがあって好きだ。辺見庸氏の『もの食う人々』とか松本仁一氏の『アフリカを食べる』などと同じく、本書もちょっと真剣に「食べること」について考えることができて好かった。
(単に食い意地が張っているだけともいうが。/笑)
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

最新記事
カテゴリ
プロフィール

舞狂小鬼

Author:舞狂小鬼
サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

最新トラックバック
FC2カウンター
最新コメント
リンク
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR