『零度のエクリチュール』 ロラン・バルト みすず書房

 今回は本題に入る前に少し前置きが必要かも。本書に先立って、フランスの前衛的な文学運動〈ヌーヴォー・ロマン〉の旗手ロブ=グリエによる、『消しゴム』(光文社古典新訳文庫)という小説を読んだと思って頂きたい。その本自体は、ヘンテコな話をこよなく愛する人間として大変愉しく読んだのだが、ひとつ気になったのは解説の一文。『消しゴム』という作品は、フランスの批評家ロラン・バルトが主張した、“構造学的文学批評”の実践にあたるものだという趣旨の話が書いてあったのだ。
 解説によればそれは「人間的な主観性に汚染されない真っ白な無垢の文体」を理想とするとの事。分かったような分からないような定義だが、それをバルトが展開したのが本書「零度のエクリチュール」であるらしい。そして、そんな文章を書くのは実際には不可能であることを、実作者として知り尽くしているロブ=グリエが選んだのが本書『消しゴム』の手法。すなわち「既存の制度化された小説構造や文体を流用しながら微妙にずらしていく事で、小説を内部より解体する方法」だったとのことだ。
 そんなことを書かれたら、そもそもバルトの主張した「零度のエクリチュール」とはどんな概念なのか、すごく気になって仕方がない。しかも準備の良いことに、何故か我が家には当該書がすでに買って積んである(苦笑)。これは読むしかあるまい。いや、今を逃したら二度と読むチャンスは無いかも知れぬ。そんな固い決意で読み始めたというわけ。(笑)

 うん、予想以上に前置きが長くなってしまった。ではさっそく本書の中身について紹介を。
 本書にはふたつの評論が収録されている。まず前半が表題作でもある「零度のエクリチュール」であり、1953年に出版された著者の初めての著作らしい。そして後半は「記号学の原理」。これは「零度…」のおよそ10年後に書かれたもので、近代言語学の始祖ソスュール(ソシュール)の研究に則って、言語論とその延長上にある記号学(記号論)の概要を俯瞰したもの。読んでいくと前作「零度のエクリチュール」が構造主義に基づいた記号論の一視点で語られていたことがよく解り、前半部の補足的な意味合いもある。(*)ただし記号論を読んだことが無い方は今ではもっと分かりやすい入門書が沢山でているので、バルトの分かりにくい表現を無理して読む必要はないかも。そこで今回は前半部を中心に取り上げることにしたい。

   *…「記号学の原理」にはシニフィアン(能記)とシニフィエ(所記)、ラング(言語)
     とパロール(言)、シンタグム(統合)とシステム(体系・連合)といった、数十年
     前に記号論をかじった人間には懐かしい言葉が頻出する。内容も比較的入門的なもの
     であって、記号論のおさらいの意味では読んで良かった。

 とは書いたものの、バルトの文章はこれまでにもいくつか読んだが、どれも「文学的表現」に長けていて正直とっつきにくい。ぶっちゃけた話が回りくどくて修辞が多く、論旨が理解しにくいのだ。本書でも本題である「エクリチュール」自体の定義すらはっきりさせていないので、当初はかなり苦しんだ。(通常は仏語で「エクリチュール」といえば「書かれた文章が意味するもの」という意味合いだが、バルトは別の含みを持たせて使っている。従って出てくる箇所によって微妙に使われ方が違っていて、首尾一貫した意味になっていないようなのだ。)
 こうなったら、困ったときのウチダ先生(笑)。「内田樹の研究室ブログ」でバルトにおける「エクリチュール」の定義をすこしカンニングさせてもらった。以下はその内容の抜粋。

<内田樹研究室ブログの内容から>
 内田氏によれば、バルトは人間の言語活動を3つの層に分けて考察しており、いずれも個人では逃れがたいものだとしている。まずひとつ目が「ラング/langue」(本書では「言語体」と呼ばれている)。これは国語あるいは母語のことで、誰しもどこかの言語集団の子供として生まれる以上、そこで使われる言語を習得するしか選択の余地は無い。
 ふたつ目の層は「スティル/style」(本書では「文体」)。これは言語を使う上で現れる個人的な“偏り”のこと。その人自身に関わる文章の特徴や癖であって、文の長さやリズム、音韻、改行、余白の使い方といった諸々からなる。人により心理的・生理的な偏差があるのは当然なので、これもまた選択の余地がないもの。
 そして最後の三つ目が、本書のテーマでもある「エクリチュール/écriture」。これは「社会的に規定された言葉の使い方」の事だそうで、本人の社会的立場によって従うべき発話や語彙、イントネーションや感情表現、政治的イデオロギーといった種々の表明を意味する。(ちょっと違うかもしれないが、社会的地位の高い男性は“ヤンキー言葉”や“オネエことば”を使わないようなものなのかな?)
 我々に出来るのはどのエクリチュールを選ぶかという事だけであって、どのエクリチュールも選ばない(=どの社会的集団である事も表明しない)ことは不可能。また一度あるエクリチュールを選んだら、それに付随するあらゆる特徴からは逃れることは出来ないのだという。どうやら内田氏による解説を読む限りでは、バルトはエクリチュールを通常の「書き言葉」という意味ではなく、もっと一般的な言語活動の意味として使っているようだ。

 以上、バルトにおけるエクリチュールの定義が分かったところで(笑)、本書のテーマを簡単にまとめるならば、「政治や小説、もしくはある種の社会階級(例:ブルジョア)などに見られるエクリチュールの考察」といった感じになるだろうか。もっとも、それら様々なエクリチュールの中で特に詳しく述べられているのは、(当然のことながら)小説における「作家のエクリチュール」だが。
 バルト曰く、フランス語において小説家たちが現在形ではなく過去形を用いているのは、本来は作者の想像に過ぎない「物語」を「事実(≒歴史)」に見せかけるため、文に安定感をもたせているのだとか。また全般的に西洋の小説芸術では、作家自らが指し示そうとする事物(=テーマ)とともにそれを作り上げた自分の存在を、強くアピールしようとしているのだとも。(そしてそれに有効なのが「三人称」といった小説のエクリチュールなのだそうだ。)
 先に挙げたエクリチュールの定義からすれば、小説のエクリチュールとはその作家の社会的な立場に付随するもの。従って作家が何らかの立場をもつ以上は、「人間的な主観性に汚染されない真っ白な無垢の文体」というものも有り得ないということになる。
 そこで出てくるのがバルトの主張する「零度のエクリチュール」というわけ。それはエクリチュールの呪縛から逃れた「無垢」の状態のことなのだという。それは「非文体」であり「社会性から自由な口述的文体」でもあるそうだ。(付け加えると、後半の「記号学の原理」によれば「ゼロ度(零度)」というのはバルトの用語では「ないことが意味(記号作用)を持っていること」だそう。従って「零度のエクリチュール」には、あらゆる社会的しがらみから自由で純粋無垢な文章表現を積極的に目指す、という意味が込められているとも言える。)
 言い方を変えれば、「偏りがなく絶対的に均質な社会的状態の追求こそが、これからの作家が目指すべき方向である」というのが、本書におけるバルトの主張といって良いかもしれない。背景にあるのが、当時流行っていたサルトルやカミュといった実存主義の文学者による「純粋な人間存在」の追及。
 本書で著者が示したかったのは、そもそも「純粋な人間存在」など存在しない以上、それを理想とした「純粋な小説」も成り立たないという事ではなかったか。しかし小説(作家)が何らかのエクリチュールをまとわざるを得ない以上、「零度のエクリチュール」も決して辿り着けない理想であるというのも(おそらく)承知の上であって、その探求の過程こそが「文学のユートピア」であり新しい文学を生む源泉なのだ ――という主張もある意味頷けるものがある。

 以上、ざっくりと「零度のエクリチュール」とは何かについてまとめてみた。これを踏まえて今一度ロブ=グリエの『消しゴム』に戻ってみたところ、「人間的な主観性に汚染されない真っ白な無垢の文体」というのが何を意味するのか、分かった気がした。
 小説作品として読者に理解してもらうには、多かれ少なかれ小説の「約束事」を守らねばならない。しかしそれこそがエクリチュールであるとすれば、どんな表現を用いたとしても読み手に何らかの憶断を与えることになってしまう…。そこで実作者であるロブ=グリエの取った戦略は、『消しゴム』における「既存の制度化された小説構造や文体を流用しながら微妙にずらしていく事で、小説を内部より解体する方法」だったというわけだ。
 少しわかりにくいかな。えーと、乱暴な喩えをするなら、沢山のモンタージュ写真を合成して作った顔は平均化してしまって、特徴のないものになる事に近いかも。そしてその結果『消しゴム』に対してもった印象は、なんと「神話のよう」という事だった。個人のエクリチュールを極力排していく先に見えてくるのが神話だというのは、何となく納得できる気もする。
 そういえばバルトの著作には『神話作用』というのもあったけど、もしかしてそういう話なんだろうか。ちょっと気になってきたぞ。
うん、なんだか2冊の本の元は取れたような気はするな。(笑)

<追記>
 自分が今回読んだのは、みすず書房から出たハードカバー版だったが、他にはちくま学芸文庫からも『エクリチュールの零度』という題名で出ている。入手は多分そちらの方がしやすいかも。本書をこれから読もうという方のご参考まで。(ただし訳文の読みやすさについては知らないので悪しからず。/笑)
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