2013年8月の読了本

 今月は盆休みがあったおかげでたくさん読めた。たくさん本が読めると何となく体調まで良くなる気がする(単純/笑)。いつもこれくらい読めるといいんだけどねえ。

『リンウッド・テラスの心霊フィルム』 大槻ケンジ 角川文庫
  *筋肉少女帯のボーカリスト・大槻ケンジによる初詩集(歌詞集)。きちんと読んだのは
   初めてだったのだけれど、後になってから曲として発表された作品がかなり初期の段階
   で書かられていたことに驚く。オーケンは最初からオーケンだったんだねえ。
『レストレス・ドリーム』 笙野頼子 河出文庫
  *書名にある“レストレス”とは「落ち着かない」「休めない」「たえず動き続ける」の
   意味。― たしかにそんな題名がぴったりくるような悪夢の連作短篇集。個人的には、
   筒井康隆著『驚愕の曠野』/安倍公房著『カンガルー・ノート』と合わせて、三大悪夢
   小説と名付けたい。悪夢を何かのテーマや手段にしているのでなく、悪夢を素材のまま
   ごろりと放り出したような感触。そんな小説。(実はそれが社会で女性の感じる閉塞感
   や焦燥感にもつながるものだったりも。)
『江戸の妖怪革命』 香川雅信 角川文庫
  *古くは『今昔物語』などにも書かれた怪異伝承は、近世になって大きな変貌をとげた。
   本書はその経緯について、(なんと)フーコーの「アルケオロジー/知の考古学」の
   手法をつかって分析していこうというもの。なお、あとがきによれば2005年に河出書房
   新社からでた同題の本を2章分削除のうえ、一部追加と修正を加えたものらしい。
   “改訂新版”のような感じかな。
   具体的には、江戸時代(18世紀)になると博物学の発達とともに、それまで姿かたちが
   無かった(=ビジュアライズされていなかった)「化け物」が、鳥山石燕の『図説百鬼
   夜行』などを契機に一気にカタログ化。それは同時に“表象化”“記号化”する事でも
   あり、やがてキャラクター化とともに庶民の娯楽として普及していったという事のよう
   だ。妖怪好きなら一度目を通しておくといいかも。
『どら焼きの丸かじり』 東海林さだお 文春文庫
  *いつものショージ君丸かじりシリーズの一冊。文庫落ちするとつい手に取ってしまう。
『古きものたちの墓』 ラムジー・キャンベル他 扶桑社ミステリー
  *副題は「クトゥルフ神話への招待」。H・P・ラヴクラフトが創始した“コズミック・
   ホラー”の体系であるクトゥルフ神話に則り、後年の作家によって新たに書かれた
   短篇を集めたもの。ラムジー・キャンベル/コリン・ウィルソン/ブライアン・ラム
   レイの3人の作家による4篇が収められている。
   特に好きだったのはキャンベルの「湖畔の住人」とラムレイの「けがれ」だが、ウィル
   ソンによる表題作もかなりの力作で面白い。表題作は本書中で最も長く、本家の「狂気
   の山脈にて」という短篇をベースにしてメタフィクションめいた仕掛けもある作品。
   後半の「遊星からの物体X」を思わせるくだりなどはかなり愉しめた。ただしリアルさ
   を追及しようとして盛り込んだオカルト系のネタの幾つかが、今からするとちょっと
   トンデモ系だったりして苦しいところも。一種の“問題作”といえるかも知れないね。
『一目小僧その他』 柳田国男 角川ソフィア文庫
  *日本民俗学の創始者による妖怪についての考察を集めた本。すでに何かの機会に聞いた
   事のある内容が多かった。柳田は「おばけ」の類を基本的に「零落した昔の神」である
   としている。たとえば一つ目小僧の由来では、神への生贄にする人が逃げられないよう
   にするため、片目を潰し片足を折る風習があったとの仮説を立てる。(根拠はよく分か
   らなかった。)そして殺されて神の眷属になった者たちが一目であったが故、いつの間
   にか一つ目小僧の伝承へと変わっていったのだと。(これなどは諸星大二郎のマンガの
   ネタで使われていた。)
   一つ目の由来を隻眼であるとするのは柳田のオリジナルなのかな? 他にも神が木の枝
   で片目を突かれたという伝承を始め、全国各地につたわる片目の鯉や蛇、はては武田の
   軍師・山本勘介や鎌倉権五郎まで引き合いに出しておびただしい例証を挙げているが、
   (本人も仮説と断っているように)残念ながら納得できるだけの根拠が無い。少し前の
   民俗学の本を読むと、このような感じで「あれ?」と思う説が割とよくある気がする。
『母の発達』 笙野頼子 河出文庫
  *子供の頃から、近代的・進歩的な価値観をもつ(そしておそらく性格障害を持った?)
   母親によって抑圧され、“毀れて”しまった娘「ダキナミ・ヤツノ」。彼女によって
   殺され再生されやがて共犯となった母親と、ヤツノにより繰り広げられる驚天動地の
   物語。「母の縮小」「母の発達」「母の大回転音頭」という3篇の連作短篇が収録され
   ている。本書におけるヤツノの境遇の悲惨さと“毀れ方”も尋常ではないが、対する
   母のデタラメぶりもすごい(←褒め言葉)。全体を通じて追及されるものは、がんじが
   らめになった「母」という存在と言葉がもつイメージの解体といえる。本書を読んだ
   女性がことごとく爽快感を味わったというのは何となくわかる気が。
   それにしてもやたら出てくる三重県人についての特徴には笑った。たとえば「三重県人
   は一般に温厚で八方美人だと言われている。(中略)三重県では常に人間は相手を思い
   やっていなければならないのだ」など、本当なんだろうか?何処までがネタなのか皆目
   見当がつかない。(笑)
『審判』 カフカ 角川文庫
  *不条理文学で有名な著者の代表作のひとつ。本書を読んでいるうち、「不条理」とは
   外部から本人に到来する状況のうち、本人が理解・納得できないものを指すのではない
   かと思えてきた。いわば生きている事自体がそもそも「不条理」の連続なのかも。
『宇宙創世記ロボットの旅』 スタニスワフ・レム ハヤカワ文庫
  *ポーランドの国民的なSF作家レムによる寓話にして、同じ著者の「泰平ヨン」のシリ
   ーズにも似た味わいのユーモア作品。中世に模した宇宙を舞台に、遥か昔に二人組の
   “宙道士”のトルルとクラパウチュスが繰り広げる旅の記録。第一の旅から第七の旅に
    加え、番外の旅2篇を加えた全9篇からなる。
   数十年ぶりに読み返したら、こんなに読みやすく愉しい物語だったかと驚いた。どれも
   面白いが特に気に入ったのは、量子力学ならぬ“竜子力学”が愉しい「竜の存在確率論
    ―第三の旅―」と、秘策“お役所仕事”を駆使して鋼眼機族の窮地を救うトルルの活躍
   を描いた「コンサルタント・トルルの腕前 ―番外の旅―」。それにマックスウェルの悪
   魔が二人の窮地を救う「盗賊『馬面』氏の高望み」の3篇あたり。吉上昭三・村手義治
   の両氏による凝りに凝った訳語も素晴らしい。こんな愉しい本がなんで品切れなんだろ
   うねえ。勿体ない。
『解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯』 ウェンディ・ムーア 河出文庫
  *18世紀ロンドンで活躍した天才外科医の評伝。彼自身ドリトル先生のモデルになったと
   も、彼の住む邸宅がジキル博士とハイド氏のモデルになったとも言われ、近代医学の礎
   を築いた人物にも関わらず、毀誉褒貶が著しい人物のようだ。本人が破天荒な人物な
   だけに評伝も面白い。18世紀の常識にとらわれない自由人だった彼は、過去からの因習
   にとらわれた当時の医学界と衝突を繰り返し、歯に衣着せぬもの言いは敵を多く作った。
   しかし後進の指導に熱心に取り組みことで医学教育にも革新を呼び、若い医学生たちに
   は慕われたようだ。(種痘で有名なジェンナーも弟子のひとり。)ちなみに墓碑銘には
   「科学的外科の創始者」とあるそうな。あくなき探究心をもつ彼は動物の解剖や標本に
   も興味を示し、解剖学を通じて「あらゆる生き物に共通する基本原則」を追求して博物
   学の面でも活躍。クック船長によるエンデヴァー号の航海にも関係していたらしい。
   本書を読むまで、こんなすごい人物とは知らなかった。
   なお気になったところがひとつ。本書は「ノンフィクション」となっているが、その割
   にはハンターやその周辺の人々の心理描写や当時の街の風景が、まるでその場に同席し
   ていたかのように描かれている。これってノンフィクションの手法としてはどうなのだ
   ろう。伝記や歴史小説の手法についてあまり深く考えたことが無かったが、一般的なの
   だろうか?
『現れる存在』 アンディ・クラーク NTT出版
  *認知科学の記念碑的な著作。認知科学は進歩が速い研究分野なので、1997年に書かれた
   本書の中には、今日ではすでに旧聞に属する内容も含まれていると思う。(もしくは既
   に当たり前になってしまっている内容というか。)生物のように「一見非常に乱雑で非
   直感的なシステム」をモデル化し、理解するというのが目的であり、そのためには医学
   に生理学やロボット工学、シミュレーションに哲学まで幅広いジャンルからのアプロー
   チが必要となる。その意味であらゆる関連分野の97年当時の状況を包括した本書は、
   ウィーナーの『サイバネティクス』と同様いつまでも色あせない本として繰り返し手に
   取られるのではないだろうか。
『市に虎声あらん』 フィレップ・K・ディック 平凡社
  *本当は文学作家になりたかったディックが、初めて書いた幻の長篇普通小説。結局どこ
   の出版社にも売れず、でたのはSF作家として有名になってからという曰くつきの作品
   らしい。山形浩生氏も書いているように「ディックの原石」ともいうべき異様なパワー
   を持つ怪作だった。
   自意識ばかり強いくせ自分は何をすべきなのか分からない主人公を始め、マッチョで
   粗暴な差別主義者の白人実業家に、主人公が勤めるラジオ店の典型的な俗物店主。はた
   また終末思想に染まった新興宗教にはまる花屋の店員に、その宗教の黒人教祖など、
   出てくるキャラはダメキャラのオンパレード。(後に彼が書いたSF作品の人物たちの
   造形にそっくり。)そんな彼らが500ページもの長さに亘って延々と鬱々したドラマを
   繰り広げるのだから、読むのがちょっとしんどかった。「ディックだから」という理由
   で買って読んだのだが、おそらくディックでなければ読まなかっただろう作品。しかし
   それでいて「ああディックらしい」と思ってそれなりに満足している自分も可笑しい。
   小説として好みかといえば決してそうではないが、それもひっくるめて面白がっている
   という、倒錯した愉しみ方に近いかな(笑)。ディックが本来書きたかったものがこれ
   なのだとしたら、読者としての勝手な立場から言わせてもらえば彼はやはりSF作家であ
   って良かったのだと思う。でれでも多かれ少なかれそうだが、自分のしたい事とやれる
   事って違うよねえ。
   それにしても題名を始めとする古色蒼然とした言葉が本文中にもあちこち出てくるのが
   謎。原文もそんな感じなんだろうか。因みに題名は親鸞の『教行信証』の中で、最澄に
   より書かれたとされる『末法燈明記』(偽撰?)に記された次の言葉が元。
   「末法の世には既に戒法が廃れきっているから、かかる無戒の世に持戒を唱えても意味
   がなく、かえって町中を虎がうろつくようなもので、誰が信じよう。剃髪、染衣だけの
   名ばかりの無戒僧(名字僧)こそ、世の導師にふさらしい」
   原題は“Voices from the Street“であって、さしずめ『雑踏からの声』ぐらいの
   意味か。ちょっと凝り過ぎではないかな?
『夢幻諸島から』 クリストファー・プリースト 早川書房
  *著者が長年に亘って書き継いできた「夢幻諸島(ドリーム・アーキペラゴ)」のシリ
   ーズ。渾身の傑作長編。どことも知れぬ星の上、南北2大陸の間に広がるミッドウェー
   海に点在する島々を舞台に様々な物語が展開する。ガイドブックの構成をとっていて、
   著者一流の語り/騙りのうまさには、相も変わらず唸らせられる。これは傑作。
『時を生きる種族』 R・F・ヤング他 創元SF文庫
  *気鋭のアンソロジスト中村融氏による時間SFのアンソロジー。あまり知られていない
   往年の名作を発掘して紹介するシリーズの1冊で、今回も安定して面白かった。中でも
   自分の好みはマイケル・ムアコックの表題作「時を生きる種族」、ミルドレッド・クリ
   ンガーマン「緑のベルベットの外套を買った日」、T・L・シャーレッド「努力」あたり
   か。特に巻末の中篇「努力」は素晴らしい。世界を変えようとする理想肌の人々の努力
   とその結末を描いた力作。こういうの好きだなあ。(何となくS・スタージョンの中篇
   「雷鳴と薔薇」を思い出した。)
『カミとヒトの解剖学』 養老孟司 ちくま学芸文庫
  *1988年から1991年にかけて季刊『仏教』に連載された「宗教の解剖学」を中心に、
   関連するテーマの文章を集めたもの。当時流行った「大霊界」の話など少し話題が
   古いところもあるが、臨死体験や死、霊魂(キリスト教における心身二元論)や仏教
   思想に禅など、西洋発祥の自然科学とは(一見)相いれないものについて著者が思う
   ところを、軽妙洒脱な語り口で存分に語っている。(ただし書かれている内容が簡単
   というわけでは無いので悪しからず。)
   取り上げられているテーマは様々で、たとえば「宗教体験が脳のどこで生じ、宗教が
   どのように進化してきたのか」とか「生物の“死”とはいつの瞬間をいうのか」といっ
   たもの。あるいは「日本における“神気”とは何か」や「(おそらく禅から発祥した)
   その思想がいかに日本人の価値観を規定してきたか」など、脈絡があると言えばあるが
   無いと言えば無い。なかでも言語がもつ情報を保存するために、最適な形式として発明
   されたのが「言行録」であったという仮説は面白かった。(だからこそイエスや釈迦や
   孔子といった人々が「喋ったこと」として記録にのこり、やがてそれが「古典」となっ
   ていったという指摘は斬新。本当にその人自身が語ったかどうかはどちらでもよくて、
   大事なのは「その人が語った」とされた事だけというわけだ。
   また幼い子供の頃に接した思想(例えばヨーロッパ人ならキリスト教、日本人なら仏教)
   が、本人も知らぬうちにア・プリオリ/先験的にその人の考え方の基本になるという指摘
   も。これは素直に実感として納得できる気がするな。また阿含経の教えによれば「苦」と
   いうのは〔自己の欲するままにならぬこと〕あるいは〔思い通りにならぬこと〕なのだ
   とか。まとまりが無い本だといえば確かにそうかもしれない。でも逆に言えば考えるタネ
   の宝庫とも言えるので、ふとした拍子に自分なりのヒントに出来るのならば、それが一番
   本書の読み方として似合っているのではなかろうか。
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