『アバター』 監督:ジェイムズ・キャメロン

 **注意!!ネタバレしてます これから見る人はそのつもりで!!**

 良かれ悪しかれ典型的なハリウッド映画の筋運びと、それに馴染まない過剰な情報の盛り込みと、2つの面が複雑に絡み合って好悪入り混じっているので総合評価はパス。好いところだけ見ると、まずは色々な深読みができて楽しめるところか。
1)生物学的なネタ
 ひとつの惑星の生態系をそれなりにリアリティがある形に作りこんだこと。
 おそらく最初は単純に「ネット社会という人工的な仕組みが、もしも自然進化で発生していたら?」というあたりの発想だったと思うが、それをよく練りこんで、単なる「設定」に終わらせないでストーリーに有機的に絡めたのは感心。共通の祖先から発達した生物同士で、直接に生体ソケットをつないで電気信号により意思を伝達できるのがスゴイ。(種が異なるほどに違う生き物間でもいわゆる“OS”が共通!というところにリアリティを感じられるかどうかがひとつの境目だが...。それともラブロックの「ガイア仮説」をイメージしているんだろうか?)
2)人類学的なネタ
 そのような生態系で暮らす“人類(高等生物)”はどんな生命感・文化をもつようになるか?という観点で、アイデアを膨らませている。そこで持ってきたアイデアは、「一神教」「科学万能主義」「植民地主義」「パワーポリティクス」といった西洋的価値観に対して「多神教(というよりシャーマニズム的な自然宗教)」「自然共生(エコロジー)思想」「自覚的な原始社会(=レヴィ・ストロースのいう“冷たい社会”)」といった第三世界的な価値観をぶつけるというもの。他にも「異人/まれびと(by折口信人)としての英雄」「葬送儀礼」「成人儀礼」など、文化人類学や民俗学、神話学などから拝借してきたアイデアが満載。惑星の名前が“パンドラ”と名づけられているのも、ラスト主人公たちが満身創痍になって最後に残るのが“希望”という風にもとれるし、他にも色々と意味深な名前で面白い。
3)哲学的なネタ
 足が不自由な主人公が、アバターとコンタクトしている時には一般人よりもかえって格段に身体能力を高めることができ、通常に戻った時との対比によって「身体と意識」というまるでメルロ=ポンティみたいな問題意識を提示してくれる。
 などなど、まだよく考えると他にも出てきそう。
 もちろんハリウッド映画としての娯楽においては、惑星の「原住民」であるナビ達を排除しようとする人類とナビ達との戦いや、映画『エイリアン』(一作目)から一種のお約束になった感がある“巨大ロボットとの一騎打ち”など、盛りだくさんのアクションシーン満載で充分に楽しめる。
 逆に悪い(感心しない)点としては、例えば次のようなご都合主義的な部分が目につくところ。
1.異なる惑星生物と地球人類との間でDNAを混交できること。
2.好意や嫌悪感を示す際の表情や身振り、ボディーランゲージの類があまりに人類と同じであること。
  (この点では、まだ『E.T.』の方が極力無表情に徹した分、不自然さが感じられなかった。)
3.文明が悪で未開社会は無垢(善)というあまりに単純な善悪二元論。
4.あれだけ様々な問題提起をしながら、最後に「悪い人類を追い出しました、目出度し目出度し」で唐突に終わってしまう。
 ホームツリーや家族などかけがえのないものが多く失われた残されたもの達の心の再生や、その後の地球との政治的決着など問題はまだ山積みのはず。(アーシュラ・K・ル=グィンならここまでがプロローグで本当の物語はこれから始まるくらいかも?) あれで終わってしまうというのは、途中楽しめただけに如何なものか。部族の長や戦士など後でもめそうな人物が全て死んでいなくなってしまうのも、ご都合主義的でちょっと。
 でも逆に考えると、ハリウッドビジネスの制約の中で、娯楽大作として成功しながら更にこれだけの内容を入れ込んだというのは、やっぱりキャメロンはスゴイ監督なのだろうね。
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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