『聖母マリア崇拝の謎』 山形孝夫 河出ブックス

 著者の山形孝夫氏は宗教人類学者。原始キリスト教を中心とした研究が専門で、『治癒神イエスの誕生』(ちくま学芸文庫)や日本エッセイストクラブ賞を受賞した『砂漠の修道院』(平凡社ライブラリー)などの面白本を書いている。本書は聖母マリアに焦点をあて、現在も世界各地に広がるマリア信仰について二部構成で書いたものだ。
 我々がキリスト教の教義といわれてすぐ思いつくのは、絶対的な“父なる神”とその子イエスに聖霊という、「三位一体」のイメージではないだろうか。これはカトリックやプロテスタントに限らずキリスト教に共通のものであって、この点が同じ神を信仰するユダヤ教やイスラム教との最も大きな違いといって良いほど。
 しかし本書によれば、公式的な「三位一体」の教義のその陰で、実はもうひとつの信仰が連綿と続いているらしい。それが本書のテーマである聖母マリアを対象にしたものというわけ。具体的には「ノートルダム大聖堂(“我らの貴婦人”の意)」に代表される立派な建築物だけでなく、異教の気配すら漂う「黒いマリア像」に、今も各地で目撃される「マリア顕現」といった神秘体験まで種々さまざま。著者は「黒いマリア」や「マリア顕現」といった “公式なキリスト教”を見ているだけでは出てこない、教祖も教理ももたない信仰の事を「見えない宗教(*)」と名付け、その起源について民族誌的な検討を試みている。

   *…なにしろカトリックの公式見解では、マリアはあくまで「崇敬(すうけい)」の
     対象でしかなく、「崇拝(すうはい)」」するものではない。イエスを生んだ
     「神の母」ではあっても、所詮はただの「人間」でしかないからだ。しかし実際の
     ところ人々は、マリアを“神”と同様に「崇拝」しているのが実態といえる。

 ではマリア信仰の源は一体どこにあるのだろうか? 本書ではいくつかの仮説を挙げていて、そのひとつが古代オリエントの地母神信仰。第一部は「聖母マリアの源流を探る」と題し、著者によりベドウィン族に伝わる祝婚歌から始まる旧約聖書『雅歌』研究の状況や、さらにはその元となる“ウガリット神話”などが紹介される。
 ちなみにウガリット神話とは紀元前数千年にシリア周辺の都市国家で信仰されていた多神教の神話体系で、ユダヤ教により徹底的に弾圧され地上から消滅したとされるものだそう。名前のみ伝えられその中身については長らく不明とされてきたが、近年発掘された碑文の解読によりその全貌が明らかになった。それによれば神話の主神であるバァールは、旧約聖書のヤハウェ神にも共通する雷雲と嵐の性格をもつ神らしい。また死の神モートとの戦いに敗れて死んだバァールが、モートを打ち破った「神の花嫁」アナトによって冥界から連れ戻されるという、エジプトのオシリス神話にも似た死と復活のエピソードもある。(これは毎年冬になると草木が枯れ、春になるとまた復活するという、農耕文化に特徴的な再生原理の神話でもある。)なおウガリット神話の女神アナトは地中海文明のアフロディテやエジプトの女神イシス、シリアにおけるアシュタロテなどと共通する存在と考えていいようだ。

 このようにフェニキア近辺で農耕民に広く信じられていたウガリット神話が、どのようにしてヤハウェに取って代わられたのだろうか。それは本書第一部のラストにあたる“間奏”に詳しく説明されている。
 モーセによる出エジプトに始まったユダヤの民の「約束の地」をもとめる旅は、後継者ヨシュアに引き継がれてカナンに達し、そこに住む人々への侵攻という形をとった。ヨシュアに率いられたユダヤの十二部族はヤハウェ神への極めて強固な信仰で結束し、無類の強さを誇ったようだ。和睦を申し入れてきた敵(=カナンの人々)は奴隷とし、抵抗するものは「ひとり残らず息を止め、家に火を放って焼き払い、町中を焼け野原にした」と『ヨシュア記』にはあるらしい。(まだ読んでないから受け売りだけど^^;)
 こうしてユダヤの軍事・宗教連合はカナン全土を征服し、自分たちの領土として念願の「シャーローム(平和)」を築くことが出来た。しかし年月を経て新世代の若者が増え、カナンの土着の人々との婚姻によって混淆が深まるにつれ状況が変わっていった。バァール信仰がユダヤ人に浸透するにつれ、唯一神への絶対的な信仰に基づく強固な結束が緩み始めたのだ。一枚岩でなくなった宗教連合は脆い。結果、イスラエル王国を構成していた軍事・宗教連合は瓦解し、王国は南北ふたつに分裂するという事態にいたる。そしてそれに乗じた周辺諸国の暗躍により、ユダヤ人により建設された国家は滅亡への第一歩を踏み出すことに...。
 こうして世が乱れてくると宗教的な原理主義が幅を利かすようになるのは、いつの時代も同じ事のようだ。フェニキアのバァール神殿の神官の娘イゼベルを王妃に向かえ、自らもバァール信仰に鞍替えした北イスラエルのアハブ王。当時のユダヤ教の預言者であったエリヤは王を強く糾弾して対決姿勢を鮮明にし、バァール主義者との激烈な闘争にのめり込んでいった。こうした経緯でもってバァール信仰は徹底的に歴史から抹殺されていくことになったということらしい。違う言い方をすれば、カナンに古くから伝わる大地母神を基礎とした緩やかな農耕文化と、一つ判断を誤ると命を落としかねない過酷な環境である砂漠に育った文化とのぶつかり合いといえるのかもしれない。

 さて、続く第二部はガラリと話題が変わり、「聖母マリアとマグダラのマリア」という題名のとおり、マリア信仰そのものに関する考察へと進んでいく。
 第二部の冒頭に掲げられているのは、1945年にローマカトリックの教皇ピオ十二世が、聖母マリアに関して行ったラジオ放送のセリフ。ピオ十二世はこの放送で聖母マリアについて「“無原罪の御孕り(処女懐胎)”によってイエスを身ごもり“神の母”となった。そしてそのことによって地上での生涯を終えたあとは、最後の審判を待つことなく直ちに不死性を獲得し天に召された」という趣旨の、教団として正式見解を示したのだそうだ。
 異教徒である自分からすればいまいちピンとこない話なのだが、意味するところは極めて重要。実はかのラジオ放送は、ローマが長年にわたり難問としてきた「マリアの神的性格」に関して決着をつけた声明であったのだとか。
 この声明によってはっきりしたのは、聖母マリアが単に「神によって選ばれイエスを生んだただの人間」でしかないのか、それとも「神の母」という特別な存在のどちらであるのかということ。単なる人間であれば「崇敬(すうけい)」はすれども決して「崇拝(すうはい)」の対象としてはならない。もしも民衆がマリアを「崇拝」することがあれば、教団としてはそれを徹底的に糾弾する立場をとる。しかしこの放送で教皇がマリアを特別な存在であると認めたことにより、(教会の公式見解はあくまで「マリア崇敬」でしかないにせよ)民衆がマリアを“神”として「崇拝」する事を、事実上黙認する形になったというわけだ。

 話は少し変わるが、自分はこれまで聖母マリアについて理解不足というか、どのように扱えば良いのか今ひとつ決めかねるところがあった。しかし本書を読んで、マリアを扱うことの難しさがどこにあったのかについて、非常に良く理解できた。自分の中での聖母マリアに対するスタンスの曖昧さは、そのままキリスト教団内での位置付けの不安定さに直結するものだったわけだ。第二部にはその顛末が事細かく説明されているが、例えば次のような感じ。
 皇帝コンスタンティヌスは325年のニカイア公会議において、イエスと神を一体であるとするアタナシウス派とイエスの神性を否定するアリウス派の論争を投票(!)によって結着させた。その結果、アリウスの「父子異体」説には異端という結論が下されたが、この知らせを聞いた民衆は狂喜した。なぜなら聖母マリアは「“神の母”であるが故、神にも等しい存在である」とローマが認めたようなものだから。しかし実際には教団としてはヤハウェの神を唯一絶対とする立場を固持しているわけだから、公式にこれを認めることは有りえない。こうしてキリスト教の教義には、設立当初から大きな矛盾が組み込まれることとなった。聖母マリアを巡る「難問」はこの瞬間に始まったと言ってもいいだろう。(**)
 しかしその後も何度となくローマの判断は揺れ動き、そのたびにマリアやイコンの扱いも二転三転する事となった。例えば異端弾圧と魔女狩りが盛んだった12~15世紀には、女性であるが故マリアへの聖性は概ね否定的だったようだ。しかし下火となっていたマリア崇拝の情熱は、16世紀になってイエスズ会という宗教改革反動派が登場するに至り、再び燃え上がることに。彼らイエスズ会所属の伝道師たちは聖母マリアへの熱い思いを胸に、キリスト教を世界中に広めるために旅立っていった。本書によれば、聖母マリア信仰がキリスト教の教義から外れるにも関わらず世界中に広まったのは、これが大きな理由という事らしい。

  **…なおルターの宗教改革に始まるプロテスタントにおいては、「聖書に書かれている
     こと」のみが真実であり信仰の対象。従って新約聖書の中の『ルカ福音書』に描か
     れたマリアこそが全てという事になる。それによればマリアは崇拝どころか崇敬の
     対象ですらなく、単に神の恩寵によってイエスを身ごもりこの世に生み出した
     「ただの人間」に過ぎないことになる。プロテスタントはドライなのだ。(笑)

 またまた話は変わる。本書後半では一章を割いて、ヨーロッパ各地に古くから伝わる「黒いマリア」の像についての考察が述べられている。「黒いマリア」とは、ヨーロッパ全土で熱心な信仰の対象となってきたにも関わらず、正統派のキリスト教からは無視されてきた異様な風貌のマリア像のことだ。本章ではその正体について「マグダラのマリア」「古代オリエントの大地母神」「ケルトの地母神」という3つの仮説を紹介している。
 細かな説明は省くが、これらの仮説を通して見えてくるのは驚きの結論。なんと原始キリスト教団に内包された激しい男性主義の姿なのだ。イエス復活の第一目撃者ともされるマグダラのマリアは、明白な根拠もないのに「罪深い女」「売春婦」というレッテルをはられ貶められた。『ピリポ福音書』などの外典では、イエスがいかに彼女を信頼し後継者としての望みを託していたかが描かれているにも関わらずである。そして男性主義的な言動が著しい使徒ペトロから激しく糾弾される彼女の姿を描いた『マグダラのマリアによる福音書』は、カトリック教会によって異端文書とされ歴史から消えて行った。
 古代オリエントやケルトの地母神についても同じようなことが言える。ヨーロッパの古層から立ち上がってくる「女性原理」は、教皇を頂点とした男性主義の教団が必死に否定しようと躍起になってきたものだ。ユダヤ教の成立時にまで遡る男性中心の社会制度と、それを維持強化しようとした男たち。そして社会的な差別を受ける女性たちの構図にはキリスト教の闇の部分が見え隠れしているようだ。
 続いて語られる「聖母マリアの顕現」でも同じようなことが言える。著者は世界各地で今も出現し続けている“奇蹟”として、マルタ共和国のギルゲンティの例を取り上げている。そこは何とかつての魔女狩りの舞台であり、地元では長らく不吉な場所として忌避されてきたのだという。それが現在ではマリア信仰の中心地になっていることに、著者は(魔女として)断罪され封印されてきた古代の豊穣な女性原理の、現代への秘かな復活を見るのだ。

 ふう、話がややこしくなってきたので、ここまでの事を今一度まとめてみよう。
 本書を通じて見えてきたのは、マリア崇拝に関してこれまで自分が感じてきた「わけのわからなさ」の正体だったと言えるだろう。それは結局のところ、教祖(イエス)亡き後に乱立した様々な教義の解釈を巡る争いと、それによって引き起こされた正統と異端の作為的な線引き、そして教団により隠ぺいされた「不都合な真実」によるものだったというわけだ。
 しかしそれにも関わらず、庶民の心の奥底には、オリエントやケルトの地母神にまで源流を辿ることが出来る「女性原理」が今も脈々と息づいていて、聖母マリアへの信仰を通じて新たな命を吹き込まれようとしている...。
 うーん、最後はまるでリーアン・アイスラーの『聖杯と剣』を地で行くような壮大な話だった。なんかすごい。今回は色々と考えさせられて、大当たりの本だったな。

<追記>
 故・若桑みどり氏の本からの孫引きになるが、本書の中によい話があったのでご紹介を。フランシスコ・ザビエルによって日本に伝えられたキリスト教が、僅か30年という短い期間で急速に民衆の間に広まった背景にも、実はマリア信仰があったようだ。古代から中世にかけてのヨーロッパにおけるマリア像は、幼子イエスを胸に抱いた<悦びのマリア>が主流だった。しかし何故だかそれが15世紀ごろを境にして変わり、磔刑に架けられたイエスの遺体を膝に抱きかかえる<悲しみの母>へと大きく転換したのだそう。ザビエルがイコンとして日本に持ち込んだのは、そのような我が子を失った悲しみにくれるマリアの姿だったのだ。
 農村で貧困に苦しみ、産んだばかりの我が子を間引きせざるを得ない当時の女性たち。徹底した男尊女卑の社会において夫の横暴に耐え続けた女性たちに、マリア信仰に基づくイエスズ会の教えが浸透していったのは、当然のことであったろうとの事。なるほどなあ。
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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