『世界の果ての庭』 西崎憲 創元SF文庫

 本書は「第14回日本ファンタジーノベル大賞」の大賞を受賞した作品でありながら、入手困難となっていたもの。今回めでたく文庫化されたので、すかさず購入して読んでみた。

 小説には読んだ後に、ああでもないこうでもないと分析するのが愉しい本と、ただ好きなところだけを語りたい本がある。たいていはこれら二つの要素が入り混じるのだが、西崎氏の作品はどうやら自分の場合、後者の割合の方が強いように思える。
 例えば家電量販店で売っているテレビを考えてみよう。機能や性能、それに重量や寸法といった数字で表せる特徴については、カタログ等で存分に調べたり比較することが出来る。しかし画質や音の良さをいくら数字で語っても、店頭で実物を見ないと理解はできないだろう。好き嫌いとはそういうもの。それを小説の「文学成分」と呼んでもいいかも知れない。言葉によって指し示すことが出来ない価値を、陰画のように浮かびあがらせる手法こそが文学。語り得ぬもののために文学があるとしたら、西崎氏の物語はエンタテイメントであるとともにまさしく本来の意味での「文学」と言って差し支えないのではあるまいか。
 本書は「ショートストーリーズ」という副題からもわかるように、独立した六つの短篇が細かなパートに分割された上、互い違いに組み合わされて同時進行していく構成をとっている。短いパートではときに、それが六つのうちどの物語なのかすらはっきりしなかったりも。そういった断章はまるで裸のまま、目の前にごろりと投げ出されたもののようにも見える。いうなれば語り手の素性も性別も、そして現実と幻想の区別さえない“なま”の物語。あるいは散りばめられた言葉によって作られるモザイク画といっていいかも知れない。
 収録されている物語はどれも印象的なものばかりではあるが、とりわけ異色といえるのは江戸時代に実在した皆川淇園(きえん)、富士谷成章(なりあきら)とその子息である御杖(みつえ)という3名の学者の系譜の物語。国学者であったり歌の専門家であったりした彼らの、言葉や詩歌に対する考えを淡々と語ることにより、作者は本書が依って立つものを暗示しているようにもみえる。「物語」としては評価が分かれる短篇かも知れないが、少なくとも自分にはこのパートが本書に一本筋を通しているような印象をもった。
 ちなみに本書における六つの物語とは次のようなものだ。

  1.リコというひとりの作家と、彼女が出会った不思議な詩。そしてスマイスという
    アメリカ人との物語。3.と並んで本書の中では「現実感」に溢れ、最も一般小説
    らしい。
  2.リコが書いている小説「寒い夏」の中の世界。“次第に若くなる病気”になって
    失踪先から帰ってきた母親とその家族を巡る物語。
  3.リコのかつての同級生で、今は大学の研究室を馘首になった女性による、英国庭園
    に関する記憶と考察。
  4.江戸の本所付近に出没する人斬りと、職場の嫌われ者の加納主計(かずえ)が登場
    する時代小説。
  5.戦争中にビルマの収容所から脱走した日本兵が、どことも知れぬ不思議な世界で
    体験する実存と「影」の物語
  6.江戸の学者、淇園・成章・御杖の伝記と思想を紹介するパート

 以上6つの短い物語が入り混じり、最初はバラバラであったものが、やがてひとつのセッションを繰り広げ始める。本書を音楽に喩えるならば上記の“1”は主旋律。そして“3”はリズムを担当している感じだろうか。
このふたつの短篇は、2012年9月に出版された作者の最新作である『飛行士と東京の雨の森』にも近い味わい。そして“2”と“5”は氏のファンタジー作品である『蕃東国年代記』や『ゆみに町ガイドブック』を思わせる。いうなれば本書はファンタジーと音楽と創作理論を煮込んだミネストローネスープといったところか。
 本書におけるキーワードは「庭」と「影」、そしておそらくは「不在」(または「欠如」)であるとみた。「不在」が持つマイナスがある一瞬を経てプラスに転じるとき、「不在」は「謎」へと変わり生きる糧となる。そういったものを感じられるから、自分はこの著者の本が好きなのだろう。

 以下、178Pより抜粋する。
 (富士谷御杖は)『直言(直接的な言葉)でない語、つまり、物事を間接的に表す言葉というものが倒語であると考えていたようである。物事の顕在化していない意味、関係性などを、仄めかす言葉、それが倒語であるのだ。
「倒語はいふといはざるの間のものにて(略)」という御杖の言葉は潜勢、暗喩、暗示、あるいは英詩でいう仄めかし(アリュージョン)といった語を連想させる。』

 この言葉、本書にそのまま当てはまる言葉なのではないだろうか。尤も、先ほどは「暗示」と書きはしたが、正直これが暗示かどうかも良く解りはしないのではあるが。(苦笑)
 氏はミュージシャンでもあるし短歌をつくる歌人でもある。とすれば、あるいはこれが歌もしくは詩というものなのかも知れない。散文による歌または詩というのもまた好い響きだ。

<追記>
 「散文でかかれた音楽」は自分が見る限り現代詩とかなり相性が良い気がする。そして現代詩は現代音楽にイマジネーションを提供する源でもある。してみると、本書を「読み解く」鍵は意外と現代音楽にあるのかも知れない ――なんて日曜日の昼下がりに夢想するのも、また愉しいことではあるね。
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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