『ドン・キホーテ 前篇/後篇』 セルバンテス 岩波文庫

 言わずといれた世界文学の名作だが、実は前篇3冊に後篇3冊の都合6冊にもなる大著。今年の1/初から5/初までおよそ4か月間かけて、ゆるりと読んできた。自分は以前から「有名だが読んだことがない古典文学」というのを、少しずつ読むことにしているのだが、実際に読んでみると想像と違っていてそのたびごとに発見が多く面白い。今回はいよいよスペインの国民的文学への挑戦というわけだが、本書についても(これまでと同様)実におそまつな予備知識しかもっていなかった。それは「愛馬ロシナンテにまたがりサンチョ・パンサをお供に連れて、風車に突撃したおかしな人」というくらいの簡単なもの。(どう考えてもこれで全6巻が持つわけないよなあ。/笑)その他は、「エピソードは前篇の方が有名だけど物語自体は後篇の方が面白い」というのを噂で聞いていた程度だった。
 先に少し書誌的なことを補足しておくと、本書『ドン・キホーテ』はミゲル・デ・セルバンテスによって書かれた作品で、前篇が1605年、後篇が1615年に出版されている。(ちなみに当初セルバンテスは後篇を執筆するつもりが無かったようだ。ところが大評判になった前篇の人気を当て込んで贋物の続篇が出版されたため、怒った彼が、「こちらが本物!」とばかりに後篇を書いたというのが真相。出版に長い期間があいているのはそのためだ。)なお自分が読んだのは岩波文庫版だが、これにはギュスターヴ・ドレによる挿絵も収録されていて得した気分だった。さらに細かなことを言っておくと、前篇と後篇では題名が少し違っている。前篇は『機知に富んだ郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』で、後篇は『機知に富んだ騎士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』。(*)ま、郷士でも騎士でもやってることに違いは無いんだけどね。

   *…「デ・ラ・マンチャ」というのは、「ラ・マンチャ(地方)の」という意味。そう
     いえば『ラ・マンチャの男』という映画もあったなあ。

 実はドン・キホーテというのも主人公の本名ではない。本名は“善人”の異名をとるラ・マンチャの郷士アロンソ・キハーノ。当時人気の読み物であった“剣と魔法”の奇想天外な「騎士道物語」にどっぷりと浸かったキハーノが、譫妄状態となって自らを「愁い顔の騎士(もしくはライオンの騎士)ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」であると思い込んでの珍騒動 ――というのが全体を通しての流れ。
 近所の農夫であったサンチョ・パンサを従者として雇い入れ、彼は都合3回の遍歴の旅にでることに。(正確には一度目の旅はひとりで出かけ、僅か3日で連れ戻されている。サンチョが同伴したのは2か月におよぶ2度目の旅と4か月に及ぶ3度目の旅の2回だ。)
 彼らが道中の宿屋で出会う人々や、彼らを連れ戻そうと腐心する郷里の人々のエピソードが積み重なって出来ていて、大長篇ではあるがそれぞれのエピソード同士に特に関連はない。基本的にはどこから読んでも差し支えないともいえる。
 以上、概要紹介はこれくらいにして次には個人的な感想を書いてみよう。(印象は読む人によって変わるのが当然なので、あくまでも当ブログの管理人による個人的な感想と思っていただきたい。)

 いちばん有名な風車への突撃は、2度目の旅の始め(第1巻)に出てくるエピソード。こんなに早く有名なエピソードが出てしまって大丈夫かな?と思っていたのだが、その後も狂気の騎士とうつけ者の従者による珍道中が延々続いていくうち、1巻の後半あたりから正直少しだれてきた。自分が思うに、本来ドン・キホーテは狂言回しになるべき人物であり、狂気による滑稽な行動を愉しむにも限界がある。さすがにサンチョ・パンサと2人だけで行動している間の話がこれだけ長く続けられると...という事だ。(当時はユーモア小説としてそれなりに面白く読めたのだと思う。中世ドイツで人気があった『オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』みたいなものかも。)
 雰囲気ががらりと変わり俄然面白くなってきたのは、彼らの前に理性をもった常識人である司祭と床屋が現れて、物語に合流してから。そこにひとりの若者と女性についての恋愛を巡るエピソードが絡み、あとは一気呵成に物語の前半を読み終えることが出来た。前篇にはこんな感じで後篇にはない劇中劇のような短篇がいくつか挿入されており、単調になりがちな騎士と従者の物語に彩りを添えてくれている。やはり狂気はスパイスであって、適度に効いているくらいの方が良いようだ。
 ここまで読んで、自分の本書に対する印象が固まった。ドン・キホーテたちが泊まっている宿屋に次から次へと新たな人物たちが訪れて奇想天外かつ奇異な運命を披露する様子は、まるで吉本新喜劇と千夜一夜物語が一緒くたになったようなもの。(ちょっと涙ぐむような“いい話”で落ち着くところは、松竹新喜劇もしくは『裸の大将放浪記』と言ってもいいかも。)そこにときおり“愁い顔の騎士”ことドン・キホーテの狂気と従士サンチョの道化が顔を出し、うまい具合に花を添えている。
 文中では時に司祭や聖堂参事会員といった人物たちによる騎士道物語についての文学談義や、芝居に関する芸術談義も繰り広げられているが、その説明を読む限りでは、当時の騎士道物語は今のラノベみたいな感じで受容されていた様子。とすればドン・キホーテはさしずめ、ラノベにハマってコスプレに狂った中年オヤジといった役どころだろうか。(笑)

 本書が凄みを増してくるのは前篇も半ばを過ぎたこのあたりからだ。彼の狂気は理性と慈愛に満ちた周囲の人々によって相対化され、物語のスパイスとしてその本来の効果を発揮しはじめる。それを読んでいくうち心に思い浮かぶのは、「理性的」と思われた人々に見えてくるもう一つの狂気の姿。それは貴族と平民からなる絶対的な身分制度(封建社会)の論理という狂気であり、異端裁判に明け暮れた16世紀ごろのキリスト教世界という狂気でもある。誤解を恐れずに言えば、前篇を通して感じたのはメルヴィルの『白鯨』にも通じる百科全書的なメタフィクションの構図とも言えるだろう。(こんな本が17世紀初頭に書かれていたとは驚き。なんせ日本では関ヶ原の戦いがあった頃だよ。)

 ついで後篇にうつる。前篇がメルヴィル的であるとするならば、後篇は筒井康隆的なメタフィクションとでもいうべきだろうか。まず(これは全編を通しての仕掛けであるのだが、)本書はアラビア人の史家であるシデ・ハメーテ・ベネンヘーリが書いた原著を、セルバンテスがスペイン語に翻訳したという設定がある。このため物語のつじつまが合わなくなってきたりすると、セルバンテスは原著に書いてないとかいって話をリセットしてしまうのだ。(笑)
 後篇ではそれが更にエスカレートして、なんと作中で前篇にあたる『機知に富んだ郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』が出版(!)されたことになっている。登場人物の全員がベストセラーとなったドン・キホーテとサンチョ・パンサの物語を知っており、彼らがどんな人物かを知ったうえで接しているのだ。(中盤では彼らの大ファンである公爵夫妻がエピソードの中心となったりもする。)
 また、先に述べたように前篇の後には贋作が出版されたのだが、それについても作中で何度も言及されている。曰く格調のない文章だとかそんな旅はしていないとか、サンチョはそんな愚か者ではない等々、ドン・キホーテたち自身によって散々にコケおろされるのだ。贋作の一部が作中で朗読されたり、あまつさえ贋作の登場人物までが作中に登場してドン・キホーテと親交をあたため、贋作に出てきた主従2名を偽者と断じるなど、まさにやりたい放題といったところ。
 びっくりした事はもうひとつある。後篇の第60章には、当時実在したというロケ・ギナールなる山賊までもがゲスト出演で登場。このあたり、新聞連載とパソコン通信で虚構と現実をつないだ筒井康隆氏による快作『朝のガスパール』を彷彿とさせる仕掛けといえよう。(というかこちらの方が元祖か。/笑)

 後篇になると、ドン・キホーテのキャラクターについても複雑に変化している。彼は周囲の人々が自らのことを狂人と断じている事を知った上で、なおかつ騎士として行動しているのだ。前篇では風車が化け物に見えたり宿屋が城に見えたりと明らかな幻覚に囚われていた彼も、後篇になると宿屋は宿屋、執事は執事として正しく判別が出来ているように見える。そのうえで「魔法により正しい姿が消されそのように見えている」という判断を下すところなど、もしかして狂気を演じているだけではないのか?と思えることもしばしば。
 ドン・キホーテが周囲の人々に滔々と述べるセリフも素晴らしい。例えば公爵の計らい(からかい?)で島の領主となることになったサンチョに、ドン・キホーテがこんこんと説いて聞かせるのは、“理”ではなく“情”による統治を行うべし――という君主論。理路整然としたその内容は、素直に感心してしまうことしきりだ。思うに最初のうちは単に面白おかしいだけの人物であったドン・キホーテとサンチョ・パンサは、ここまで来ると人を写す鏡として捉え直された感じ。愚かだが純粋、公正にして誠実であるがゆえ、彼らを相手に邪な振舞をすればそれが己の醜い姿となって逆照射される事になる。逆に心優しく接した人々にはきっと幸せが待っているという、(先にも述べた)新喜劇の王道パターンだ。見事なアフォリズム(警句)を口にするドン・キホーテは風格さえ感じさせ、まさに「高潔の騎士我が道をゆく」といった趣き。

 以上、後篇では前篇以上に凝った仕掛が満載で、故郷に戻ったドン・キホーテが熱病にうなされながらも正気を取り戻し、“善人アロンソ・キハーノ”として騎士道物語を呪詛しながら死んでいくラストまで、存分に愉しむことが出来た。いやあ、確かに凄いわ、この本。特に後篇は驚異的ともいえる面白さだね。
 ウィキペディアによれば本書は2005年に世界の著名な文学者による投票で、「史上最高の文学百選」の一位を獲得したとのことだが、なるほどこれなら納得できるかも。

<追記>
 本書を読んだら、同じモチーフで書かれた他の作品も読みたくなってきた。そのうちまた殊能将之著『キマイラの新しい城』や矢作俊彦著『スズキさんの休息と遍歴 またはかくも誇らかなるドーシーボーの騎行』でも読むかな?
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スズキさん

って、元NAVI編集長ですね。なつかしい。(その小説読んでないですが)

たこい様

 こんにちは。ご訪問ありがとうございます。

私、実はNAVIって雑誌を知らなかったんですよ(汗)。
クルマには全然興味がなかったもので。

名前やモデルが、そのまんまみたいですね。
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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