『蛇の卵』 R・A・ラファティ 青心社

 ※今回は一部の人にしか通じない、とてもマニアックな小説の感想ですいません。(笑)

 2002年に87歳で死去した不世出の天才(天災?/笑)SF作家R・A・ラファティ(*)が書いた、“執筆活動の最後期”の長篇作品。(書きあげられたのは1982年だが出版されたのは1987年らしい。晩年は出版の機会にあまり恵まれなかったと聞いたことがあるが、これもそうなのかな?)

   *…ラファティをご存じない方のために簡単に作風を紹介しておこう。一般的には『九
     百人のお祖母さん』という短篇集に代表されるように、「伝統的なアメリカの法螺
     話を基調としたユーモア作家」というイメージで語られることが多い。しかし本質
     はもっと複雑で、始原的・神話的で宇宙的な”哄笑”という感じ。(自分の感覚で
     はラブレーに通じるところもあるかな。)だから『九百人のお祖母さん』と同じ
     テイストを期待して他の作品集や長篇を手に取ると、ちょっと戸惑うことがあるか
     もしれない。

 前情報によれば本書は著者の集大成とも言える作品との事だったので、すれっからしのラファティファン(**)としては、たいへん心待ちにしていた一冊。しかし発売予定日(2012年 秋)も近くなってから突然の発売延期という情報が。しかも発売日が未定との事で一時はやきもきさせられたが、遅れる事およそ半年で何とかこの手に入れることが出来た。(しかも4月末にはもう一冊の発売延期本『第四の館』まで発売。日本に数少ない(苦笑)コアなラファティファンにとってこの上ない贈り物だが、財布には厳しい春となっている。/笑)というわけでさっそく感想なぞを。

  **…早川書房から出ている短篇集はもちろんだが、(短篇と違って)非常に難解だと言
     われるサンリオSF文庫の長篇『悪魔は死んだ』や『イースターワインに到着』から
     『トマス・モアの大冒険-パスト・マスター』といったマイナーなものまで、一応
     全ての邦訳作品は読んできた。(もちろん世の中は広いもので、自分など足元にも
     及ばない熱狂的なファンの方も沢山お見えになって、ファンサイトを立ち上げたり
     もされている。)

 物語は以下に挙げる12人(?)の子供たちが主人公だが、この顔ぶれを見るだけでも一筋縄ではいかない話というのが良く分かる。如何にも作者らしい、豊穣なのか過剰なのか良く分からない不思議な物語が冒頭から繰り広げられる。

 1)ロード・ランダル(人間の男の子)、
 2)イニアール(歩行型人間模倣タイプコンピューターの女の子)
 3)アクセル(類人猿「青い目をしたサル」「堕落せざる人々」のひとり)
 4)マリノ(オスのアシカ)
 5)ルアス(天使)
 6)ヘンリエッタ(人間の女の子)
 7)ルーティン(メスのニシキヘビ)
 8)ダブ(メスの熊)
 9)シンプ(オスのチンパンジー)
10)ガジャ(メスのインド象。母象の胎内にいてまだ生まれていない)
11)カルカジュー(オスのクズリにして半分悪魔)
12)ポップガイ(オスのオウム)

 彼らはいずれ劣らぬ超知性をもった子供たち。隔離された環境で彼らを使って、ある種の“実験”が行われていることが冒頭に説明されるのだが、それが何の実験なのかは結局最後まで分からなかった。このあたりの読者を煙に巻く感じ(というか、両手をもって思い切り振り回す感じ)に堪らない魅力を覚えるのか戸惑いを覚えるのかによって、ラファティの熱狂的なファンになるかどうかが決まるのかもしれない。
 話をもどそう。物語の前半は連作短篇のような形で進み、3人一組になった主人公たちの様子と珍妙なやりとりが笑わせる。(このあたりは『九百人のお祖母さん』にも通じる雰囲気で非常に読みやすい。)その途中で少しずつ本書の背景となる世界の成り立ちが明かされていくわけだが、とっつきにくさを感じるとすれば、それが直接語られるわけではなく、登場人物たちの会話などから読み取っていかなければいけない点だろう。(このあたりは同じく熱狂的なファンをもつジーン・ウルフの手法にも近いものがあるかもしれない。ファンにとってはその分かりにくさがまた魅力だったりするわけだが。)
 物語は後半になり、12人の子供たちが一堂に会するとともに世界を支配する秘密の存在「カンガルー」が登場すると急展開を遂げていく。人類の敵(蛇)になる前の”蛇の卵“を消し去ってしまおうするカンガルーと12人の子供らの死闘を軸に、仄めかしと暗示と笑いと奇妙な論理が錯綜して怒涛のラストへとなだれ込んでいくわけだが、やっぱり粗筋を説明しても分かったような分からないような...(笑)。
 ひとつ付け加えておくと、ラファティの物語は主人公にかぎらず登場人物がどれも魅力的。本書でもたとえば透明な体の“姿なきアルフレッド”とか、世界的な大富豪サットラップ・聖レッジャー、歩行型コンピューターのリヴィウス・セキュンダス、博愛の心を持つ自然愛好家カレブラ・イ・コルンバなどなど、脇役となる大人たちも一筋縄ではいかない者ばかりだ。海賊船のアナベラ・聖レッジャー号なんていう魅力的な小道具も登場するし、ラファティの世界に慣れ親しんだ人なら「いかにも」という感じで、とても愉しめるんじゃなかろうか。

 というわけで、ネタバレなしの感想は以上で終了。ここからは物語の詳しい設定にも触れるので、これから本書を読もうという方はご注意を。


 先ほど述べた話に少し補足。ラファティの小説はどれも登場人物がヘンなのだが、それはいわゆる「常識人」じゃないという意味。ディックのように壊れてしまっているわけではなくて、まるで今の現実の世界とは異なる論理に従っているかのように見える。これが始原的とか神話的と評される所以ではなかろうか。本書でも”隠された谷”とそこに住む”無垢の人”や、生物の種を超えた天才児に秘密結社などラファティお馴染みのモチーフがふんだんに出てくるが、それらが示すのは「現実世界のヴェールを一枚めくるとそこには全く違う世界が広がっていた」というドキドキするビジョン。しかもラファティの場合は単に現実が崩壊する不安ではなくて、現実の代わりに垣間見える”健全な別世界の論理”がセットになっているのが持ち味。(もちろん”健全”なのはその世界にたいしてであった、我々には毒であるケースも多いのだが。/笑)
 本書における別世界の論理とは、”蛇の卵”から生まれるであろう”第二の人間”を巡る議論となる。相変わらずだなーと感じたのは、カンガルーにとって”第二の人間”とはどのような存在で、なぜカンガルーがそれを阻止しなければいけないかなど、一番ポイントになる点が明確に書かれていない点。
 そもそもこの実験は誰が何のために始めたのだろうか。これほど大掛かりな実験であればカンガルーによって企画されるしか無理と思うのだが、その目的がカンガルーに代わる「世界の新たな支配者」を生み出すためであり、後にカンガルーによって阻止されるとなれば意味が通じない。また青い目のサルが一度眠りについてから3日後に目を覚ますのは、言うまでもなく”第二の人間”がキリスト教における救世主であることを示しているが、であれば目覚めを阻害しようとするカンガルーは、悪魔もしくはグノーシスにおける「狂った神」という位置づけになる訳で、結局のところ”実験”とは新たな神を生み出す実験だったという事なのだろうか。
 これらを仄めかしや暗示の中に読み取ろうと思ったのだが、どうにも良く分からなかった。(まあ、良く分からなくても別にいいんだけどね、ラファティの場合は。)

 物語も終盤が近づき、「カンガルーは誰を殺してどうなってしまったのか?」「本当に死んだのは誰か?」「結局のところ”蛇の卵”や”第二の人間”とはいったいなんだったのか?」という疑問符で頭の中をいっぱいにしながらラストにたどり着くと、そこには驚愕の事実が明かされていて天地がひっくり返ることに。まさかラファティに叙述トリックをかまされるとは(笑)。しばらくは自分がそれまで何を読んでいたのか分からなくなり、ボケッとしていた。物語自体の枠をとっぱらう――といった意味では、本書をメタフィクションと呼んでも良いかもしれない。

 そのうちもう一度読み返さなければいけないのかも知れないな。そしてもう一度考え直さねばならない。この物語がなんだったのか、そしてイニアールによって隠された真実とは何だったのか。うーん、深いぞラファティ(笑)。
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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