追悼 殊能将之

 本日2013年3月30日の昼過ぎ、ツイッター上でミステリ作家・殊能将之氏の訃報が飛び交った。このブログではあまりこのような話題には触れないようにしているのだが、今回だけは特別にお許しいただきたい。

 翻訳家・書評家である大森望氏のコメントは次のとおり。
 「ミステリ作家の殊能将之氏が今年2月11日に亡くなりました。享年49。ご遺族の意向で伏せられていたそうですが、殊能氏と縁の深い雑誌「メフィスト」の最新号に訃報と追悼記事が掲載されています。殊能氏とは、彼がまだ学生だった頃からの付き合いでした。とにかく残念です。」

 殊能氏は自分にとっても特別な作家だった。まさに大森氏と同じく、彼が作家となる前の学生時代からの知り合いだったから。(上記の大森氏や殊能氏を取り巻く有象無象の関係者の内に自分もいて、年齢も同じだったのです。)
 初めて合ったのは大学のサークル関係の集まり。氏と学校は違ったのだが、東海地区の主要大学で作るサークルの交流会で、友人から「大学のサークルに凄いメンバーが参加してきた」と紹介されたのが最初だった。実は自分が高校時代から愛読していた雑誌の中に、大学教授が相対性理論について解説するコーナーがあり、そこに幾度も鋭いコメントを投稿して感嘆した教授によって「福井の天才少年」とあだ名を付けられた人物がいたのだが、実はそれが彼・T氏だったのだ。(自分にとっては殊能将之氏というより、今でもその頃からの呼び名であるT氏といった方がしっくりくるので、これからはそちらで書かせてもらおう。)
 
 知り合ってからも、彼の才気あふれる会話や博識には舌を巻く場面が多々あった。彼のブログ(現在は諸事情により閉鎖)やツイッターでのつぶやきを見た人にはお馴染みの、少し斜に構えたような冗談やコメントは当時からのもの。仲間内でも一目置かれる存在だったのは言うまでもない。(しかしそれは繊細で傷つきやすい自分の心を守るための、彼独特の“ポーズ”だったのかも知れない。)
 決して嫌味な態度ではなく相手の立場になって話す姿勢は、彼を知る誰からも慕われていたように思う。仲間内で話題になっていたイギリス作家バリントン・J・ベイリーのペーパーバック(*)をどこからか手に入れて読み、愉しそうにストーリーを語ってくれた時の彼の顔を、まるで昨日のことのように憶えている。

   *…まだ邦訳が出ていなかった『禅銃(ゼンガン)』というSF小説の英語版。その頃
     ベイリーの本はまだ『時間帝国の崩壊』『カエアンの聖衣』という2作しか邦訳が
     出ていなかったはず。

 しかし自分は学校が違っていたためそう頻繁に会うこともなくなり、友人を通じて消息を聞く程度に。学校を卒業して就職してからはさらに疎遠となってしまい、風の噂で彼が東京に行き出版関係の仕事についているとか、身体を壊して故郷の福井に帰ったなど、ときおり話を耳にする程度であった。
 転機が訪れたのは1999年。何気なく立ち寄った本屋で見かけた講談社ノベルズのミステリ新刊。第13回メフィスト賞を受賞と書かれたその本『ハサミ男』を開くと、「もしかして学生時代の知り合いでは?」と思えるプロフィールや献辞の文章が書いてある。サイコミステリは苦手な性分なので、気になりつつもつい手に取らずにいた自分が、話題のミステリ作家・殊能将之氏が実はT氏であったと知ったのは、さらにそれから半年後の事だった。思い返せば、学生のころからあまり自分の私生活を語らない彼の姿勢は一貫していたように思う。そのため状況証拠は色々あったのだが、大学時代の友人からはっきりと聞くまでは確証が持てなかったのだ。その後、さっそく買ってきて一読、その面白さに圧倒されると同時に「やったなT氏」と何だか自分まで誇らしげに感じたのが懐かしい。
 学生時代からずば抜けた才能の持ち主だったT氏の再出発は、彼を知る友人たちによって温かく迎えられた。毎年、正月と夏の年2回、当時の仲間内で飲み会を開いているのだが、しばらく忙しくて連絡も途絶えがちになっていた自分が久しぶりに参加した時、福井からわざわざ名古屋まで来た彼とおよそ十年ぶりくらいで会えたのは、第二作『美濃牛』が出た直後だったろうか。(**)

  **…横溝正史『八つ墓村』へのオマージュとも取れるこの傑作。実は登場人物のキャラ
     や名前が大学時代の友人たちのもじりになっているのだ。我々にだけ分かる彼の
     ひみつのメッセージに気づいた時、どれだけ愉しくまた嬉しかったことか。

 その後の彼の「殊能将之」としての活躍は周知のとおり。ミステリとしては反則ギリギリの問題作『黒い仏』の後は、うって変わって完璧な本格ミステリ『鏡の中は日曜日』。ノベルズで企画された“密室本”の一冊として(袋とじで)出版された『樒/榁(しきみ/むろ)』に、ミステリーランドの初回配本となった『子どもの王様』。そしてセルバンテスの『ドン・キホーテ』にムアコックのファンタジーのパロディを隠し味で加えた快作『キマイラの新しい城』などなど。一作ごとに変化するその作風や題材、惜しげもなく投入される多くの知識とずば抜けたセンスは、純粋に一読者としても存分に愉しませてもらった。
 読者(もしくは書評家)としての彼は、ミステリよりむしろSFについて造詣が深かったように思う。(もちろんミステリも半端ではない読書量だったのだが。)その片鱗はアヴラム・デイヴィッドスンのオリジナル短篇集『どんがらがん』の編纂や、同じくデイヴィッドスン『エステルハージ博士の事件簿』の解説を通じた再評価に見ることが出来る。なにせ主要な作品を原著で読んでいて的確な判断を下すからすごい。こちらはただ彼の話を感心して聞くばかりだった。
 彼はその後『ハサミ男』が映画化された後くらいまで、年2回の飲み会によく参加してくれた。それなりに老け顔になりながらも元気そうな彼や友人たちと一緒に過ごした愉しい時間が、今となっては懐かしい。再び体を壊したとのうわさを聞いたのはその後しばらくしてから。それでも退院してからはツイッターで元気なつぶやきをしてくれて安心していたのだが...。

 彼の訃報を友人経由で教えてもらったのは、少し前のことだった。本当かどうか確証がもてないまま、沈黙を続ける「殊能将之」のツイッターを覗いてみることもしばし。「んじゃまた」と書かれたつぶやきに新たな言葉が加わることは無いというが、どうにも実感がわかない。また朝になれば「オイッス!」と元気な書き込みをしてくれるような気がしてならない。――そんな中途半端な気持ちのまま今日まで来てしまったが、正式にあちこちで公表されたところを見るとおそらく本当の事なのだろう。
 今現在もツイッター上では呆然とする彼のファンの人たちの書き込みが続いている。次の号のメフィストが書店に並ぶ数日後までは混乱が続くだろうが、自分としては今日こうして思いのたけを吐露することで、やっとひと区切りがつけられそうな気がする。

 稀有な才能をもった作家・殊能将之氏の訃報に際して、深く哀悼の意を表します。そして長いつきあいの友人のひとりとしてひと言。Tさん、またいつか皆がこの世でやるべきことを果たしたら、あの世でまた会いましょう。その時はまた愉快なバカ話を聞かせてください。それまで一足先に行って待っていてくださいね。んじゃまた。

<追記>
 上記の記事を書いた数日後、メフィストが書店に並んだ。法月綸太郎氏と大森望氏のお二方による、殊能将之氏の追悼文が掲載されたものだ。殊能氏が敬愛しながらも生前一度も顔を合わすことがなかったという法月氏は、言ってみれば「読者代表」とでもいうべき立場での悼辞。そして学生時代から見知った関係であった大森氏は、当時の思い出を語ったいわば「友人代表」としての悼辞。対照的なおふたりの文章ではあったが、いずれも氏に対する思いが伝わってくる良い追悼だった。
 もう殊能将之による新作が発表されることはない。でも彼が遺したものを読み継ぐことで、これからも彼は心の中に生き続ける。なにより友人たちの心の中に…そんな風に思うことで、また明日から一歩踏み出していこう。我々がこうして前を向いていくことが、彼のためでもあると思うから。
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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