『ことばの発達の謎を解く』 今井むつみ ちくまプリマー新書

 他人から教えてもらうわけでもないのに赤ん坊が自然に言葉を覚えていくのが、ずっと昔から不思議で仕方なかった。中学生で受けた英語の授業を思い返してみると、テキストや辞書といった「憶えるための道具」を万全に揃え、さらにあれだけ時間をかけて教えてもらっても全く上達する気配すらなかったのに。(苦笑)
 ましてや相手は幼児。便利な道具も使えず教師もいないというのに、いったいどうすれば初めて聞く言葉を聞き分け、意味を理解し、話せるようになるというのか。知りたくて言語学の本を読んだりしても、生成文法とか難しいことが書いてあるばかりで、そのあたりの事は書いてなかった。(言語学は言語学で面白いのだが、それはまた別の話。)
 そんな折、いつものようにぶらりと立ち寄った書店の新刊棚で本書を見かけた。中身をざっと見てみると、子供が言葉を習得するメカニズムについて書いたもの。どうやら自分の知りたかったことを研究していたのは、言語学ではなく認知科学の分野だったらしい。これまで随分と回り道をしてしまったようだ。

 というわけで、さっそく本書の中身について。先ほども書いたように、本書は子供がどのようにして言語を憶えていくかについて、認知科学の研究者がその概要を一般向けに分かりやすく解き明かした解説書だ。
 冒頭をざっと読んだところでは、その準備はなんと母親の胎内にいるときから始まっているそうだ。これは面白そう。次いで2歳ごろで「語彙爆発(*)」とよばれる現象が起こり、5歳くらいまでにはおおよその形が出来上がるみたい。以下、順を追ってまとめてみよう。

   *…子供が覚える語彙が短期間で爆発的に増える現象。まるで生物学でいうところの
     “カンブリア大爆発”みたいだね。(笑)

 胎児には母親の胎内にいる時から周囲の音が聞こえている、というのはよく知られた話。実は言語習得はその時からすでにスタートしているそうで、まず母親の胎内でよく聞こえてくる音(母親が発する言葉)のリズムやイントネーションを理解、母語となることばの音韻的な特徴をつかむらしい。昔、テレビでタモリがよくやっていたネタで「4か国語マージャン」というのがあったが、「言葉の意味は分からなくてもそれらしく聞こえる」というのは、まさに同じ話かも知れない。
 その後、生まれてから2歳になるころまでは、人とのコミュニケーションを通じ、聞いた音(言葉)が「もの・動作・状況」など複数の意味の中から何を示しているかを、試行錯誤によって憶えていく段階。なおこの時に最も重要なポイントは、「思い込み」ということらしい。聞いた言葉を自分で勝手に「こういう使い方をする言葉だ」と決めつけ、それを使ってみることで(ときに笑われながらも)間違いを正される。その繰り返しによって、頭の中に元となる“辞書”を作り上げていくらしい。それにしてもすごいことだよね。なんせ聞いた音のどこからどこまでが単語の区切りなのか分からない状態で、さらにはそれが名詞か動詞といったどの品詞なのかも分からない中、試行錯誤で憶えていくのだから。

 具体的にはこんな感じ。
 絵本の中の白いイヌを「ワンワン」と教えてもらった子供は、街でネコやほかの四つ足動物を見かけると全て「ワンワン」と呼ぶ。それどころか白い毛玉や毛布をみても「ワンワン」と言ってみたりする。よくある微笑ましい光景だが、この場合子供は「ワンワン」をイヌの名前ではなく、「四つ足動物または白くてフワフワしたもの」を指す言葉として解釈しているわけだ。これは本書によればすなわち「生まれながらにして周囲の物体をカテゴリー認識している」ということに他ならない。
 “見たものを何らかの特徴に従って識別する力”が言語の土台になっているというのは考えたこともなかったが、言われてみればもっともな話だ。言葉をしゃべるのは人間だけに与えられた特別な能力ではなく、生物が持つ基本的な力の上になりたっているのは当たり前の話。(“識別能力”が生きていく上で最も基本になる能力だというのは、ユクスキュル『生物から見た世界』(岩波文庫)やアフォーダンス理論を持ち出すまでもなく納得できる。)
 ちなみに幼児を使った実験によれば、初めて聞く名前は動詞ではなく名詞、しかも固有名詞ではなく普通名詞と判断する(思い込む)らしい。しかもこれは世界共通とのこと。このあたりに何やら生物としてのニオイを感じてしまう。

 次いで進むステップは「似ているもの同士」つまり「同じカテゴリーに属するが違うもの」を区別すること。実験結果によれば、どうやら(色や模様や大きさなどではなく)「形」に着目して区別しているらしい。物体の凹凸や厚みといった全体のフォルムから、形が似ているものを同じカテゴリーに分類していくそうだ。(**)

  **…「まるで○○のよう」という比喩表現のルーツも、案外こんなところにあるのかも
     知れない。

 本書にはこれらを調べる実験の様子が書かれているが、これが滅法面白い。例えば初めて聞く単語を動詞と名詞のどちらに判別するかを調べる方法は次のとおり。
 まず子供がそれまで見たこともない架空の“道具”を振り回しているビデオを子供にみせ、その様子を「チモっている」と説明する。次に子供に「先ほどの道具にしたのと同じ(振り回す)行為」と「先ほどの道具に形がよく似た物体(静止している状態)」をみせ、「チモっているのはどちらですか?」と訊く。この時に子供がどちらを選ぶかで、「チモる」という言葉を動詞/名詞のどちらに認識しているかが分かるのだ。
 ちなみに日本語は動詞の語尾に「○○テイル」という特徴的な形があるので、子どもは早い段階で動詞と名詞の区別をつけることができるそう。3歳では半々、5歳でほぼ間違えずに区別できるようになるらしい。
 同様に中国語が母語の子供らに対して行った実験もある。この時は「ダンパー」という架空の単語を作って調べたそうだが、中国語の場合には名詞と動詞の語形が変化しないため、5歳でも全員が名詞と判断してしまうそうだ。(ただし日本語でも「~シテモラウ」「~シテアゲル」「~シテクレル」の区別についてはかなり年齢がいかないと難しい。)
 このように言語による比較をすることで、具体的に単語のどこを手掛かりにして識別しているかが見えてくるというわけ。まさに心理学や医学、哲学や言語学など様々な学問領域をまたいで横断的に活動している、認知科学ならではのやり方という気がする。

 他にもある。例えば砂や水のように「ひとつずつ数えられないもの」と、食器のように「数えられるもの」の区別。前者の場合、例えば砂の山を崩しても砂であることに変わりはないが、割れてしまったコップの破片をもはやコップを呼ぶことはできない。それらを子供はきちんと区別しているというのだ。
 これなどは先ほどあった「形が変わると違うカテゴリーになる」ということから説明できるのかもしれないね。だとすれば、小さな子供がブロック遊びに夢中になったり、わざと何かを壊しては「あーあっ」と声を挙げたりするのも、あるカテゴリーが生まれたり消えたりするのを愉しむ行為なのかもしれない…なんて考えても見たり。

 こうして徐々に言葉を覚えていくと、2歳頃になって突然起こるのが冒頭にも書いた「語彙爆発」と呼ばれる現象。これがなぜ起こるかというと、憶えた単語同士を頭の中で有機的に関連つけることで「心的辞書(メンタルレキシコン)」と呼ばれるシステムが作られ、それがある程度進むと語彙が増えるスピードが飛躍的に伸びるためらしい。
 ある言語を習得する行為が最終的にはこの「心的辞書」を作り上げるという事に他ならないという話は、目からウロコがおちた。いくら中学生に時に英語の授業を受けても、日本語版の「心的辞書」に英語の対応表を書き込んでいるだけでは上手にならない訳だよね。納得。
 なお、単語が指し示す意味や範囲が言語(母語)によって異なっているということは、「愛」とか「悲しみ」といった抽象概念も、言語によってその意味合いが違ってくるということに他ならない。本書の中には数詞が「1/2/たくさん」の3つしかない言語を用いる人々の間では、「3」と「4」の区別がつかないという事例が挙げられているが、これなどはルイス・キャロルの書いた一連の『アリス』の物語、あるいは「外国人で“肩こり”になる人がいないのは“肩こり”という言葉がないからだ」という話を思い出した。

 それでは(本書の内容と直接の関係はないが)、最後に本書を読んでふと思いついたことを書いて終わろう。
 人間が物事を考える時、物事をモデル化して考えることを良くする。モデル化には論点を分かりやすくするという良い面もあるが、逆に「イチかゼロ」といった単純化によって起こる弊害もよく言われること。
 なぜ人間はすぐにモデル化したがるのか前から不思議だったのだが、もしかしたらそれは幼児の頃から培われた、言語習得の手法を援用した為なのかも知れない。何のヒントも無い中から試行錯誤で「心的辞書」を作り上げるための、思い込みと試行錯誤の手法。本書を読むことでモデル化の有益性と限界に思い当たったのは、望外の収穫だったかもしれない。

<追記>
 妄想ついでに。一種の思考実験なのだけれど、「甘い」「食べる」「尖った」「鳥」「重い」といった言葉が、名詞/動詞/形容詞などの区別なく全て同じカテゴリーに属する言語があったら面白いかも。かなり昔にヘンリー・カットナーという作家が書いた「ボロゴーブはミムジイ」という短篇を読んだら、まさにそんな雰囲気だった覚えがある。また読み返してみたいが、はたしてどこにしまい込んだものやら。(苦笑)
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

最新記事
カテゴリ
プロフィール

舞狂小鬼

Author:舞狂小鬼
サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

最新トラックバック
FC2カウンター
最新コメント
リンク
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR