『三大陸周遊記 抄』 イブン・バットゥータ 中公文庫

 本書のことは誰かのエッセイで知ったのだったか。もともと旅行記の類は大好きで、アジア貧乏旅行で有名な下川裕治氏や、往年の“川口浩探検隊”のテイストを今に残す高野秀行氏のエッセイなどはよく読んでいた。ただしそれらはあくまで現代のもの。昔の人の旅行記は、それがそのまま命がけの冒険であったり、失われた文化の記録だったりとプラスアルファの愉しさが加わる。「一粒で二度おいしい(*)」ではないけれど、ちょっとしたお得感。(笑)

   *…もしかしたらこのフレーズ、今の若い人は知らないかもなあ。(アーモンドグリコ
     というキャラメルのキャッチフレーズなんだけど…。)

 前置きはこれくらいにして本題に入ろう。本書は14世紀のイスラム世界を代表する法学者にして大旅行家のイブン・バットゥータが、自らの半生を口述筆記した旅行記。(ちなみにウィキペディアによれば彼の正式な名前は「アブー・アブドゥッラー・ムハンマド・イブン・アブドゥッラー・アッ=ラワーティー・アッ=タンジー」というらしい。どこにも「バットゥータ」が出てこないんだけどなぜだろう。通称なのかな?)
 現在のモロッコにあたる場所で生まれた彼は、22歳の時に行ったメッカ巡礼をきっかけにして旅の人生を始め、その後50歳を過ぎて再び故郷に戻るまで長らく漂泊の日々を過ごした。本書の前半はダマスカス(シリア)からイラク・イランといった西アジア地域を回り、はては極寒の南ロシアまで足を延ばした記録。このあたりの記述はムスリムの相互扶助や砂漠に暮らす人々の様子が良くわかって興味深い。まるでイザベラ・バードの『日本奥地紀行』でアイヌの人々の暮らしぶりを読むように、民俗学的な好奇心でもって愉しめた。
 しかし純粋に“冒険記”として面白いのは、訳者の前嶋信次氏も解説で述べているように、やはり故郷から遥か離れインドや中国で暮らした日々を綴った後半部だろう。彼はなぜだか分からないが当時イスラム教国であったインドへと渡り、ムハンマド・イブン・トゥルグルック王に長らく仕えた。本書によれば、王はその日の気分で臣下に気前良く褒美を与えたり逆に首を刎ねたりとかなりの暴君ぶりだが、バットッータ自身はアラブから来た法学者として手厚く遇されていたようだ。
 インドを離れた後は、イスラム社会のネットワークを使ってスリランカ経由で中国へと渡り、最終的には大連まで行った様子が述べられている。世界に広がるイスラムのネットワークはこんなところまで来ているかと驚いたが、良く考えたら中国奥地には回教徒(ムスリム)の住む地域があるものね。中国滞在を終えてアラブまで戻ってからは、休む間もなくアフリカ大陸はサハラ奥地の黒人王国(スーダン付近)にも足を運び、最終的に故郷に腰を落ち着けるまで足かけ30年近くにもなる大旅行記となっている。
 先にも書いたように、読み物として面白いのは前半のアラブ篇よりも後半のインド・中国篇の方。それはきっと慣れ親しんだアラブの世界より、見たことのない国々の新奇な風物を「旅人」の素直な目で見ているからなのだろう。(**)

  **…いくつかの土地については実際には訪れてはおらず、伝聞やほかの人の著作からの
     引用との説もあるようだ。

 ところで本書を読む限り、彼がこれほどあちこちを移動し続けた理由や目的はまったく明かされていない。もしかして著者が想定していた当時の読者には自明だったのだろうか…などと考えているうち、はたとひらめいた事がある。
 これこそまさに、人類学者の片倉ともこ氏が著書『イスラームの世界観』などで書かれていた「移動文化」というやつではなかろうか。(たしか『かくれた次元』でエドワード・ホールも触れていた。)
 片倉氏によれば、元々が砂漠の民であるアラブの人々の生活信条は、ひとところに留まることなく「常に移動し続ける事」なのだそうだ。一か所に長らく滞っていると、心に「澱」のようなものが溜まってきて穢れたような気分になるらしい。松尾芭蕉ではないけれど「片雲の風にさそわれて漂泊の思やまず」といったところだろうか。してみると本書が読み継がれてきたのは、アラブの人々の心情にマッチするところがあったからかもしれないね。

<追記>
 思い起こせば自分が旅行記や冒険記が好きになったきっかけは、小学生の頃に図書館で借りて読んだ開高健の『オーパ!』だった気がする。その手の本は本屋で目に付いたら買っているので、自宅には他にもハイエルダール『コンティキ号漂流記』とかが積んである。気が向いたらそのうち読んでみよう。
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