『バイオフィリア』 E・O・ウィルソン ちくま学芸文庫

 この聞きなれない題名は、著者によれば「生命および生命に似た過程に対して関心を抱く生得的傾向」と定義されている。ひらたく言えば、生き物がいるとつい目がいってしまうのは何故か?ということ。しかもこの傾向は、小さな子供が生き物に向ける感心の強さなどからすると、どうやら人間に生まれつき備わっているものらしい。それを著者は『バイオ(=生命への)』+『フィリア(=愛着・関心)』と名付けた。現時点では到底証明できるアイデアではないので、(ラブロックのガイア仮説と同様に)「バイオフィリア仮説」と呼んだ方が正確だろう。

 特定の生き物に対して嫌悪感を持ちながらも同時に魅了されてしまう理由として、ウィルソンは次のような推測を挙げて説明している。すなわち自然界では蛇に代表されるような毒を持つ危険生物や、ライオンなどの猛獣から受ける害が最も大きいので、「生物」に対して注意を払った個体が自然淘汰により生き残ったのだと。それとは反対に食料の補給源として、すなわち自分が捕食する立場であってもやはり、小動物や植物などの「生物」に頼る必要があり、それらを見つける能力の高い個体が進化の過程で優勢になっていったのだろうと推測する。
 またサバンナなどに特有の地形、すなわち広々とした草原が広がるとともに近くには水辺もあり、身を隠せる木立もあるような風景に対して、多くの人が「好ましい感情」という感覚をもつのも、先に述べたような理由で説明が付くと述べている。
 これらは今までにない全く新しい概念であって科学的に検証するすべもないので、とりあえずはエッセイの形で発表したのではないかと思われる。しかし却ってこれがうまく嵌まっていて、美しい自然描写や生命賛歌の内容がまるでレヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』を彷彿とさせる良い効果を図らずも生んでいる。
 話は後半に至って最終的に生命倫理や自然との共生という大きなところまで広がっていくが、残念ながら良い解決案は最終的には著者の頭に浮かばなかったようで、「今の時代に優先される価値観と数百年後の未来に評価される価値観はちがう。両立は難しい。」という結論で終わっている。このあたりの論旨については、「空の思想」を基にして仏教が到達した倫理体系のほうが優れている感じがするが...。

 ちなみにこの『バイオフィリア』というアイデアは、社会学者のイー・フー・トウァンの『トポフィリア』という概念からヒントを得たそうである。(「トポス[場所]」+「フィリア[愛]」、つまり“特定の地形に何故か魅力を感じる”という生得的傾向のこと。)
 この仮説が正しいかどうかはともかくとして、少なくともアイデアとしては卓抜していると思う。少なくとも著者はアイデアの出所を誤魔化して「自分のオリジナルアイデアだ!」と主張はせず、潔く全てを素直にさらけ出しているから偉い。(笑)
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