『聖杯と剣』 リーアン・アイスラー 法政大学出版局

 副題は「われらの歴史、われらの未来」という。題名からはアーサー王伝説に題材をとったファンタジーか何かを連想してしまうが、さにあらず。中身はいたって真面目な学術書。本の中身をひとことで言えば“ジェンダー論の研究書”という事になるが、カバーしている分野はかなり広い。ジェンダー論の基本図書のひとつに数えられている本だそうだが、なるほど納得。
 著者が本書で述べていることはまとめると簡単な話で、凡そ次のようなものだ。
遠い過去には男女が調和をもって平等に生きる社会(「協調型社会」)が実現した時代があった。しかし長らく続いたその時代も、やがて歴史上のある時期・ある地域で性差に基づく支配、すなわち男が女に対して支配力を及ぼす社会(「支配者型社会」)が生まれるとともに終わりを告げ、そのまま現在へと至る。―― これは著者のアイスラーがたてた仮説であって、いわば「ジェンダー史観」とでもいうべきもの。
 著者は世界中の人類史を従来とは違った新たな目で検証し、そこに残る協調型社会の痕跡をひとつひとつ指し示していく。様々な考古学的な「証拠」が列記されるが、正直言って自分はそちら方面に詳しくないので真偽のほどは判断できない。若干「筆が走り過ぎかなー?」と思うところが無きにしもあらずだが、全体的にはとてもよく考えられた学説という印象をもった。(*)
 語り口はとっつきやすいが、カオス理論からオートポイエーシス(自己組織化)理論まで当時の最新科学理論 語り口はとっつきやすいが、カオス理論からオートポイエーシス(自己組織化)理論まで当時の最新科学理論を取り込むなど、学問の垣根を越えた論考はまさに縦横無尽。たとえばギリシアのミノア~クレタ文明なども解釈の仕方ひとつで全く違う様相が見えくるし、旧約聖書では歴史的な書き換えの跡を見つけることで、蛇/サタンの誘惑と知恵の実のエピソードが180°違った角度で見えてくる。まるでミステリの謎ときを読んでいるように刺激的で愉しかった。
 
   *…社会学に詳しいわけではないが、協調型社会から支配者型社会への移行がおこった
     とする仮説は、パラダイムシフトにも等しいくらいの画期的な説ではないのだろう
     か?

 以下、もう少し詳しくみていこう。まず「協調型社会」について。これは“宇宙を支配する神秘の力”の本質が、服従を強要したり罰し破壊することではなく「与える」ことにある ――という世界観を持った社会のこと。
 平塚らいてうじゃないけれど「古来、女性は太陽であった」というのは昔から良く言われ、先史時代の大地母神や女始祖などの女神信仰につながるものだが、著者によればそれは単に「神の性別が男ではない」ということではない。それが意味するのはリーダーが性別には無関係に選ばれるような、そして誰かが誰かを支配する形ではなく比較的緩やかな結びつきによって成り立つ社会のことなのだそう。
 まあ確かに「家父長制でない」からといってそれがイコール「女家長制である」必然性は無いよね。(話は逸れるが、このあたりがフェミニズム活動家やその批判者の間で、誤解やすれ違いが起きるポイントだったりして。「男性支配制」の視点をもつ人々は、「女性解放」という言葉を単に「支配権を男から女に変えるだけ」という意味で捉えてしまいがちなのかも知れないね。もちろん女性による男性からの権力奪取というだけでは、何の解決にもならないのは当然なんだけど。)

 ちなみに本書の題名にある≪聖杯≫というのは、マリア信仰を通じて大地母神の信仰と協調型社会につながるもの。すなわち育成して与える“実現的権力”の象徴なのだそうだ。それに対して≪剣≫というのは、奪い取り支配する権力の象徴という事になる。
 それではいつどうやって≪剣≫により≪聖杯≫からの権力奪取が起こったのか? 著者はそのきっかけを「北方の不毛な大草原と南方の乾燥した砂漠」から出現した「周縁孤立集団(**)」によるものとする。彼らに依ってもたらされた好戦的で他を支配する社会構造の概念は、瞬く間に母系社会中心の世界を席巻した。その結果、金属を「装飾品や食器や宗教用具」ではなく「武器(剣や戦闘斧)」の原料として用いる社会が出現。この時点をもって長らく続いた協調型社会はほぼ壊滅し、世界的な規模で男性優位の社会が開始されることに。

  **…セム族や、いわゆる“インド=ヨーロッパ語族”に属する民族であるクルガン、
     ドーリア人など。

 まるで後戻りできない化学反応のような決定的な変化。この時をもって体躯や腕力が基準となる世界、他者への欲望と猜疑が支配する世界が始まったのだ。(このスタイルはやがてユダヤの民による一神教の発明と“父なる神”の出現によって、さらに強固なものとなった。)
 たとえ“愛”の宗教を標榜するキリスト教であっても、男性優位の構図に違いはない。教皇を頂点とした男性による権力構造を持ち、女性は蛇/サタンとともにアダムを誘惑した罪深き者として扱われる。
このあたりのくだりは、男である自分が読むと何だか心が痛む。他者を屈服させ自分の思うようにする為の究極の手段が「暴力」であるとするなら、この本に書かれている事って「はたして暴力に対してどのような対抗が可能なのか?」という、「自由を守ること」についての本質的な問いかけを示唆している気がするな。(答えを持ち合わせているわけではないのだが。)
 まだ読んだことは無いが、クリステヴァやジラールはこのあたりをどのように考えたのだろう。うーん、気になる。そのうち読んでみたい本がどんどん増えていくなあ。(苦笑)

 閑話休題。こうして世界は支配者型社会へと移行したわけだが、その後も協調型世界の復活に向けた動きが無かったわけではない。著者がその例として取り上げているのは初期キリスト教だ。
 キリスト教にはかつて「異端」と呼ばれる宗派が存在したが、「正統」であるローマカトリックによって弾圧され歴史から消えていった。グノーシス派を始めとする数々の「異端」が信仰していた教義の詳細は長らく不明とされていたが、近年になって資料が新たに発掘された。その資料をみると初期のキリスト教は、ローマカトリックによって確立した現キリスト教とは全く異なるものであることが分かるとのこと。
 著者によればそこに書かれていたのは、マグダラのマリアを始めとする女性信者たちと親しく交わり、当時の社会通念であった男性中心の価値観を否定して、性差によらない平等社会を志向するイエスの姿だったのだ。しかしイエスの死後、ペテロたち男性使徒らは女性信者たちへの弾圧を強め、やがて司教たち(男性)を頂点とする教団のピラミッドが作られていったのだとか。このあたりの記述を読むと、これまでの自分の考えが揺さぶられひっくり返される快感が味わえる。
 とくに興味深かったのは初期のキリスト教がローマ帝国によって迫害された原因について考察したくだり。本書によれば、それは初期キリスト教徒たちがイエス本来の教えに忠実に従って、ローマやユダヤ社会がもつ(女を軽視し従属させるタイプの)当時の家族構造を侮蔑・拒絶したせいなのだとか。当時の施政者や宗教的権威たち(もちろん男)は、そのあまりに異質な考え方に本質的な脅威を感じたのだ。うーん、なるほど。
 これって今でも起こっている事だよね。男女間の差別を無くそうとする気運が高まるたび、伝統という名を借りた反動が(主に既得権益者たちから)巻き起こる。本書では例として、イランのイスラム原理主義の指導者であったアヤトラ=ホメイニ師やアメリカ合衆国のレーガン大統領、さらにレーガンの精神的な支えであったとされるキリスト教原理主義の説教師ジェリー・フォールウェルなどが挙げられている。概ね社会的に不安が高まると、虚無的で投げやりな心と過去の「古き良き時代」への郷愁から、男性支配への欲求が強まる傾向があるようだ。
 以上が本書の副題である「われらの歴史、われらの未来」のうち前半の「歴史」の部分。次いで後半では「未来」への展望が語られる。(***)

 ***…ただしその話の前に、本書で著者が定義している新たな用語について説明が必要だ
     ろう。先ほどから「協調型」とか「支配者型」とか、もしくは「母系」とか「家父
     長制」とか色々な呼び方を使っているが、著者が示そうとする概念を表現するには
     どうもしっくりこない。そこで本書の第8章で著者は、(手垢のついた従来の用語
     の使い回しではない)新しい用語の提案を行っている。男たちの力の行使や威嚇に
     よって支配される社会制度については、先ほどの“支配者型”とか“家父長制”で
     はなく<男性支配制(androcracy)>という名前を、そしてどちらか一方がもう
     片方を支配するのでなく、両性を結びつけて融解(あるいは解放)する社会制度に
     対しては、“女家長制”ではなく<女男結合性(gylancy)>という名前を用いる
     ことを提唱している。詩人ヴァレンティノスの言葉を借りれば「聖なるものは女性
     原理と男性原理の両者からなる<ニにして一なるもの>として、心に描くことがで
     きる」ということらしい。

 数千年にわたって浸透してきた<男性支配制>の社会。これを覆すのは決して容易なことではないだろう。現在の社会における既得権益者たちは「これは原始から近代へと社会が進化を遂げてきた結果であって、原始社会へ戻ることがないのと同じく不可避である」というかもしれない。
 しかし著者はいう。生物の「進化」とは違って社会には不可逆的な「進化」はない。時代によっては多少の揺り戻しはあろうとも、不断の努力を続ける人々がいる限り社会の全ての人々にとって、より良い世界へと少しずつであっても変えていけるのだと。(逆にナチスに代表される全体主義は、その支配方法と根本構造において<男性支配制>の形態が辿る究極の姿であり、なんとしても避けなければいけないものなのだとか。)
 「昔の技術的にも社会的にも進歩していなかった社会のほうが、数百万の子供たちが毎年餓死する憂き目をみているのに、数十億ドルという金がますます巧緻な手口で人を殺すために注ぎこまれている現代世界の高度技術社会よりも、ずっと進化していた」
 以上の言葉に、彼女の主張は端的に表現されているといえるのではないだろうか。

 ではそのような社会はどのようにすれば実現するのか。著者はそれらの動きの中核として、ウィーナーが創始したサイバネティクスの考えを借用している。「フィードバックを知覚すること」「それを正確に解釈すること」「それを使って変化する事」。これら3つのルールをうまく用いることで、社会を変えていくことが出来るのだとか。
 うーん、そういわれてみると、確かに少しずつではあっても世の中は「より良い方向」に変わってきている気がしないでもない。例えば(本書に書かれているように)イタリア・ルネッサンスもそうであったし、フランス市民革命やそれに続くアメリカ合衆国の独立運動、そしてベトナム戦争に反対する人々の運動などもそう。日本でも同じことだ。どこぞの自治体の首長が人格否定をする発言を繰り返しネット上でそれに追従するものたちが現れようとも、必ずそれに反対する者たちが声を上げる。ツイッターなどの新しいメディアにより、災害時の人と人との直接的なつながりと助け合いが生まれる。(同時にデマの拡散があるのは困りものだが。)…そういう社会であることを是非願いたいし、そのような社会こそが唯一健全な社会といえるのではないか、そんな気がする。
 いま世界中の人々が取り組もうとしている環境問題もまた「協調」の表れのひとつ。また全米ライフル協会の強硬な反対にも関わらず、銃を規制しようという機運がアメリカ全土で高まったり、黒人や女性の大統領が誕生することなども、全て同じ視点で語ることが出来るのものだ。
 征服や支配ではなく心づかいと提携を尊重すること。そして猜疑と防衛から信頼と成長へ目を向けること。いわゆる「男性的」といわれる競争原理から「女性的」といわれる協調原理への転換は、ビジネスの世界でいうところの“Win-Winの関係”と呼ばれるものに相違ない。本書の最後には、著者による理想を描いたビジョンが示されるが、そこでは心理学/社会学/政治学/経済学などが融合することで実現する、平和で繁栄にみちた世界が描かれるが、そこに敗者はいない。
 切り裂き支配する力の象徴たる「剣」から、調和と生産の象徴たる「聖杯」へ。―― 今はまだ夢かもしれないが、我々の不断の努力によってきっと実現できるという本書の主張は、「イマジン」でJ・レノンが歌ったように皆が信じさえすればいつか作り出せる世界なのかもしれないね。(ちょっとクサかったかな?/笑)

<追記>
 古い話で恐縮だが、2009年に公開された映画『アバター』にも良く似たアイデアが使われていた。かなり単純化されているとはいえ、本書と同様の「協調(惑星パンドラの生態系)」vs「支配(地球の巨大コングロマリット)」という図式。映画をこんな視点で見るのも面白いのではないかな。
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