『ニュー・アトランティス』 ベーコン 岩波文庫

 16世紀半ばに活躍した「イギリス・ルネサンス期」の知の巨人フランシス・ベーコン。本書は彼が晩年(1627年)に書いた未完の書で、社会と科学に関する自らの理想を描いたもの。いわゆる「ユートピア物」に分類される、短めのフィクションだ。
 舞台は太平洋の真ん中にある島国・ベンサレム。そこに漂着したイギリス帆船の乗組員が見聞する驚異の数々と理想郷の姿―― という話。本書ではかつて「大アトランティス」と呼ばれた国が北アメリカ大陸にあった設定になっていて、大アトランティスは“神の怒り”にふれて滅びてしまったが、その跡を継ぐ「ニュー・アトランティス」こそがベンサレムというわけだ。

 まずはこの国の特徴をざっと挙げてみよう。
 国民はみな敬虔なクリスチャン。国民性は穏やかで誠実であり、たとえば役人は給与以外に報酬(賄賂)を受け取らない。帆船の乗組員たちに対しても謙虚で慎み深い態度を示し、誠実で礼儀正しいやりとりをする。
政治は仁徳にすぐれた王による統治が行われていて、公衆衛生の体制も充実。社会的な相互扶助とトラブル解決(調停)の仕組みがある。性による不平等がなく家族制度は一夫一婦制。貞節が守られており、一夫多妻や娼婦は禁止されている――。ふむふむ。土台がキリスト教と王権性にあるというのはご愛嬌として、社会制度については「なるほどねえ」といった感じだね。
 しかし本書の白眉はこの先。科学研究の実用化の様子が語られる部分こそが面白い。これもざっと挙げてみよう。人工金属/健康維持&長命/医学・薬学・生命科学/建築/塩水濾過/気象の予報と制御/動植物の品種改良/工芸/バイオマスを含むエネルギー技術/光学・音響・動力などを含む物理学的な研究/永久運動/数学...。思いつく限りのありとあらゆる科学の驚異が、次々と紹介されていく。(中に永久機関まで入っているのは、本書が書かれたのが17世紀初めなので致し方ないところか。)
 ちなみにこれらは全て「サロモンの家」と呼ばれる教団による研究の成果ということになっている。この教団は学府と研究機関を兼ねており、政府(国王)から独立した組織になっているとのこと。(むしろ位置づけとしては政府組織よりも上位。)
 教団の元になっている教えは、どうやらキリスト教系の神秘主義らしいのだけれど、肝心のところで物語が中断してしまい、そのあたり詳しく説明されないのがとっても残念。個人的には一番興味があった部分なんだが。

 解説によれば、ベーコンはアリストテレスの哲学を嫌悪していたようだ。その理由は「論争と抗弁の術として使われるのみ」だからだそう。そこでベーコンは自らの求める理想を、「人間の生活を益するものの生産をもたらす哲学」としたのだそうだ。なるほどそう言われてみると、本書で紹介される様々な社会システムや学問領域がいずれも「人間の生活を益するもの」で、きわめて功利的なものばかりなのも納得できる。
 この国についてはどうしても、ユートピアにありがちな「聖人君子の退屈な国」という印象が否めない(苦笑)。でもそれはそっくりそのまま、当時のイギリス社会の裏返し、すなわち実際に社会に欠けているとベーコンが感じていたものであると言っていい。そう考えるとちょっとステレオタイプな社会描写も、それなりに納得感をもって読むことが出来る。(本書はそんな読み方の方が面白いかもしれない。)
 「幸福は一様だが不幸にはさまざまな形がある」と書いたのは、たしかトルストイだったっけ? してみると、色んな話で描かれた理想郷がどれも似通ってしまうのは、ある意味仕方ないのかもしれないね。でもって、そこでの生活が愉しそうに感じられないのは、自分が不謹慎だからかな(笑)? 
 ダンテの『神曲』でも<地獄篇>は生き生きしていたけど、<煉獄篇>を経て<天国篇>になるといかにも退屈そうな生活だったものなあ。自分はきっと理想郷には住めそうもないな。もっと猥雑で活気があった方がいいや。
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幸福の形

《「幸福は一様だが不幸にはさまざまな形がある」と書いたのは、たしかトルストイだったっけ?》

 なるほど!幸せの形は人それぞれだと思い込んでいたのは、不幸の形が多様なのだからなのですね。
 不幸の形が多様な故に、不幸でない状態を幸福だと思い込んでいるのでしょうか。
 

タケゾウ様

こんばんは。

「幸福」の定義は「平和」や「健康」の定義にも似たところがありますね。

「幸福」は「不幸」でないこと。
しからば「平和」とは「戦争」ではないこと?
「健康」とは「病気」ではないこと?

結局のところは、
何もない平凡な毎日こそが幸福ということなんでしょうかね(^^)。
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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