『同時代ゲーム』 大江健三郎 新潮文庫

 今さら恥ずかしいのだが、大江健三郎はやっと2冊目。学生時代に、短篇集の『空の怪物アグイー』に手を出して以来だ。由良君美氏じゃないけれど、随分と「偏書」な読書子を自認するだけあって(笑)、いわゆる著者の代表作と呼ばれるものは一切読んでない(^^;)。
 そんな自分が何で本書を読む気になったかというと、筒井康隆氏が自らの読書遍歴を綴ったエッセイ・ガイドブックの『漂流』で取り上げられていたから。今手元に本がないのでうろ覚えだが、(筒井氏いわく)神話をテーマにした大傑作で、世間的には失敗作と言われているとの事。(失敗しているところが好いとか何とか、良く分からない。/笑)もともと神話的な話は大好物だし、失敗作だとか傑作だとか言われて俄然興味が湧いた。
 で、読んでみた感想を率直に書くと、たぶん学生時代に読んだら挫折しただろうなーという感じ。失敗作と言われた理由も自分なりに理解できたし、逆に筒井氏が大傑作といった理由も何となく想像がついた。いや、決して面白くない訳じゃない。ただ面白さがわかるのにかなり苦労する ――そんな感じの本だ。

 物語の主要舞台は、かつて「壊す人」と呼ばれる人物に率いられて山奥に移り住んだ人々(創建者)によって作られた村。(創建当時のことはすでに神話と化している。)
 その後の「自由時代」を経て、隠れ里であった村は江戸時代には藩体制に組み込まれるも、それなりの独立性を保ちつつ時代が過ぎる。しかし明治になり近代的な国家体制が整えられるにつれ、彼らは徐々に追いつめられることに。実際の人口の半分しか戸籍化しないという奇策をもって「大日本帝国」の制度から逃れようとするが、やがて壮絶な「五十日戦争」を経て瓦解していく…。
 ――以上、設定だけ書くととても面白そうに聞こえるし、自分の好きな神話的題材にも事欠かない。なのになぜ本書がこれほどまでに読みにくいのか? なぜ「失敗作」と言われるのか? それはおそらく本書が、通常の神話が持つ枠組みや語りを否定した構成をとっているからではなかろうか。

 語り手は舞台となる「村=国家=小宇宙」で、“最後に生まれた子供”と呼ばれている双子の兄妹の兄(露己/つゆき)。村の神話と歴史の語り手になるべく「父=神主」によってスパルタ教育を受けて育てられた彼は、留学先のメキシコから、同じく「父=神主」により巫女として育てられた妹(露巳/つゆみ)に向け、自らの近況とともに村の歴史を手紙に綴って送り続ける。本書は兄が妹に送った6通の手紙という形式をとっており、全てが兄のひとり語りで会話文は皆無、すべて地の文なのだ。本書のとっつきにくさは、まずここにある。村の歴史と現在が入り混じって渾沌としてくるところは、ガルシア=マルケスの『族長の秋』にも共通する“読みにくさ”と言えるかも。
 一方で、作中に出てくるエピソードはどれも大変に魅力的だ。100歳を超えても生き続け、それどころか徐々に巨大化し続けた創建者たち。事故に遭った後、ミイラ化して仮死状態を保ち続け、やがて胎内で犬ほどの大きさまで回復したとされる「壊す人」。かつて「牛鬼」と呼ばれ、村の祭りで黒牛の山車になったとされる原重治という人物。そして「村始まって以来最もいかがわしい人物」と蔑まれたトリックスター・亀井銘助と、彼が神格化され信仰されるに至った「暗がりの神/メイスケサン」など。神話的かつ不思議なエピソードが多層的に繰り返し現れる。(他にも双子の天体学者であるアポ爺にペリ爺や、大日本帝国軍に虐殺された「木から降りん人」と呼ばれる逆立ち老人というのも登場。ヘンテコで魅力的なキャラには事欠かない/笑)
 このように抜群に面白くなりそうな素材やエピソードを扱いつつ、敢えて物語性を否定しようとするその姿勢。それは著者の狙いが、「非神話/アンチロマン」を通じて「国家」という幻想を語ろうとするところにあるからだろうか。そんな気もしてくる。(事実、本書を読んでいる間中、頭の中に「国家とは何か?」という問いかけがモヤモヤと浮かんでは消えていた。)

 話は戻るが、本書の“読みにくさ”についてもう少し。それは先に述べたような、全てが地の文で構成されていることの他に、もうひとつある。何かというと、本書は「神話」を語っているにも関わらず「事実」としての直接記述でなく、すべて語り手である兄が「父=神主」から聞いた「伝聞情報」であるという点だ。その結果、(奇想天外な話であるにも拘らず)すべてが真偽不明な「聞いた話」になってしまい、衝撃度が限りなく弱まることに。
 であるからして、本書の物語としての面白さは前半の「神話」の部分にはなく、むしろ後半の「歴史」の部分、すなわち大日本帝国軍との「五十日戦争」であるという逆説も起きてくる。(神話性が薄れるほどに物語としては面白くなっていくというのは何だか不思議な感じだ。)
 ラストにはオーギュスト・ブランキの『天体による永遠』と見紛うようなビジョンも出てきて驚かされる。とにかく色んなものを凝縮して、渾沌とした「森と再生」の物語を紡いでいるのが、本書の魅力といえるのかも知れないね。

 「あったか無かったかは知らねども、昔のことなれば無かった事もあったにして聴かねばならぬ。よいか?」

 「父=神主」が、語り手である「僕」に対して叩き込んだ上記の教えが、そのまま本書の多重性を示しているようでなかなか。手ごわい本ではあったが、小説の虚構性をライフワークとする筒井康隆氏が絶賛したのも、むべなるかな。ふむ。
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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