『青蛙堂鬼談』 岡本綺堂 中公文庫

 趣味全開の選書でアイドリング読書中の日々。フルパワーで読めるのは果たしていつの日か。
本書は前々から読んでみたいと思っていた怪談集であり、長らく入手困難になっていたもの。今回めでたく中公文庫から『岡本綺堂読物集』シリーズの一冊として復刊された。(題名は「せいあどうきだん」と読む。)
 話は江戸時代からの伝統である百物語の形式をとった全12話からなり、古き良き時代の雰囲気を色濃く残す、まさに「いぶし銀」とでもいうべきもの。怪奇と幻想をこよなく愛す”夜の種族”たる管理人としては、きわめて満足のいくものだった。さらに本書には単行本未収録だった2つの短篇まで収録。幻想的で魅力的な表紙のイラストに加え、収録作「笛塚」を描いた口絵も嬉しいボーナスとなっている。
 収録作はどれも水準以上の出来で甲乙つけがたいが、あえて自分の好みでいえば「兄弟の魂」「猿の眼」「蟹」あたりだろうか。へんてこりんな「一本足の女」も悪くない。

 ところで先に書いた「江戸時代からの伝統」というのは、何も百物語という形式に見られるものだけではない。物語そのものにも近代以降に書かれた西洋的な怪奇小説とは一味違う仕掛けがあるのだ。それは何かというと、中国伝来の「志怪小説」に由来するもの。(おそらく東洋の怪談に独特のものなのではないかと。)
 千葉俊二氏の解題によれば、岡本綺堂は中国の説話集『捜神記』を評するに当たり、次のような言葉を遺しているそうだ。

 「総て理屈もなく、因縁もなく、単に怪奇の事実を蒐集してあるに過ぎない。そこに怪談の価値がある(後略)」

 これこそが江戸の怪談噺に共通し、本書にも当てはまる特徴といえるだろう。『御伽婢子(おとぎぼうこ)』などを読むとよくわかるが、恐ろしい化け物が人を襲うのに理屈などない。話にオチも何もなく、ただひたすら不思議な出来事が起こるだけ。『日本霊異記』などに見られるような説教臭さもなくポーンと突き放したような語り口が、好きな人には堪らない魅力となっている。本書に収録された作品の元ネタがあるのかどうかは不勉強なので良く知らないが、千葉俊二氏によれば『閲微草堂筆記』を始めとする中国古来の説話に着想の多くを依っているらしい。まさに古典や志怪小説に精通した筆者ならではの作品といえるだろう。ホジスンやブラックウッドらによる西洋風の幻想怪奇も捨てがたいが、東洋のしっとりした物語を読むのもまた乙なもの。露伴や鏡花の作品とともに、お気に入りの一冊が増えたのは喜ばしい限りだ。

<追記>
 そうそう、ひとつ書き忘れていた。怪奇小説(ないし怪談)が何故に面白いのか?という点について。
 以前、作家にして翻訳家の西崎憲氏による「怪奇小説には鎮静作用がある」という言葉をご紹介したことがあるが、自分が思うに怪奇小説の面白さもそれに通じるものだと思う。それは何かというと、「どんなに怖い物語でも、物語である以上は必ず終わりがある」ということ。(当たり前といえば当たり前だが。/笑)
 予定調和の怖さとでも言えば良いだろうか。本のページを閉じれば、また平穏無事な日常生活に戻ってこれるということ。だからこそ逆に現実の世界で大きな悲しみが起った時、怪奇小説を読むことによる予定調和の怖さこそが癒しとなり、また鎮静作用をもつ事になるのだろう。(SF好きの方なら読まれた方もおありかもしれないが、それはまたジーン・ウルフの「デス博士の島」という短篇に共通するテーマでもある。)
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まとめ【『青蛙堂鬼談』 岡本】

 趣味全開の選書でアイドリング読書中の日々。フルパワーで読めるのは果たしていつの日か。本書は前々か

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