『日本人のための日本語文法入門』 原沢伊都夫 講談社現代新書

 毎週末の恒例行事は、近所の本屋をぶらぶらと回ること。(まるで自分の縄張りを巡回する野生動物みたいだね。/笑) たまには街の大きな書店に行ってまとめ買いするのもいいけれど、こうして近所の本屋をうろうろするのも、これはこれで結構愉しいもの。あまり売れそうにない新刊本を確実に手に入れるには大きな書店の方が確実だが、さほど気に留めていなかった本でも実物を見たら予想外に良さそうだったりする。そんな時は配本の数が少ない近所の本屋の方が、(大量の新刊に埋もれてしまわない分)大書店より却って目に留まりやすいのだ。
 前置きが長くなったが、本書もそんな感じで手に取ったうちの一冊。講談社現代新書は全くノーマークだったのだが、新刊棚の前に立ったとき真っ先に目に留まり、ついでピピッときた(笑)。なんせ『日本人のための日本語文法入門』という、いかにも意味ありげな題名なんだもの。「国語」じゃなくてわざわざ「日本語」。しかも学校でさんざん文法を習ってきた「日本人」を相手に改めて「入門」させようという大胆不敵さ。よほど面白さに自信がなければこんな名前をつけるわけがない。そう推理してさっそく買ってきたところ予想はズバリ的中、気軽に読めてそれでいてとても愉しい一冊だった。
 中身はまさに書名が示すとおりで、日本語の文法構造について簡潔に解説したもの。それ以上でも以下でもないのだが、意外なことにそれがまた面白い。なぜなら自分達が国語の時間に習ってきた普通の文法(いわゆる「学校文法」)ではなくて、外国人が日本語を履修するときに習う実践的かつ客観的/合理的な文法解釈になっているから。したがって本書を読むと、学校時代にどうも釈然としなかった部分がすっきり。まるで長年患った宿痾(しゅくあ)がいっぺんに治ってしまったみたい。(笑)

 例えばこんな感じだ。
 ひとつ目。日本語の基本的な構成は学校で習った「主語 ― 述語」の関係ではなく、実は「主題 ― 解説」と言った方が正しい。文章中の「~は」という助詞は「主語」を示すのではなく、文章の「主題」を表すのだそう。主語(主格)を示すのは「~は」ではなくて「~が」の役割りであって、だからこそ「カレーライスは父が台所で作った」なんていう文章だって作ることが出来るのだ。(確かに「~は」と「~が」の違いなどは、学校の授業で今一つ理解できなかった事のひとつだよなあ。)
 ちなみに「~が」がついた単語は、(英語と違って)“文章の主語”ではあっても決して文の中心的な位置づけにはなく、単に主題を解説するための様々な「コト」のひとつに過ぎない。先ほどの文章でいえば、カレーライスが文の主題(≒話題の中心)であって、「誰が作ったか」という情報は「どこで作ったか」「辛さはどうか」などと同じく、カレーライスを説明するための因子というわけだ。
 「~が」と「~は」の使い分けについては後の方の章でも取り上げられる。どちらを使うかは、その文章の主格が聞き手にとって新情報か旧情報かによるというものだ。どういう意味かというと、昔話の桃太郎で冒頭「あるところにおじいさんとおばあさんが…」という文では、おじいさんとおばあさんは始めての登場(すなわち新情報)であるため「が」を使う。そして次の文章からは既知であるため「おじいさんは山へ芝刈りに…」とように「は」を使う。つまり英語でいう不定冠詞の“a”と定冠詞の“the”と同じような使い分けと考えると良いとのこと。
 本書にはこんな話が沢山、具体的な例でもって分かりやすく挙げられている。先ほども述べたように、ここに書かれた文法は学校で習うものとは違うものだそうだ。「学校文法」は古典とのつながりを重視した学問的なもののようで、我々が普段使用している言葉の仕組みを理解するには、むしろ本書に書かれている「日本語文法」の方が良い。

 ふたつ目に行こう。英語と比較した場合、日本語の動詞に「他動詞」よりも「自動詞」の方が多いのは、日本語(日本人)と欧米の自然観の違いによるものという指摘も興味深い。人が対象物に向かって何かを働きかける表現(=他動詞)が、欧米人の持つ「人間中心」の考え方に根ざしているのに対し、日本語で「自然と何かが起こる」という表現(=自動詞)が多いのは、「(人による)動作」ではなく「状態の変化」を重視しているからなんだとか。(*)
 「今度結婚することになりました」などの表現があるように、本来自分たちの意志による行動であっても“自然にそのようになった”という形とすることで、円滑に話が進むのは日本語ならでは。

   *…翻訳家の増田まもる氏がエッセイで以前書かれていたように、地震や津波といった
     人間の力で何ともならない圧倒的な自然災害を前にした無力さの克服(ひたすら
     通り過ぎるのを待つ我慢強さ)が生んだ日本人の特質や、もしくは四季の移り変わ
     りといった豊かな自然にはぐくまれた感性が、日本語の表現にも影響を与えている
     のかもしれない…なんて考えてみたり。

 3つ目の話。外国人にはとても習得が難しい「○○してあげる」もしくは「○○してもらう」という表現には、実は日本人が言葉に込めた「相手への思いやり」が隠されているという話も、言われてみればなるほど腑に落ちるといった感じだ。(**)
 例えば「花子が私に日本語を教えてくれた」という文章には、「花子が私に“日本語を教えるという思いやり”をくれた」の意味が込められているのだとか。

  **…昔会社で韓国からの研修生のお世話係をした時に、この表現の持つ意味について
     説明に苦労したのを懐かしく思い出した。こう説明すれば良かったのだな。

 他にも色々な話が盛りだくさん。日本人は「(私は)富士山を見る」といった、主体の意志がはっきりする表現より「(私に)富士山が見える」という自発的な状態を示す表現を好むとか、「~ている」と「~てある」の時制の違い。さらには「日本に来るときに、友達がパーティを開いてくれた」といった“複文”に見られる、文の前半と後半の時制が不一致になっている理由や、(「○○ましょうか?」とか「○○(だ)ね」というように)文の最後に付いて意志や感情を指し示す「ムード」という文法概念などなど。
 自分のようにお気らくな読者は、あまり細かすぎる専門書では疲れてしまうので、このくらいの本がちょうど好い。愉しかった。
 ところで小中学校でも本当はこちらの文法を教えた方が良いんじゃないのかねえ。分かりやすいよ。難しい文法は高校になってからで良いのでは?(どうせ前に習った文法なんて難しくてあまり覚えていないんだし。/笑)
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まとめ【『日本人のための日本】

 毎週末の恒例行事は、近所の本屋をぶらぶらと回ること。(まるで自分の縄張りを巡回する野生動物みたい

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No title

言葉は文化ですね。普段なにげなく使っている日本語も、こうやって考えると面白いです。子どもが言語学を専攻しているので、最近言葉について改めて考える機会が増えました。舞狂小鬼さんの解説もとても参考になります。

rio様

こんにちは。
コメントありがとうございます(^^)。

ホント、日本語って面白いですよね。
但し、自分にとっては、
あまりに学問的な文法よりは、
これくらいの話のほうが気楽で好いですw。
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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