『屍者の帝国』 伊藤計劃/円城塔 河出書房新社

 日本の長篇SFを読んだのは、ずいぶん久しぶり。(と思ってざっと調べてみたら、同じ伊藤計劃氏の『ハーモニー』を読んで以来、およそ1年4か月ぶりだった。長いこと空いたものだねえ。)
 夭折した作家が冒頭部分だけ遺した作品を、友人である芥川賞作家が書き継いで完成させたという、刊行の経緯もさることながら、どちらの作家も熱狂的なファンをもつ実力派だけに前評判も高い。今年一番の話題作とあってこちらの期待も充分だ。値段は結構高かったが折角の機会なので、久しぶりに「イベント」に参加させていただくことにした。(笑)
 で、読んだ感想だが、これが大正解。まさに自分の好みの「いろんな読み方/愉しみ方」ができる作品に仕上がっていた。個人的には今年の国内SF作品の中ではおそらくNO.1になりそうな気配。それでは自分なりに「こんなところを愉しんだよ」というところを、いつものようにご紹介しよう。(他の方の印象とは違うかもしれないが悪しからず。)

 まず一番の特徴として挙げられるのは、実在の人物やら小説のキャラクターやらが、虚実入り乱れて登場する点だろう。だいだい主人公からして、S・ホームズの相方たるジョン・H・ワトソンだし、彼をイギリスの秘密機関である「M機関(ホームズの兄であるマイクロフトの頭文字)」へと引き込んだのは、B・ストーカー『ドラキュラ』に登場するヴァン・ヘルシングとジャック・セワード。(またM機関の隠れ蓑になっている「ユニヴァーサル貿易」は、007ジェームズ・ボンドのネタだ。)伊藤計劃自身が書いた冒頭部分からして、いきなりこんな調子。
 かと思えば、本書のメインアイデアである「死者の甦り」を科学的に描き、B・オールディスによって「世界最初のSF小説」と称された『フランケンシュタイン あるいは現代のプロメテウス』自体が、作者のメアリ・シェリーの名とともに小説内で言及されている始末。(ちなみにこの世界では、フランケンシュタイン博士が創造した“怪物”は実在しており、創造主であるヴィクター・フランケンシュタインを殺して姿をくらました伝説の存在となっている。)さらに第1部で主人公たちがアフガニスタンの奥地まではるばる出かけていく目的は、カラマーゾフの兄弟たちの行方を探るためときている。まだある。『風と共に去りぬ』のレッド・バトラーはメインキャラのひとりとして登場するし、ワトスンについて回る書記係の屍者の名前は『ロビンソン・クルーソー』と同じフライデーときている。
 次いで「虚実入り乱れて」の“実”の部分でも同様。メスメルが提唱した動物磁気といった疑似科学から、ニコライ・フョードロフという19世紀ロシアの思想家、それに第18代アメリカ大統領のユリシーズ・グラントまで。日本関係でも明治政府の駐露特命全権公使・榎本武揚や、同じく警視庁制度の創始者たる大警視・川路利良、さらには大村益次郎に澁澤栄一にシーボルトまで。まるで山田風太郎の『明治開化シリーズ』のように、フィクションとノンフィクションがうまくブレンドされて読む人を飽きさせない。
 もっとも物語の芯の部分は、今あげたような登場人物たちと直接の関係はないので心配ご無用。歴史や小説にさほど詳しくなくても充分に愉しめる。いってみればこれらはディズニーランドの園内のあちこちに隠されたミッキーマウスのシルエットを探し出すようなもの。たとえ見つけられなかったとしても、ディズニーランド自体の面白さは変わらないのと一緒だ。
 SF小説としてのアイデアについては少し「こなれた人」向けかも知れないが、「荒唐無稽な物語」の面白さに浸りたい人には、お勧めの一冊といえるだろう。

 とまあ、ここまでがネタバレなしの感想。ここからはネタバレありの少し細かな話に移る。これから本書を読もうという方はよくご注意を。

 
 では登場するキャラクターについてもう少し続きを。先ほども書いたように、本書が持つのは山田風太郎の『明治開化シリーズ』を換骨奪胎したような「外連味(注:褒め言葉として使ってるので念のため)」をもった面白さ。荒唐無稽さでは『忍法帖』にも似た香りもする。(笑)
 先ほどはこれら“キャラクターの遊び”と物語自体とは直接の関係はないと書いたが、実のところ若干は無いこともない。例えば途中でワトスンたちに絡んでくる謎の女ハダリーは、リラダンの『未来のイヴ』(映画『メトロポリス』の原作)にでてくる人造人間の名前。(それを知っているとハダリーが出てきた瞬間に、重要な役割を果たしそうなことは推測がつく。)
 他にも、世界に名だたる私立探偵事務所(実在)のピンカートン探偵社(PNDA:ナショナル・デテクティブ・エージェンシー)が、私設軍隊派遣会社(PMC:プライベート・ミリタリー・カンパニー)として登場したり、「しってる人だけ愉しめればそれで良い」といった感のくすぐりがそこらじゅうに用意されている。おそらく自分が気付かなかっただけで、他にも数多くのネタが盛り込まれていると思われる。なんせあの註釈だらけの短篇「つぎの著者につづく」や中編『烏有此譚』を書いた円城塔だものね。(笑)

 なお、本書があちこちから拝借しているのはキャラクターばかりではない。アレクセイ・カラマーゾフがアフガニスタン奥地に築いたとされる「屍者の帝国」。それを探し求めていく第1部の設定はコンラッド『闇の奥』そのものだし、西域の荒野をワトスン/フライデー/バーナビー/クラソトーキンの凸凹4人組が旅する様子は、もしかしたら『西遊記』のパロディなのかも知れない。
 まだある。第2部から第3部にかけて、主人公が世界を股にかけて飛び回る様子は、まるでヴェルヌの『八十日間世界一周』を彷彿とさせる。(イギリスから出発して世界を一周した上、最後にまたイギリスに帰るのも同じ。さらには途中で日本に寄港するところまでそっくり。)また彼らがイギリスに帰る時に乗り込む潜水艦の名はノーチラス。同じくヴェルヌの『海底二万里』というわけだ。
 
 これらを踏まえて、本書は「フランケンシュタインの小説」ではなくて、実は「小説のフランケンシュタイン」なのではないかという仮説を立ててみた。M・シェリーが書いた小説『フランケンシュタイン』において、主人公ヴィクター・フランケンシュタインは、解剖台や屠殺場から選りすぐりの「材料」を集めることで、およそ8フィートの巨人を作ったのではなかったか。とすれば本書における甦りのシステム、すなわち死者に「霊素モデル」を吹き込むことで甦るというのは、「フランケンシュタインの怪物」というよりむしろ、土くれの代わりに肉塊で作られ、パンチカードの呪文で動き出すゴーレムもしくはゾンビにほど近い。(そして生者に忠実に従うその姿は、アシモフの“ロボット3原則”を吹き込まれたロボットにもダブって見えたりして…。)
 だとすれば”材料の集合体”という、「フランケンシュタインの怪物」のもうひとつの特徴はどこにあるというのか?それは物語の中身にではなく、本書の小説構造そのものに表れているのではないかと思うのだ。
 原作では、死者から集めた個々の構成部品が、元の形を保ちつつ有機的に結合をはたして動き出す。これは様々な文学作品や歴史上の人物から借用したエピソードを、「元の形がわかる程度に」粗くつなぎ合わせて見せた本書、『屍者の帝国』そのものといえるのではないだろうか。元の形が二重写しで見えているだけに無気味な部分もあるが、見た目よりはるかに滑らかに動くそのさまは、まさに小説版「フランンケンシュタインの怪物」といっていい。もしくは我らが子供の頃に胸を熱くした、冒険や秘境を題材とする物語のトリビュート。
 
 以上、軽快で滑稽な表面上の作風とは裏腹に、重みのあるテーマや物語の基本骨格はまさしく伊藤計劃のものといえる。屍者の人為的な生き返りというモチーフを使って、「生」や「死」や「魂(≒自意識)」とは何か?をストレートに問いかけてくる。氏の第2長篇『ハーモニー』の構想段階での仮題は、なんと『生者の帝国』だったという話を読んだことがあるが、まさしく本書はテーマからすれば『ハーモニー』の陰画であり対になるものと言えるのかも。
 それでは円城塔らしいところはどこにあるか、本書を読みながら考えてみた。作中に明示されてはいないのだが、二人の作者の作風から推測してみるに、それは本書のラストで明かされるSF的な大ネタではなのではないかという気も。冒頭で説明され、物語の基本設定になっている「霊素」というものがあるが、これなどはエーテルやフロギストンのような架空の粒子がもしも実在したら?という発想でかなり面白い。しかし最後にはその設定までも吹き飛ばしてしまう、驚愕の「真実」が語られることに。
 そのくだりを読んだ時は、I・ワトスンの『マーシャン・インカ』やB・J・ベイリーの『カエアンの聖衣』といった奇想小説を思わせる、あまりにも奇天烈な展開にしばらく開いた口が塞がらなかった。(アミガサダケといえば古参のSFファンなら分かるはず。こういうの大好き。/笑)

<追記>
 妄想ついでにもうひとつ仮説をご披露したい。主人公ワトスンの冒険に影のようについて回り、最後には「魂」を得たフライデーにまつわる仮説を。
 『ロビンソン・クルーソー』の原著におけるフライデーは、食人種の餌食になるところをクルーソーにより間一髪助け出された。そこで彼に一生の忠誠を誓うとともに、「キリスト教の信仰(プロテスタント)」という新たな生を得た者。いわゆるヨハネ福音書にある「イエスを知ることで、永遠の命が得られる。」というやつだ。(もっとも最終的には続編である『その後の冒険』(1971)の中で、カヌーで襲撃してきた「野蛮人」の矢を浴びてあっけなく死んでしまうのだが。/苦笑)
 『屍者の帝国』におけるフライデーは、遥かなる過去から伝わる「ヴィクターの手記」によって新たな「生」を得た。その後、物語では「ヴィクターの手記」はヴィクター・フランケンシュタインが書いたものではなく、古の過去から伝わる作者不詳の謎の書であるという「事実」が語られる。だとすれば、まことの命を授ける「ヴィクターの手記」を(プロテスタントにおける)聖書と同じと考えれば、「書に書かれている事だけが真実であり、書を信じることで救われる」ということを実践した本書のフライデーは、プロテスタント信仰に目覚めた原作版フライデーのパロディとして読むことも可能かも知れない。そう考えるのは少し穿ち過ぎだろうか。
 以上、お粗末様でした。
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はじめまして

 感想拝見してとても勉強になりました。
 この本を読んで分からないところが多すぎたのです。
 トラックバックお送りしましたので、許可いただければ幸いです。

佐藤さえ様

はじめまして。
お越しいただきまして、有難うございます。

いえいえ、「勉強」だなんて。
過分なお褒めの言葉をいただきまして恐縮です(^^;)。

トラックバックはご自由にどうぞ。
(といいつつ、トラックバックの仕組みというものがいまだによく分かっていないのですが。/苦笑)

また宜しければお越しください。
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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