『「女らしさ」の社会学』 高橋裕子 学文社

「性差」というものに前から興味がある。(エッチな意味じゃないよ!/笑)
 ものの本によれば、性差には3つの水準があるそうだ。ひとつ目は遺伝子やホルモンによる身体的・生物学的な性差(=性徴)。ふたつ目は社会的・文化的な性差(=ジェンダー)。そして三つ目は、いわゆる性的な魅力(=セクシャリティ)というやつ。自分が興味があるといったのは、これらのうち二つ目のジェンダーについてだ。
ファッションに興味があるとか、ロマンより実利に重きを置くとか、はたまた“地図が読めない”だとか、巷で言われる「女らしさ」とは一体何なのか? そこに興味があるので、手ごろな本を見つけると目を通すようにしてきた。(ボーヴォワール『第二の性』を読んだりしてきたのもその一環。)
 ただ、社会的な視点というのは容易に政治的な視点に転化しやすい。性に起因する差別に対して無関心なわけでは決してないが、主義主張を声高に叫ばれるのは“お気らく読書”としてはちょっと重たい。これでいて「手ごろな本」な本というのは意外と見つからないのダ。
 本書を本屋で初めて見かけたのは、そんな感じでふらふらと本屋を物色していた時のことだった。副題には「ゴフマンの視角を通して」とあるが、ゴフマンというのが何のことやらさっぱりわからず、もしかして「ご不満」の意味?などと思ってみたり。よくよく調べてみたところ、ゴフマン(E・Goffman)というのはアメリカの社会学者の名前であって、どうやら同じく社会学者のデュルケーム(E・Durkheim/仏)の流れをくむ人らしい。(詳しい方からは何を今さら言っているんだ、と笑われてしまいそう。/苦笑)
 本書はどうやら、ゴフマンの理論をジェンダー論に応用して、「女らしさ」の正体について考察したものらしい。ゴフマンという人物にも興味が湧いたので、さっそく読んでみたというわけ。
 読んでみた結論からいうと、本書で述べられている「女らしさ」の内容自体はそれほど難しいものではなく、それなりに納得できるものだった。簡単にまとめると、凡そ以下のような感じ。

 ■「女らしさ」というのは「男らしさ」と同様、何ら生物学的なものではない。社会的に作ら
  れた価値観(分類図式)の一種に過ぎず、「男性=上位者・女性=下位者」というイメージ
  とセットになっている。
 ■この分類図式による抑圧は多くの女性が感じているものではあるが、一方で「生まれ変わる
  としたら男性/女性のどちらがいい?」というアンケートとると65%の女性が「女性」
  と答えたという結果も。このことからしても「女性らしさ」は必ずしも抑圧の源泉である
  ばかりではなく、生きる“歓び”の元にもなっているともいえるのでは。
 ■通常言われる「女らしさ」(「男らしさ」)は、社会通念になってしまっているので、
  なかなか覆すことは難しい。その理由は受益者である男性ばかりでなく、女性自身ですら
  (時に抑圧を感じながらも)時には積極的にその分類図式を利用することで、図式自体を
  追認/再生産することに一役買っているから。
 ■「女らしさ」はある固定されたイメージ/枠の中で生きている分には、極めて快適で安逸
  なもの。しかし女性がその枠を超えて自己実現する決意を固めると、途端に大きな壁と
  なって立ちはだかる。そうなった時、女性は性差による抑圧を目の当たりにすることに。

 とまあ、ざっとこんな感じ。そして今あげたような分析を行うのに著者が用いたのが、先述したゴフマンの社会理論というわけだ。例えばゴフマンによる「女らしさ」「男らしさ」の定義は、『あるコンタクトの間に、行為者が取るであろうと他社が仮定している立場にしたがって、彼が効果的に主張する肯定的な社会的価値』もしくは『承認された社会的属性という観点から描かれた自己イメージ』となるらしい。
 「○○らしさ」というセルフイメージには、「性差」の他にも「社会的な地位」や「家庭での役割」など様々なものがあると思うが、いずれにせよ周囲から要請された(と自分では見做している)役割りに準じて生きることに他ならない。(ゴフマン用語ではそのことを「儀礼」という。)その役割を周囲からも評価される事により自尊心が保たれ“歓び”が見出されるという理屈だ。

 ゴフマンは先にも述べた「男性=上位者・女性=下位者」という社会的なイメージの知見をどこから得たかというと、それはどうやら「広告の徹底分析」からであるらしい。そこには「大きい/高い/感情表現の抑制/守る者/主導者/公領域/タフ」といった「男らしさ」のイメージと、そして「小さい/低い/感情表現の強調/守られる者/追従者/私領域/デリケート」といった「女らしさ」のイメージが横溢していたそう。
 先ほども述べたように、これらのイメージは女性の自由を縛る足枷にもなり得るし、同時に(期待されるその役割を演じている限りにおいては)、「自然体でいられる」もしくは「本当の自分が出せる」くつろぎと安らぎの空間の元にもなるのだという。
 周囲から配慮をもって丁重に扱われたいのであれば、女性は「女らしさ」の儀礼コードに則った行動をする必要があるし、そしてそれによって丁重に扱われることで自尊心が保たれる。「ワンランク上の女」「仕事のできる年上女」「甘えん坊な妹」といった様々な「女らしさ」を、女性なら誰しもTPOに合わせてうまく演じ分けられることが、すでにして「女らしさ」が社会的な行為の一種であることを示しているわけだ。具体的な事例として「外務省機密漏洩事件」なる事件をとりあげて、これらの理論を説明していくくだりはなかなか興味深い

 以上が本書の前半部分。この時点で自分の「女らしさ」に対する好奇心はそれなりに満たされているのだが、本書には実はもう一つの柱があった。それは(ジェンダー論の研究者の間では何故かあまり評価が高くない)ゴフマン理論そのものの再評価。著者によれば、ゴフマンはC・レヴィ=ストロースの構造主義を批判しつつ、独自の「構造」と「主体」の概念を作り上げて社会分析を行ったそう。そんなゴフマン独自の構造理論を、ジェンダー論を語る上での強力な道具として用いる有効性が、本書後半の主題となる。
 ゴフマンによれば「主体(≒自己)」というのは、「1.自我アイデンティティ」「2.社会的アイデンティティ」「3.個人的アイデンティティ」という、3つの概念の集合として成り立つとのこと(*)
 そしてこれら3つのアイデンティティは、いずれも「社会的状況から独立して成立しえず、何らかの形で社会的状況とかかわることによってのみ生成される」ものだそう。これなどは「自己の確立」を存在の根本におくことを基本とする欧米人には、容易に受け入れがたい考えかもしれない。ゴフマンの評価があまり高くないのはそのあたりにも一因があるのかな? だとすれば、むしろ日本人の方がすんなり受け入れやすいのかもしれない。

   *…本論とずれるので詳細な説明は省かせていただく。どのみち自分も充分理解できて
     いるわけじゃなく、本書の受け売りになるだけだし(笑)。

 過去、女性たちは「女らしく」あることを、社会によって強いられるとともに自らも進んで「女らしく」あろうとしてきた。もちろん「男らしさ」にも別な意味での息苦しさと歓びがあるわけだが、いずれにせよ性差による役割りや意識の違いによる差別というのが厳然として存在し、女性を始め“ある種の人々”が「男性社会」の中で不利な役割を押し付けられてきたのは事実。その意味でも、ジェンダー・マイノリティが社会の表に出てきて発言しているのは、非常に良いことだと思う。
 なにしろ「性」に関する問題は一筋縄ではいかない。なぜなら最も身近に存在する権力構造のひとつであるから。とすると(自らもゲイであった)M・フーコーが、ライフワークである「権力」の思想的探究の矛先を、最終的に「性」へと向けていったのは、ある意味当然のことなのかも知れない。本書の後半を読みながら、ぼんやりそんなことを考えていた。

 あとがきによれば、本書は博士論文に加筆したものだそう。どうりで論旨の繰り返しや若干回りくどい表現など、読みにくいところが無きにしも非ず。しかし「男女差別の批判」という安直な図式に向かわず、真摯にジェンダー論を語ろうとする著者の心意気は買う。まずもって学術的なそのスタンスは好感が持てる。不満と不信をぶつけ合うだけの非建設的な議論なんて不毛なだけだしね。これからも本書のように冷静な取り組みこそが、差別の撤廃につながるもっとも有効な道なのではなかろうか。そしてそうした声を上げ続けていくことにより、少しずつではあっても世の中は変わっていくのだと思うよ。少なくとも自分はそう信じたい。
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No title

僭越ではありますが、
 
 アービング・ゴフマン(I.Goffman)
 Stigmaという概念で有名みたいです。ギリシャの奴隷や犯罪者に押された烙印に語源を持つ言葉です。
 ゴフマンは、社会的マイナスイメージや既存社会におけるささやかな「逸脱的」行為が新しい社会の準備につながると考えていたようです。

 人間が社会に規定されるだけの存在ではないことを示唆しているのだと思います。

kappamama様

おお、ご教示ありがとうございます。

恥ずかしながら、
ゴフマンという人物自体を今回初めて知りました。

なるほど、スティグマですか。
なかなか面白そうな人ですね。

ただ、著作を出しているのが、
せりか書房や法政大学出版局というのが、
ツライところですが(笑)。
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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