『飛行士と東京の雨の森』 西崎憲 筑摩書房

 フィクションを読むには実は結構なエネルギーが必要という事をご存じだろうか。たしかに軽いエンタメ作品を斜め読みしている分には何ら深く考える必要などない。しかし良くできた作品にきちんと対峙しようとするならば、もしくはその作品と堂々と切り結んで味わい尽くそうとするならば、生半可な学術書よりよほど精神的な負担が大きい場合も多い。
 自分が思うに、優れたフィクションと凡百のそれを分ける境目は、読み終わった後にあるのではないだろうか。優れた作品の場合は、読んでいる間にその本に注入したエネルギーを、読了後に何倍かにして投げ返してくれるような気がする。逆に“ハズレ”を引いた時の消耗といったら無い。(なぜなら自分にとって読書とは、作者との真剣勝負のようなものだから。)時間とお金を無駄にしたという精神的なダメージが大きいからこそ、安易にベストセラーに飛びつくことなく、自分が納得したものだけを読むようにしている。その点でいえば、本書の著者・西崎憲氏の作品は、自分にとってはどれも安心のブランドといえるだろう。氏は文学とエンタメ(幻想・ファンタジー)の境界上に位置する不思議な物語を得意とする作家であるとともに、カーシュやチェスタトンなどを手掛ける翻訳家でもある。更には音楽家でもあるというとてもマルチな才能の持ち主。
 本書はそんな氏の「作家」としての4作目の著作であり、7つの作品を収録したオリジナル中短編集。一作を除いて全て描き下ろしになっている上、先に雑誌発表された一作も大幅に加筆されているとのこと。殆ど全編が描き下ろしといっても良いだろう。作風としては、詩情性豊かな前作『ゆみに町ガイドブック』からファンタジーらしさを若干抜いて、代わりに文学性を高めた感じ。
 2作目『蕃東国年代記』がファンタジーの文脈で捉えやすい作品だったためか、前作は某サイトのカスタマーレビューを覗くと毀誉褒貶が甚だしいようだが(笑)、好みがはっきり分かれるというのは、(中途半端に可もなく不可もなくという評価よりも)よほど作品として優れていることの証拠ともいえる。既存のジャンルに当てはめるとすれば、文学とエンタテイメントのちょうど中間あたりに位置するイメージか。本書は前作『ゆみに町ガイドブック』と同様、いやそれ以上にボーダーレスな作品群に仕上がっている。好きだなあ、こんな感じ。

 少し話は変わるが、実は自分は「詩」が苦手だったりする。散文であれば大抵のものは苦も無く読みこなせるのだが、極限まで研ぎ澄まされ凝縮された詩の文章を目の前にすると、リズムが狂ってなかなか読み進むことが出来ないのだ。もしかして「詩情」というものが自分には理解できないのではないか?と、最近では半ば諦めかけていたのだが、本書を読んで気が変わった。散文であれば自分にも、「詩情」が充分に理解できるのがわかったのだ。
 自分が思うに「詩」という文学ジャンルは、言葉にすると消え去ってしまう儚い価値を、象徴や暗示によって示そうとするものではなかろうか。直接示すと変質してしまうものは、その周りをデッサンの描線で埋めていき、「描かれないもの」として空白の形を浮かび上がらせるしかない。クロウリーの傑作ファンンタジー『リトル・ビッグ』がそうだったように、西崎氏の作品にも同様の”技”が用いられている気がしてならない。
 『ゆみに町ガイドブック』が合わなかった人は、おそらく「描かれたもの」を一生懸命読み取ろうとした時、「何も描かれていないこと」にがっかりしたのではなかろうか。しかしそれは違う。直接描かれなかったからこそ、馥郁たる香りと芳醇な味わいが引き立つことがあるのだ。喩えるならば「甘味」とか「塩味」といった分かりやすい味付けでなく、上質な材料でしっかりととった一番だしの「旨み」に近い、そんな味わいを持った作品といえるのではないか。その点は本書も同じ。ジャンクフードのようなつもりでつまんでも、この本の面白さは見えてこないと思う。

 詩情とミステリのもつ抒情がとても幸福な形で融合した「理想的な月の写真」とか、J・G・バラードの廃墟趣味を思わせるような「淋しい場所」(*)。 じわじわと滋味が効いてくる表題作や「ソフトロック熱」に、”奇妙な味”のショートストーリー「紐」。そしてひとつのプロットをアレンジを変えて“演奏”した、音楽的な作品「都市と郊外」等どれも自分好み。読み終わるのが勿体ないのにどんどん読み進んでしまう。

   *…何気ない特定の風景になぜか気を惹かれるという点では、バラードよりもむしろ
     銀林みのる氏のファンンタジー作品『鉄塔武蔵野線』に通じるものもあるか。

 作品の主題については、ある方が本書を称して「居場所を探す物語」と言われていたが言い得て妙。もうひとつ付け加えるならば、「音楽が聴こえてくる物語」というのも当てはまるだろう。様々なアレンジを施したソフトロックもしくはAORを聴いているような感覚で愉しむといい。
 但しその調子で最後の作品「奴隷」に差し掛かると世界は一気に暗転する。読んでいる間中、鳴り響いて離れない不協和音。心に生まれるこのザワザワした感じは一体何か。とても苦いくせにずっと心から離れていかない。心の整理がつかないままに本を閉じる。
 ジンに一滴、ドライなベルモットを垂らすと、ほどよい苦みがマティーニ全体の味を引き締めるようなものか。これはすごい作品集だ。(ただし好き嫌いの振れ幅は大きいかもしれない。心して読まれんことを。)

<追記>
 私事で恐縮だが、自分にとってこの本はさらに特別なものになった。読了後にひょんなことから著者の西崎氏と直接お会いする機会があり、ご本人から様々なお話を伺うことが出来たのだ。プライベートな話なので詳しくは書かないが、おかげさまで一生の思い出になる時間を過ごすことができた。それらもひっくるめて、本書は最高の読書体験を味わわせてくれた一冊となった。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
最新記事
カテゴリ
プロフィール

舞狂小鬼

Author:舞狂小鬼
サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

最新トラックバック
FC2カウンター
最新コメント
リンク
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR